見出し画像

埋められない

こんにちは。ぱるむです。
6月下旬の遅い梅雨入りにともなって心が鬱々としてきました。
そんなときは家にこもって言葉にするのみです。

もはや普段の鬱々よりも一層鬱々としているので、々をいくつつけてあげればいいのか分からないほどです。
私は外的環境の影響を受けやすい。
天気、部屋の綺麗さ、人間関係、人の言動など、色々なものに影響を受けて考えを巡らせてしまいます。
最近は雨だから雲が重たくて仕方ない。家の中にいるときの雨は大好きなのに。
夜、雨が地面を静かに打ち付ける音でぼーっと布団の中にくるまっている時間の面白さたるや!

5月末、毎日やり取りをしていた友人が音信不通になりました。
以前、持病を持っていると言っていたのを覚えていたので、きっとそのような大変な局面にいるのだろうか、と安否を気遣う反面、なぜ私に音信不通の理由の一つも教えてくれないのだろう、私に嫌気がさしたのなら厭わず伝えてくれればいいのに、と憤る気持ちも持ち合わせていて、その二つの感情に挟まれながらゆらゆらしていました。
好きな音楽、映画や本の話、毎日起きたくだらない話、そのコミュニケーションに私は依存していたのだと知りました。
教養のある人はそうでない人に対して、格の違いというか、レベルの違いを見つけてしまい、相手に対してないがしろな態度をとってしまう傾向があると思う。
私は自己肯定感が低い。見た目も中身もどうしようもないほど自分のことを好きになれない。
だからこそ、私よりも頭が悪い人や教養がない人を見ると、「こんな馬鹿な私ですら知っていることをこの人は知らないんだ。」と見下した態度を取ってしまうことがしばしばあります。
後になって一人反省会を開いてまた自己嫌悪に陥るのが常なのですが。
けれどもその友人は私よりもたくさんの作品やコンテンツを熟知しているのにもかかわらず、全く私のことを見下すような態度を取らなかった。
「おすすめしたものをぱるむが見てくれて本当に嬉しい。」とだけ言って、二人で酒を飲みながら感想を言い合うのがお決まりでした。

人の巡り逢いとは不思議なもので、それはほとんどタイミングと運なので、自分から行動しようがしまいが関係ないものだと思います。
まるで通り雨が運悪く突然やってくるように、まるで雨女だの晴れ女だの根拠のない性格があるように、私はただ目の前の出会いを大事にして楽しむほかなすすべがないのだと、ある種自分の無力さに打ちひしがれるような感覚になります。

寂しさを埋める方法はたくさんあります。
そして私自身そのたくさんの方法のうち、自分に合った方法を知っています。
だから一人でふらっと喫茶店に行ったり、映画を見に行ったり、散歩してみたり、好きな音楽を聞いたり、ゲームをしたり、自炊をしたり、なんとか一人で生きていく術を身につける練習をしました。
それでもやはり、他者とのコミュニケーションに勝る方法は無い。
それは恋人が欲しいとか、セックスがしたいとかではなく、会話を楽しんで相手の価値観や好きなものを知りたいという気持ちで。

男がいればいい、ちやほやされればいい、セックスができればいい、というような人を羨ましく思うときもあります。
そういうインスタントな関係性で、本当の意味で心が満たされるのかは分からないけれど、本人がそれで満足しているのならそれで良いのでしょう。
レンジで30秒チンするような関係性で、そんなコミュニケーションで寂しさを埋めることができるのであればどんなに楽でしょうか。
私はオーブン予熱で180℃30分しっかり焼かないと満足できないほど面倒くさい女なんです。
それに、インスタントなコミュニケーションって楽しい?
口先だけで耳障りの良いことばかり言うような会話は面白いの?
そこに全く面白さを見いだせないのは、インスタントなコミュニケーションを鵜呑みにして喜んで、結局は痛い目を見た昔の馬鹿な自分がいるからだと思う。添加物は塵が積もれば山となり心を蝕む。
口先だけでは何とでも言えるんだから。人工甘味料でいくらだって甘くなるんだから。

先月末、人生で初めてホストクラブに行ってみました。
煌びやかな内装と煩いBGM。闇深そうな女と典型的なホストの男たちが、一気に私を非現実世界へ引き込んだ。
全然楽しくなかったけれど、人生経験としては楽しかった。
未経験のものを経験することが大好きなので、その点では良かったと思います。社会見学。
でもこんなインスタントなコミュニケーションを心の拠り所にしてしまうような人にはなりたくないと思ってしまいました。
もちろん、色々な接客様式のホストクラブがあると思う。一般論として主張したいのではなく、私の個人的な価値観だからホストクラブが悪いと言いたいわけではないです。
その日も雨が降っていました。本当に土砂降り。
けれども次の日、昨日の雨が嘘のように晴天で暑い日でした。
中学生の時に初めて情景描写を勉強した時のことを今でも覚えています。
私はきちんと厨二病の路線を踏んで成長していったので、天気と自分の気持ちを重ね合わせる遊びをしていました。
空模様も好きなのですが、空の色もとても好きで、色に感情を乗せるのか、感情がそうだから空色があるのか、どちらが先か分からないけれど一人でひっそりと楽しんでいました。

ホストクラブの男は極端な例ですが、身近でもインスタントな会話で満足できるような人はたくさんいます。
きっと彼らは知らないだけだと思う。
一晩醤油と生姜で漬け込んで、片栗粉をたっぷりまぶして、170℃の油でカラッと二度揚げする唐揚げのおいしさを。
だってレンジでチンしてすぐに食べることができる冷凍唐揚げの方が楽だもの。
だから私は語彙を、作品を、音楽を、経験を毎日積みたい。それが小分ながら私の心の栄養になるし、他者と充実したコミュニケーションを取る材料となる。
最近ではショート動画が流行していて、私もついそちらに流れて夜更かしをしたり数時間を無駄にしたりするのですが。

身近な友人とのコミュニケーションはとても充実していて、これからも友人らを大切にしようと思いました。
梅雨も、この鬱々々々々…とした気持ちもいつかは止むので。病んでる暇ないから!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?