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略歴

1974年(誕生〜中学生)
京都市内にて、
パタンナー兼デザイナーの母とそれを具現化する役割の父の元に誕生。

物心つくころにはもう針と糸が入ったお道具箱を持っていたので、おそらく3〜4歳くらいから自己流でお裁縫をしていたと思われる。
現代的なおもちゃには全く興味はなく、ハサミと段ボールとガムテープが大好物♪
たまに買ってもらえる色鉛筆や絵の具や粘土を宝物としていた。
お小遣いは全て、和菓子とぬいぐるみと画材やお裁縫道具に投入するため、おそらく「おたく」のジャンルだったのではないかと思われる(笑)

幼少期から中学生まではお友達少なめ系女子。夢は発明家💡それが無理ならデザイナーかパティシエになればいいやと簡単に思っていた(笑)
中学生にもなると夜活はお菓子作りになり、母からの海外みやげのフランス語やドイツ語のレシピ本の写真だけを見て、その味を再現したつもりになっていた(笑)

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1989〜1991年(高校生)**
京都成安女子高等学校 美術コース 入学  日本画専攻→デザイン専攻

高校1年生でギャルバン(女の子だけのバンド)を結成し、日々ライブにあけくれる(笑) このときライブイベントを企画し、その面白さを実感。高校生の間に何回もライブを企画しFANもたくさんついてくれた。
集客の仕掛けを考え、お客様が喜ぶ企画を立て、結果が伴った時の喜びは今も忘れられない✨

手作りしたのもを売ることにも目覚め、フリーマーケットに出るようになったり、お友達から「彼氏への彼女からの手作りプレゼント」のゴーストクラフターも請け負っていた(笑)←秘密だよ(笑)

1992〜1995年(大学生)
神戸芸術工科大学 ファッションデザイン学科 入学  オートクチュール専攻
(ほんとはジュエリーデザインを学びたかったんやけど、親の意思を反映し)
校内でファションショー+αなイベントを企画運営(×3回)し、めっちゃ楽しかった

この頃の一番の衝撃は、
大好きだった恩師に『君はファッションデザイナーには絶対になれないしなっても成功しないがセンスだけは一流だ』と授業のたびに言われていた事。恩師曰く『地味系女子を輝かせたいと思っていないから』だそう。。。「どうせ私なんて...だったら同じ悩みを持つ女子に輝いほしい!」みたいなハングリー精神がなさすぎるから無理!との見解だった。
今になって、そうだなって思ってる(笑) だからファッションデザイナーを辞めたのは正解だった。だからハングリー精神ではない「センス」という切り口で今はモチベーションを保っているし、お客様にも受け入れられつつある。今はもう亡き恩師やけど、ほんとに感謝している( ˘͈ ᵕ ˘͈  )

1995年 1月(20歳) 
学校へもなかなか行かなくなり、ジャズライブなんかを見たりお酒を飲んだりと夜遊びを繰り返していた頃
神戸市長田区で一人暮らしをしていた時に阪神大震災に遭う
が、たまたま彼氏(現 夫)が泊まりにきていたため、壮絶な中でもそれなりになんとかしてくれた。3日間の避難所生活の後、親戚がお迎えに来てくれて京都の実家へ帰還。←ここが人生の転機

1995年 後半(21〜24歳) 
大学を辞め、結婚し、第1子となる娘を出産
ファションデザイナーとしてフルタイムで働きつつ、夜活でアクセサリーを作り、雑貨屋さんで販売してもらっていた。地元演歌歌手さんのステージアクセサリーもオーダーいただいたりして充実してたな。

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1998年(24〜32歳ごろ) **
第2子となる息子を出産
2児を育てながら、海外出張もあるフルタイムの仕事をしながら、さらに夜活をして休日にフリマに出たり雑貨屋さんに納品に回るような生活に限界を感じ、一旦 副業としてのハンドメイドをやめることに。
お陰さまでお仕事はバリバリこなし、毎日めっちゃ忙しくてめっちゃ楽しかった♪
自らのブランドを立ち上げ、ファッションショーの企画からデザインまで全て手がけさせてもらったり、海外進出もさせてもらい、充実しすぎてやばいくらい(笑)

