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久しぶりにSNS上で投稿した話。

大学院への進学が決まった。だけど、かつてのように進路が決まったことを大々的にSNSで報告することは、すぐにはしなかった。

自分がSNSでつながっている人(≒今まで生きてきた中で関わってきた人)は同質というよりかは圧倒的に異質で、わかりやすく言えば様々な場所で生きている人だった。自分の投稿がマウンティングに感じられてしまうのではないか、誰かを傷つけてしまうのではないかという危機感を、この1年半のコロナ禍で抱いてしまったからだと思う。

一般人であっても、芸能人のように一気に大きな情報を流せてしまう仕組みの中で、自分が大きく見えてしまう恐ろしさを感じていた。別に自分は凄い人間ではない。別に自分は立派なことをしていない。でも自分の置かれた立場は、人によっては届かないものであり、”特権”ともいえる。そんなことに気づきたくなかったけど、気づいてしまった。

進学が決まった後、SNSで投稿する代わりに自分にとって大切な人たち個別に連絡をしていった。家族、インターン先のメンバー、中学・高校・大学それぞれの学び舎で仲の良かった人たち...。一人一人に連絡していく時間は確かに長かったけど、ああ自分はこういう人たちに支えられてきたんだなあと嬉しくなった。そして、自分の進路というものを報告することの大切さを身に沁みて感じていた。これは、「自慢」じゃなくて本当の意味での「報告」なんだと。自分の幸せを伝えたい相手がいるということのありがたさに包まれていた。

そんな充足感でいたかった。だけど、そんな親密な関係性の人だけが自分を見てくれていたわけでない。SNSがあったからつながれた人、お互い忙しすぎて直接は関わることができなかったけどSNSくらいの距離感で繋がっていたい人など、色んな意味で大切にしたい人たちにも自分の現在地を伝えておくこともしたくなった。この1年半、地元から出られない環境下で疎遠にならざるをえなかった人たちに、「私はここにいる、元気だ」と声を上げることがしたくなった。
一歩間違えれば「自慢」に見えてしまうかもしれない。だから文を何度も何度も推敲してpostした。

反応は、思った以上に早くそして沢山きた。久しぶりの投稿だったからかもしれない。(別に反応や承認は求めてないけど、単純な人間なのでやっぱり反応されると心が躍ってしまう。)
前、インスタを辞めたときは「辞めたことに気づかなかった」という声の方が大きく聞こえたのに。不思議だ。

物事は捉え方で変わる。それに尽きる。ひとまず、半年ぶりに投稿というものをしてみた女子大生としてはなんだか久しぶりに抱いた嬉しい感情があったことは確かだった。



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