恋愛乾燥剤と賞味期限。

昔から、フリフリのお洋服やモチーフなものが好きだった。『きらりん☆レボリューション』や『極上!!めちゃモテ委員長』のカードやゲーム、漫画でお洒落やモテ仕草の事始めを学んだJS(女子小学生)時代。『nicola』を読み込んでイオンモールのレピピやピンクラテのブランドに憧れたJC時代。『seventeen』を読みながら私服登校ならではの「なんちゃって制服」を思う存分楽しんだJK時代。いわゆる、世間一般で求められる”愛され”コーデとか”かわいい”に積極的に染まっていった少女時代だった。

中学も高校も共学だったから、いつも男子のまなざしを受けながら生活をしていた。そんなまなざしを意識してか、女の子達は毎時間トイレで前髪に命をかける(すべての人がそうではないのは勿論だが)。「勉強よりも見た目。」の意識がいつの間にか共通認識として存在していた。

女子のくせに勉強ができる優等生、部活は文化部といったスクールカーストではいわば”二軍”と”三軍”の狭間で生きていた自分だったけど、中学の頃には誰もが”一軍の頂点”と認める恋人がいた。「中学生の恋愛なんか...w」とかいう人がいるけれど、恋に年齢は関係ないんだってくらい恋愛をしていた。(少し古いが、sho-comiの『好きです鈴木くん!!』をイメージしてもらえれば説明が容易だ)高校でも部活と勉強に超絶必死すぎる生活でも想ってくれる人はいた。シーブリーズのキャップを交換するとか放課後や学校行事でデートするとか定期演奏会に来てくれるとか、絵に描いたような青春ができていた。振り返れば幸せだった。

ところが、大学生になった途端恋愛というものに全く魅力を感じなくなってしまった。別に非リアであることを悲観している訳ではない。辛い失恋をしたからもう恋なんてしない!という訳でもない(そういう時期もあったけれど)。”恋愛乾燥剤”が働いてしまっているのである。キャンパス内で手を繋いで歩くカップルを見ると「幼いなあ」と思ってしまう(ごめんなさい)。デートやご飯に誘われても告白されても、昔のように嬉しいと思えない自分がいる。そういうことを思春期に本気でしてしまったからなのかもしれない。恋愛絶頂期なはずの大学生になって、自分はすでに恋愛賞味期限を超えてしまったのだ。
「大学生は恋愛をすべし」というようなメジャーな考えに乗って、「初彼は大学のサークルで」みたいな感じだったら純粋に恋愛というものを楽しめたはずだ。他の多くの友人のようにインスタで恋人とのラブラブキャンパスライフを気兼ねなく投稿できていたはずだ。

『朝が来る』を読んだときに、今の自分の状況にやっと気づいた。本の中で、中学生で恋愛、妊娠、出産を経験した主人公が、自分の立ち位置と恋愛をしたことのない無垢な姉、真面目な母の立ち位置のギャップに苦悩するシーンがある。もし恋愛を後にしていたら...と嘆くのが自分に重なる。
別に、ロマンティック・ラブは近代になって主流になったことであるし、『逃げ恥』のようでもかまわないという考え方に半ば賛同しているからそれほど悲観していないのだが、どうしてもかつてのキラキラとした想い出があるとそれがもうできる気力も心の若さもない今が虚しくなるのである。

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