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2005〜6年ごろかな(32〜35歳ごろ)**
子育ての中で、ママ達とのコミュニケーションや仕事での関係性に疲れ、その頃は立ち上げたブランドもあまり軌道にのっていなくて…、子育てに専念すべく、全てを放棄し、一旦お仕事をやめることに...
その前後2年間くらいは家でできる仕事として、頼まれた時だけのイラストレーターやプログラマーをやってたりね。当時はまだホームページを作れる人も少なく、簡単なことだけなら自己流でできたので、ぼちぼち勉強しながら家でお仕事してました。

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2009年〜2010年ごろ(35〜36歳ごろ)**
病み期(笑)。。。子育てに奮闘しすぎて病み期突入(笑)
かなり心の凹凸が激しく、家族にはとても迷惑をかけていた。それがまた自分を責める材料となってしまい、負のスパイラルに落ちていくこと約2年間。
処方された薬も自分に合わなくて... このままではどうにもならないと思い、災害ボランティアとハンドメイドをほぼ同時に始めてみた。→ 結果、徐々にではあるけれど改善されていき、身体に合う薬も見つかり、薬さえあれば今はもうほぼ大丈夫♪

この「子育て奮闘期」、なにが奮闘だったかと言うと…

上の子 娘が小学生の頃、クラシックバレエ・茶道・テニス・英語を習いながら、モデルのオーディションを受けたいとか言い出し... (全て娘の意思)
下の子 息子は 少林寺拳法と英語を習っているのに、野球部に勝手に入部してしまって...
まぁ、子供達のやりたいことは全力で応援したかったし、ここまで良いとして...
問題は少年野球でおきたわけです。いわゆるありがちなお茶当番とか送迎とか、そう言うのはいいんです。親の役目やから。でも問題だったのは周囲のママだった(笑) 息子が学年キャプテン、私が学年代表と、同時に選ばれてしまってからは、監督コーチとママの狭間で右往左往する日々。今となっては貴重な体験だし、みんなのこと仲間だと実感しているけど、スポーツのことを何も知らない私には、かなりキツイ試練でした。野球だけなら乗り越えられたかもですが、他の習い事もあり娘もいて... なんせ、てんてこ舞いな日々だったのよ。(顔出しして書いてるので、これ以上詳しくは書きませんがw)
でも、この頃に「素直」になること「誠実」でいること「頼る」ことの重要性「信じること」などなど、今大切にしている理念のようなものの軸が形成された。
初めて他人を尊敬したのも、この頃。

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2010年10月ごろ(36歳〜)**
専業主婦をしているのにも飽きてきて(笑) ぼちぼち働こうと思ったのだけど、体調が安定せずお勤めに出ると周囲に迷惑をかけると思ったのと...
例えばレジ打ちやホール係や皿洗いとかって、私やりたいの?って自分に問うてみたら...もちろん答えはNO!  だからと言って前職のデザイナーに戻るのもつまらない... それに就職活動もしんどいやん(笑) って事で、
主人の仕事も安定していたため、体調が安定しない私が必死に働くこともないなぁ... まだ息子も中学になったとこやしなぁ... と考え、「ハンドメイド」のお仕事を再開することに。
この時、だらだらやるのではつまらないからと思い「3年で自立する(私ひとりが生きれる分を最低限稼ぐ)」という目標を立てた。もちろん月の収入金額も設定し、道筋もできるだけ具体的に描いてからのスタート♪ スタート資金は約1〜2万円とし、これ以上の家計からの持ち出しはしないと決めた。←決して主婦のお遊びとは言わせないぞ!という決意の表れでもあった。
(この9年で一度だけ主人に5万円借りたけど(笑)それもすぐに返済して、今でもこれを守っている)
ハンドメイドを再開して半年後にはもう手づくり市に出展し、作品を販売する生活になる。

