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同じ社会と違う階層とそれぞれの人生。

久しぶりに、中学の同級生と話す機会があった。成人式は行かなかったから、5年以上ぶりだった。その子の口から、こんな言葉がこぼれた。

「中学で一緒だった子が結婚・出産しだして出遅れ感がある」

正直、びっくりしてしまった。早すぎない?と。
自分が、東京のそれなりの大学に通い、卒業後は働いて30くらいで結婚などはできればいいよねみたいなのが”常識”になっているせいかもしれないが。現に、インターンや学生団体の活動で関わった10歳ほど上の社会人のFacebookには結婚や子どもに関する投稿が出てくるから、それが当たり前と思っていた。20代は自分のために使う期間と。

一緒に話していた子は、通常ならば県外の4年制大に通う子。受験なしの公立中だと、そのような同級生は滅多にいない。逆に、多くの中学の同級生は商業か工業高校に進んだ後に就職、普通科の高校を卒業後に地元の専門学校か短大、推薦で入れる私立の4年制大(いわゆる、受験界隈では”Fラン”と呼ばれてしまうところ...←こういう表現をしたくないが、分かりやすさを優先します..)だ。地元にいれば親等の家族のサポートが可能で人間関係も仕事も都会ほど流動的でない。だから20代過ぎには家庭を持つことを意識しだす子が少なくない。

もう多くの同級生とは「階層」が違うはずなのに、同じ屋根の下で同じことを学んでいた時期があると、”同じ”友達として過ごした楽しい思い出があればあるほど、その差異に気づけないのかもしれない。

この発言を、自分はこの1年半の地元での生活を重ねていた。正直、自分もその子のように結婚観で悩むことはなかったが、自分の立場では考えなくてもよいことを考えてしまっていた。

自分と同じ歳でシングルマザーとして子どもを育てている子がいる。大卒の人が働くとは言い難い環境で非正規雇用として働く子がいる。資格を持っていないからパート・アルバイト以外で就職できない知り合いがいる。社会進出できたところで、”いかにも女性的な職業”にしかつけない人がいる。

別にそれがかわいそうとか、逆に自分は幸せで恵まれているとか、いわゆるエリートが抱く偽善意識とかステレオタイプを書きたい訳ではないし、そんなこと思っていない、思いたくない。
ただ、そのようなことを家族から聞いたり、SNSで見たりすることで、自分も彼ら彼女らが抱いているであろう苦しみや悩みを感じてしまったのだった。
東京やロンドンにいたときも、そういう情報を目の当たりにはしていた。
でも、実際に地元に戻って生活をして「同じ社会の中で、かつて学び舎を共にした人たちが生きている」ことを実感すると、いたたまれなくなる。

同じと教育を受けたのに、違ったんだ。というショック。中学受験を親戚から強く勧められた時から、高校進学を考え始めた時から分かっていたけど、でも実際に直面するとしんどい。

本当だったら、知らなくても生きていけるのに。知らない方が楽かもしれないのに。地元に戻ってきたから直視するしかなかった。想像してしまった。

自分のInstagramを開くと皮肉にいえば愉快な状態だ。
ストーリーズに、絶対に一緒の立場にならない人たちが横に同じように並ぶ。
55階のホテルから見える東京の風景をバックにした5000円以上するアフタヌーンティーを右から左へスワイプすると、小さなアパートの一室で子どもがよちよちしている姿が出てくる。その次は、新規事業のローンチ報告。さらに次は、地元にできた焼き肉チェーン店で彼氏と一緒の写真。

社会は広いけど、本当はみんな同じ社会に住んでいる...はずなんだよな。と思う日々なのである。



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