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ドギョムに出会ってから世界が変わった話

ドギョム〜〜〜!!!!センイルチュッカヘ〜〜〜〜!!!!!!!

ドギョムの誕生日なわけなので何か残したいなと思い、書き始めたけど着手したのが誕生日前日。多分間に合わない。し、ちゃんとした文章を書く気力も体力もないので、適当にドギョムに出会ってからの約半年間を書き綴ってみるよ!


出会いは2022年の9月10日。大学時代の友達と、以前から推し会と称して各々の推しについて語る会を開催していたのだけど、そのなかの1人から「今日YouTubeで過去コンサートの無料配信やるから、良ければ見てみて!」とLINEが来た。

SEVENTEENだよね〜〜人数多めのアイドルグループだよね〜なんか背のちっちゃいかわいい子いるよね〜〜 程度の知識でとりあえず見た。

……

………

こうなりました。

なんかあまりにも沼に落ちるスピードが速くて自分でも笑ってしまった。もともと私はアイドルという存在が苦手だったタイプで、本当に!本当にまさか自分が「男性アイドル」にハマる日が来るとは思ってなかった。

なんだろう、「かわいい」のハードルはわりと低いんだけど、「かっこいい」ってすごくハードルが高いんですよね。TWICEやITZYに一時期少しだけハマったときがあって、その時もまさか「自分がK-popを好きになるなんて……!」とびっくりしたんだけど、やっぱり男性アイドルに対する「ちょっとまだ壁あるかも」感は拭えてなかった。
その壁を、突如としてバーーーーーンと突き破ってきたセブチ…………。

私はセブチの中でも最初からドギョムにしか目が行ってなかったので、ひたすらドギョムのチッケムを見ていた。

ちなみに、最初に見たコンサート映像の配信でドギョムを見たときは「脚長いな」「背高そうだな」「すらっとしてるかな?」「なんか大人っぽそうだな」「わりと年長組なのかな」と思ってた。いい意味であんまり合ってなかった。
それでも好き!!

みんな大好きHOTのチッケム

白タートル&ロングコートの組み合わせが素晴らしいロキジュのチッケム

ハマりたての頃は一生これ見てたかも。というか、いくら見ても見ても見足りないということはない。という状態だった(翻訳語っぽい)

恐ろしいのは、どうしてこんなにもドギョムに対して「かっこいい……」と思うのか理屈がわからなかったところ。今までの私は、どちらかといえば細身でスラッとした人(例:羽生結弦さん)みたいな人を好きになりがちで、それこそセブチで言えばハオくんみたいな人を好きになるはずだった。のに…のに……

どういうところが好きなのか全然わからないのに、ただただ「この人が好き……」という気持ちだけが募っていってしまい、ただひたすらに怖かった。

そんなことを言ってたらドギョムのソロ動画が出たよ

出会って(出会って?)5日とかだったと思う。このときすでにweverseのアカウント登録をして毎日のように来る通知と供給に恐れ慄いていたし、Twitterでセブチのオタクの皆さま(CARATの方々)をリストに入れてひたすら監視していたので、情報がいち早くやって来ていた。この動画があがる前も、ティザー写真が出て「ピンクのマイクだからボカチの誰かでは……?」と囁かれているのは見てたけど、まさかピンポイントでドギョムが来るとは思ってなかった。

存在を知ってからまだ数日しか経ってないのに、3分39秒ドギョムを堪能できる動画に圧倒的「幸」を感じてしまい、自分で自分が理解できなかった。

新しい感情を知ってしまったわけだよね


そんなときにこの画像に気づいてしまったわけです

ね〜〜〜〜〜〜💢💢💢好き(泣)(泣)

良すぎたのでCARATの友達(私にコンサート配信を教えてくれた子)に聞いたら、「Attaccaってアルバムのop.1についてるフォトブックに載ってるよ」と教えてくれた。それは買わなきゃじゃん!てかop.1て何????

ここで初めて私は学んだんですが、どうもけーぽのアルバムって複数バージョン売りが当たり前らしいんですね。Attaccaで言えばop1〜3のバージョンがあり、かつそのop1も3種類ランダムから目当てのドギョムが載ってるバージョンを引かないといけない。

3分の1かあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜

うーーーん、うーーん、、、、、



買った。

セブチにハマってから、たまたま持ってた
小規模アカウントの親しい友達を4人とかにして
うるさくストーリーを更新し続けている

ちなみに、ドギョムは出なかった。

やっぱ3分の1でも難しいんだな〜〜〜〜て思ったよ( ;  ; )
しかも、生まれて初めてトレカというものを手に入れたのに、まじでどこにもドギョムがいない(トレカ以外の特典も合わせると、エスクプスは3枚くらい来た あたしのこと好き?)