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2013年11月ごろ(39歳〜)**
手作り市やハンドメイド系雑貨店だけで販売することに疑問を感じ始め「私の手作り作品を取り扱ってくれるお店はないかな〜」とネットで探していたら、たまたま目に入ったサイトで『新しくオープンする百貨店での期間限定の委託販売してくれる作家さん募集』的なのを見つけ、すぐさま応募。
なんとか審査に通過し、あらなた売り場を見つけることになる。
初めての百貨店販売は惨敗で(笑) 思うように売れないだけでなくお客様にも罵倒されたり(笑) 散々な結果になったのですが、良いお客様との出会いや優しいスタッフさんのおかげで、売り場に立たせてもらったのがとても楽しくて♪ 「私の生きる道(作品に似合う売り場)はここじゃないか?」と思い、百貨店への販路を探すことに決めたのが、この時。
ここから3〜4年かけて実績を重ね、やっと2年ほど前から希望のお仕事をいただける機会が増えている(*˘︶˘*).。.*♡ 

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2014年6月ごろ(40歳)**
少し前に出会った20台前半の作家さんと美大生数人が「車がなくて参加できないから、一緒に手作り市にシェア出展してほしい」と言ってきて。
彼女達は私の車とテントやテーブルが目当てだったけど(笑) 楽しそうなのでその提案に乗ることに!

この頃は月に2〜3回、シェア出展していたため、どんどん仲間が増えていき、当時の仲間の一部の方々には、今だにお世話になりっぱなしです💦 いつもありがとう♡︎

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2014年11月ごろ(41歳)**
お友達のイベントのお手伝いに行っていた日、Facebookで知り合った作家さんが「イベントをやりたいので手伝ってもらえませんか?」と、会いに来てくれた。連絡をいただいた時はなんの気なしに会う事を承諾したのですが。会ってみて『きゅん♡︎』ってなった(笑) 見た目ほぼ同い年の女性なのに、なんと純粋でなんと一途なことか!(⊙︎ロ⊙︎) と驚いたとともに、この人となら楽しいことができると確信✨

この出会いが後に、私のコミュ障を劇的に改善していくことになる(*˘︶˘*)

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2015年6月ごろ(41歳)**当時一緒に活動していた仲間のひとりに、自身のハンドメイド系雑貨店の集客に悩んでいた人がいて「うちのお店の集客に繋がるようなイベントをしてもらえませんか?」と相談というか打診があり...
ちょうどイベント企画っぽい活動を始めて1年が経っていたので「1周年記念イベント」と題し、その京都の端っこにある小さな店内に、全国から作家さんの作品を集めて販売するイベントをやってみたところ、思わぬ反響をいただき、大盛況になる♪

当時ハンドメイド系のイベントといえば、作家さんが直接手売りする手づくり市やマルシェ形式のものが多く、作品を委託で預かる形は、雑貨店を経営しているお店でしかやっておらず、店舗を持たない個人(私)のような人がやるイベントではなかったのですが、面白そう♪だけの理由でノウハウもなくやっちゃったのが、今のお仕事スタイルの原型。

その後、カフェでのイベント開催を経て、今では定番の場所となっているショッピングモールからもオファーをいただくことができ、今年(2019年)は百貨店からもオファーをいただけて、とにかくオファーをいただいた時はビビったけど「楽しそう♪」「やっちゃえ!」だけで乗り越えてきました(笑) 

もちろん、ただの個人事業主の私がたったひとりでこれだけのことをやってのけた訳ではなく、この数年で私の仲間になってくれた貴重な作家仲間たちと共に進んできました♡︎(みんなありがとう大好きだよ♡︎)

と、言うことで
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nats
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