いなくなること
先週、祖父が急逝した。
前日まで元気に農作業をして、夕食ではワインを飲んで笑っていたそう。
朝、トイレに起きてそのまま倒れ、心肺停止。
救急車で運ばれた。
妹が泣きながらかけてきた電話でそれを知った。
驚いて驚いて息がとまり、無駄にうろうろとした。
数分後に、か細い声で泣く母から懸命な処置も虚しく、一度も心臓は動かず、亡くなったと聞いた。
え、おじいちゃん、死んじゃったの?
自分が出した声を聞いて、現実が押し寄せた。涙が止まらなかった。
コロナ禍だから、緊急事態の民だから、万が一のことがあってはいけないから、そういい聞かせて長野に帰るのを我慢してきた。ずっと会いたかった。
それなのに、それなのに会わないまま、もう会えなくなってしまったのか。笑ってはくれないのか。「元気か。ちゃんと飯たべとるか。」電話でもわたしを心配ばかりしてたのに。
すぐに長野に向かった。とにかく、会いたかった。祖母や母のことも心配だった。途中でコロナの検査を受けて身体を消毒した。
マスクに防護メガネをかけて移動する。
憎い。新型コロナが。
行き場のない憎しみに胸が焼けつく気持ちがする。
そうしてやっと、やっと会えた祖父はまるで眠っているようだった。今にも動き出すかと。お願いだから。動いてよ。「良く来たなぁ。」って言ってよ。
倒れたときに打ったのか、痣が出来た祖父の顔をそっと撫でるとあまりに冷たくて、ああ、やはりもういないのだ、と思った。
前の仕事柄、息絶える人を何度か見送ったこともあるし、亡くなった人を見たこともある。
そう、いないのだ。
祖父の傍で泣いた。しばらく泣いて、祖父のいるひんやりした部屋を出たら、憔悴した家族がみんな泣いていて。
わたしは泣いている家族の前では泣くわけにはいかなかった。これから忙しくなる。わたしは気丈で前向きな娘でいなければ。
長野と関東をとんぼ返りして行き来している。
仕事も笑顔でこなす。
大人だしね。
でもひとりの移動中はずっと泣いてしまう。
いいよね。
寂しくてたまらない。
でもずっと一緒だ。
ずっと家族だし。
愛してくれて大切にしてくれた、可愛がってくれて、いっぱい思い出をくれたから、その記憶が、事実がきっとこれからずっとわたしの心を守ってくれる。
長野にむかう特急あずさの中でこれを書きながらまたわたしは泣いている。