追加で買うのも、被っちゃうと怖いしな〜〜〜〜の気持ちで、どうしよ どうしよ……


……


まあ買うよね

友達から「勢いがすごい」と驚かれた

このときは特典のクソデカクリアカード?みたいなのがドギョムで、開いた瞬間にドギョムがいたのでまじで死ぬかと思った。そして開いたらボカチだった。DK……!!!!!!いる…………!!!!!!

写真集に狂わされるのも人生で初めてだったけど、ほんと〜〜〜〜にたのしい!ページをめくるたびに「美」がそこにある。何を見てもどんなに見ても「ドギョムの顔が好き……😭😭」になってしまうので、顔が好きって本当に恐ろしい。

ちなみに、このとき初めて自力でドギョムのトレカを引きました♪♪

この日はたしか運命的な日で、ドギョムを「推し」と認識できた日だった。

というのも、こんなに好きで好きでグッズにも手を出しているのに、どういうわけか「これは本当に"好き"と呼んでいいのか……?」と疑っていたんだよね。ここまで振り返るとものすごいスピードでハマってたわけだけど、もともと私、何かを好きと自覚するまでにものすごく時間がかかるタイプだったし(羽生結弦さんに関しては「特別な存在」と自覚するまでに数年かかっていた)

抗えないほどに「好き」で、毎日動画や画像を見るだけで楽しくて楽しくて仕方がなくて、これまでにない感情はがりで、脳の処理が追いつかなかったんだと思う。

あとは、「今さら好きになってしまった」という負目がすごかった。

セブチの存在は大学時代に友達から教えられて知っていた。動画も見た。たしかHITがリリースされた後くらいのタイミングで、こんなに激しいダンス踊るの?!って驚いた記憶がある。

私はちゃんとセブチに出会っていたのに、あのときは彼らの良さに気づけなかった。もし気づいていたら、あのカムバもこのカムバもリアルタイムで追えたというのに。

と思いつつ、「あの頃の自分では無理だったろうな」という自覚もあった。前述した通り、アイドルそのものが苦手だったので。かっこいい、というのはわかるよ。でもそれは「私のためにあるもの」ではないな、と思っていたし、どこか遠くの、無縁の世界だった。「かっこいい」という感情には心からのかっこいいと他人事なかっこいいがあって、私は後者のかっこいいしか知らなかったんだよな。

ちょうど私がセブチにずぶずぶとハマった時期、BE THE SUN(コロナで延期になっていたがやっと開催が決まったセブチの日本ドームツアー)のチケット当落が出たタイミングというのもあって、SNSの「新規が〜古参が〜〜」という話題も目にしていた。なんか、ほんとなんで今さら好きになっちゃったんだろ。都合良すぎないかな。でもこうなるしかなかったんだよな……の無限ループ。


そんなことを考えていたとき、ボカチのユニット曲の1つ、Pinwheel(Japanese.ver)を聴いた。退勤後の電車で、日本語だから歌詞を見ずともすっと内容が頭のなかに入っていった。


君を待つその間
遠く遠くを見てた
冷たい風が吹いてた

小さな風車
ぽつりと立っていた
誰か待ちわびてる
まるで僕みたい

息切れするほどせわしない
日々のせいで離れてしまったと
言い訳するのは
僕はわるくないんだ
ってごまかすのはなんだか
言葉にできずに
ただ立ちつくしていた

遠い未来の 君を待ってる
いつまでも風に吹かれながら
巡り巡って いつか君が
また僕のもとへ来てくれれば
遠い未来で

元々は韓国語の曲だから、日本語にしたらどうしても抜け落ちてしまう言葉はあるんだろうな、というのは一旦置いておいて。この歌詞。離れてしまった恋人(と限定しなくてもいいが、誰か大切な人)を待っている曲とも捉えられるけど、私はなぜだか「こんなにも私のためのような曲が存在していいのか……?!」と思ってしまった。とくに、「遠い未来の君を待ってる」という歌詞が好きだ。

このフレーズを初めて聴いたとき、ぼんやりとだけど、「ああ、SEVENTEENのみなさんって、あのかっこよさを私が真正面から受け止められるようになるまで、ずっと待っていてくれたのかもしれない……」と思えて。そんなわけないんだけど。でも、今からでも好きになってもいいんだ、と私の中ではうまく決着がついた気がした。

風は冷たくないかい
すれちがう人々が
それだけで過ぎ去ってく
どうせ忘れてしまうのに

ここも好き。数年前の私は、上辺だけで寒くないかと問いかけるだけの人、ただそれだけで目の前を過ぎ去ってしまうだけの人だったんだな、と思う。ただ通り過ぎるだけの人も沢山いるからこそ、足を止めて、自分の存在に気づいてくれる人、じっと見つめてあたたかい言葉をかけてくれる人が、どれほど大切なのか。そういうことがなんとなく伝わってくる気がする。

