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珈琲日記#15留学時代の友人と彼女の帰国前に地元のカフェで話した話。

M1の夏休み。修士論文の研究テーマを固める上での事前調査と先行研究の整理を行っている中、留学時代に仲良かった友達に地元を案内をした。

彼女は、去年の秋から日本の大学に留学していたが当分オンラインでの留学だった。そこで今年の春に日本にやっと来られて現地での留学生活を楽しみ、もうすぐ帰国..という中での案内だった。

まさか、ロンドンで一緒にケルト音楽を演奏していた彼女と地元を歩いているのはとてもシュールだった。
かつて、「こんなところ、出ていってやる」と必死に勉強をして東京や海外を目指した場所にいる自分。「出ていってやる」と必死に努力をした後に東京の大学に進み、さらにそこから飛び出してロンドンで生きた自分。

都市社会学・地域社会学を専攻して地元をその学説に照らし合わせて考える機会が増えた学部4年から今。その中で考えたことを「還元する」には周りの人に地元を案内するのが手っ取り早い。

観光協会はこんな風に言っているけど、実際はね...という地元に生きていないと分からない裏話とか、ここは今こんなかんじだけど私が高校生の時はね..と自分の過去のエピソードを絡めてその土地の記憶をお話するとか。都市に関心のある子がおおい学部のゼミだったから、何度か地元を案内したりおすすめスポットを紹介したりしたけど、かなり評判がよかった。

かつて何度も乗った電車にゆられて、この駅がある地域はこうだと久しぶりに英語で話す。
彼女はなるほどと聴いてくれた。

自分が好きなカフェに入って彼女とコーヒーを飲んだ。
このお店は、オーナーが学生時代を過した街で海外生活を経験した後に開いたカフェ。なので、既存の日本のカフェよりもどこかしら欧米の雰囲気がある。
ドリップコーヒーの豆も10種類くらいから1つ選べる。ドイツ生まれフランス育ちでイギリスのルーツをも持つ友人曰く、このお店の看板メニューのプリンは”Japanese culture”らしいけど。
コーヒーを「珈琲」と書くのは京都のカフェが多かったと帰国前に日本各地を旅している彼女は話していた。一方、このカフェは欧米風だから「コーヒー」だねと私は返す。”Yeah, it’s a western style”と。

ここに来るのは5回目だけど今まではプリンが売れ切れていて全然食べられなかった。けど、どうやら今回は売れ切れていないとのことなので、彼女と一緒に食べた。
日本のスイーツが大好きな彼女はとても喜んでくれた。

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ロンドンで”L”の発音を頑張るためにカフェに行ってラテを頼みまくっていた頃を思い出した。ラテを飲みバナナケーキを食べながら、自分どうやってロンドンで頑張ろうかと悩んだ頃を思い出す。

先週まで行われていた夏季集中の社会心理学の授業で自分の価値観を整理する時間があったのだけど、自分は留学で色んな事が変わったりダメージを受けたりしていたんだなあと先生のフィードバックも含めて実感した。
ロックダウン当日に戻ってきて、しかも戻った先は東京じゃなくて地元で。ジェンダーや社会に関して自分にとって居心地の良い距離の取り方を知って日本に戻るとかなりしんどくて。半年しか離れていなかったはずなのに、日本に再び適応することは難しくて。

この記事、①になってるけどこれ以上はしんどくて書けなかったのが本音。

もう出発して3年が経とうとしているようだけど、やっと留学時代の記憶や考えを整理できたのがその授業と今回の地元案内だった。

もう、23歳とかで。高卒で働く中学の同級生は結婚したり2人目を妊娠したりと「大人」としての役割を果たしている。高校や大学の同期だってそれなりの企業や官公庁、学校で働いて自分の足で社会を歩いている。
車の免許も持たず、未だに学生な自分は焦る。自分のやりたいこと/使命(表現がおこがましい)は研究すること、地域と向き合うことだと、もう割り切っているつもりなのに。まだ就活の話を聞いてしまうし、時間が空いたら業界..と色々調べちゃう自分がいる。
自分は地元にいなくてもよい存在なのに、地元のことを考えてしまうことに罪悪感を抱いている自分がいる。
自分の思い込みに囚われている自分がいる。

自分の立場を自分の属する社会構造の中で確立ができていないから不安なんだと思う。確立できないという客観性があるから社会学できるのだけど、それに対して自信が持てない。

もちろん、これを書いている今だって不安だ。でも、今回の地元カフェで帰国前の友人とコーヒーを飲み、会話をする中で、自分の記憶と「いま・ここ」を整理することで落ち着いたことはあった。

ヨーロッパで生きる彼女と一対一で日本のカフェでお茶をするなんて、もう二度とないかもしれない。この瞬間を大事にしないといけないんだって、改めて思った。

スマホ一つで色んなものが加工できちゃって、行きたい場所に行けて、色んな情報が溢れる中で、「瞬間」を大事にすることができなくなっている今。(情動の時代とかいうんだけど、SNSの「いいね」やTLに流れる投稿、レコメンドされる動画、広告って瞬間や瞬間で感じる情動をもお金にしようとしている..)
もう。この時間は戻らないんだということを強く実感させてくれるのは、留学なのかもしれない。コストを払わないとそんな瞬間の大切さに気づけない社会に悲しくなって、でもそんな社会と向き合うことが私のやりたいことなんだよなと気づいた、そんな日。



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