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男友達が多くて女の子には「推し」として存在していたという話。

今までずっと共学だった自分は、男子と同じ教室で授業を受け学校行事や課外活動を行ってきたわけだが、男友達が多かった。一方、女友達は少なかった。

同級生の女子と勉強や社会の話をするのは、どうしてもできなかった。勉強は自分が「教える側」。高校や大学という進路選択において自分と同じような選択をする女子はほぼおらず、同じ志を持つ者は男子がおおかった。だから自然と話をするのは男子になってしまっていた。(幸せなことに、それぞれの学び舎で女の子で親友といえる間柄の子には出会えたけど、それでも彼女達と話すことはコイバナやファッションなど”女子あるある”なものだった)
そんな状態だから、周りからは「男好き」とか思われる。でも仕方なかった。だって「なりたい自分」という真剣な話をする同志の女の子に巡り会えなかったのだもの。(そんなことは言えずに、泣き寝入りをする日々だった)

親友ではない女の子からは、自分は”推しの対象”として扱われた。童顔で低身長な私のルックスは女子にとって「愛でる対象」であったのだろう。遠巻きに「かわいい♡」と言われ、にこにこと自分は対応する。話が合わないから友達にはなれない、でも....という思いが、この”推し”という行為の一連に働いていたのかもしれない。

「友達」という概念は本当に難しい。学校の外で遊んだり、移動教室で一緒に移動したり、体育のペア活動でペアを組んだり、お弁当を一緒に食べたりという、いわゆる「同行者(いつメン)」が友達としてイメージされてきた。そんな同行者の意味では「友達」にはなれないけど、相手を承認するための手段として「推す」という行為があったと考えられる。

大学では「友達」という存在よりも一緒に活動をする「仕事仲間」という間柄になることが多くて、男友達/女友達という境界を引こうとせずに終わりそうである。でも、学部のゼミでかつての教室のような空気を感じると、自然と男子と議論しがちな自分に気づいて嫌悪感を抱くのである。

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