時間が君を隠して
連れ去ろうとしてる
二度と君に会えないって
弱気になるし 怖いんだ
忘れてゆくことが

ここ、初めて聴いたのに泣きそうになっちゃった。電車の中で必死に顔繕ってた。(そのあとのフレーズでウジくんに「泣かないで」と歌われるものだからたまげてしまった)

気持ちってなまものだから、ずっと同じままあるとは限らない。私がいま好き!って思ってることも、いつかはそうじゃなくなってしまうかもしれないし、生きてる限り「失う」怖さはそこにあり続ける。ほんとに、ほんとにちょっとした些細なことでも、「忘れる」って怖い。その怖さを、こうやって歌ってくれてることに感動した。

どういう意味を込めてこの曲を作ったのか、それはウジくんに聞いてみないとわからないけど、ただ1人のリスナーとして思ったことを書き連ねるならば「いまの人気がいつまで続くかわからない、いつ人々が離れていくかもわからない。それでも、自分の存在に気づいてくれる人をずっと待ち続けるし、離れてしまった人に対してもずっと戻ってくることを信じて待ってるよ」というメッセージな気もして。

私も、こんなに熱中してるのに心のどこかでは「この熱が冷めてしまったらどうしよう」と思っている節があって。でも、この歌を聴いたら自然と「ああ、もしこの気持ちが冷めてしまっても大丈夫なのかも、そのときは時間の流れに身を任せて、いつかまた、真っ直ぐに"好き"と思える日が来るのを待ってもいいのかも」と安心できた。

そういう感じで、ちょっと複雑に考えていた気持ちも整理できて、ただただドギョムが好き・これは紛れもなく「好き」の感情なんだ、と受け止めることができた。


なんか書いてたらよくわからなくなっちゃった。時系列を追うのも大変なのでもう少しだけ何か書くとしよう。

ドギョムの好きなところ。

これはずっとずっと私が考え続けていることだけど、いまだにちゃんとした答えがわからない。この「わからなさ」を含めて、好きでいるような気もする。

ドギョムを好きになって驚いたこと。

毎日びっくりするくらい幸せを与えてもらっているところ。

オタクの昂りとかではなく。ドギョムに限らず、セブチのみんなはいつもいつもファンに幸せを届けてくれる。

それは、「寒いから暖かくしてね」だったり、「おいしいものいっぱい食べてね」だったり、「体に気をつけてね」だったり。

それまでの私にとっての「推し」は、ただ一方的な愛をぶつける相手だった。一方的に好きになって、一方的な理想を押しつけて。重荷だよな、重荷なんだろうなって、思っていた。わたし個人は小さな存在でも、それが何百人、何千人、何万人となったら、ファンというのは聞こえがいいだけで、自分は推しを苦しめている人間の一人なのかもしれないと心のどこかで考えていたし、そういう「苦しみ」も含めて「推す」ことだと思っていた(自傷行為みたいだ)。

ドギョムは違う。「僕も幸せだからみんなも幸せでいてね」と言ってくれる人。「推す」という行為は苦しみではなく幸せを伴う行為なんだと教えてくれた人。恋人でも家族でもなく、何か言葉には表せられない「愛」があるのだと教えてくれた人。

ずっと、「何が好きなのかよくわからない」と思っていたけど、この半年間でそれでも少しずつ、ドギョムの好きなところがちゃんとわかるようになってきた。

年明けやCARATの誕生日、何かイベントがあったら日付の変わるタイミングで長文のコメントを更新してくれる律儀なところ。

コンサートやサノクがあったら、「今日来れなかった人もありがとう」と言ってくれるところ。

ファンに「ちゃんとご飯食べてる?!」って心配されたら「心配しないで!CARATもご飯たくさん食べてね」と返してくれるところ。

レコーディングで、「もっと上手くできると思います」「ここはもっとこうしたら良くなりそうなので、もう1回やらせてください」と発言するところ。

「好き」の全体像はもしかしたら一生かけてもわからないかもしれないけど、「好き」のかけらは、こうして考えてみたらそこら中に広がっていた。

多分、こうやってドギョムの好きなところがこれからもたくさん増えていくんだろうな。ドギョムが、愛に囲まれて幸せに過ごせていたらいいな。

本当は言葉にできない気持ちがもっともっとたくさんあるのだけど、これくらいにして締めくくろう。

ドギョムが幸せな日々を送れますように!愛を与えてくれるドギョムだからこそ、たくさんの愛に囲まれて過ごせますように。

💙