J-POPアーティスト“ときのそら”の確立と成熟 ―「ON STAGE!」リリースに寄せて

2020年10月21日、ときのそらの3つ目のタイトルにして2ndアルバムの「ON STAGE!」がリリースされました。活動3年目を迎えた彼女の「いま」をこのアルバムから捉えていきたいと思います。

本作全体を通して抱いた感想は主に2つ、「J-POPアーティストとしての確立」と「彼女が持つ種々の概念の融合による“ときのそら”としての成熟」です。各曲を追いながらこれらについて解説していきましょう。
1曲目「Stap and Go!!」は、同じく多田慎也氏作詞作曲の「コトバカゼ」とも近い現代的都会的でポピュラーなポップスに仕上がっています。社会に生きる数多の人々を広く勇気づける歌詞は、数々の困難や挑戦を乗り越えてきた彼女が歌うことによってより説得力を持って伝わってきます。
2曲目「Chu-Chu-Lu」は落ち着いたほの甘いラブソングです。こちらも現代的なポップスでありつつ、少女性では無くお姉さん的な女性の包容力を描く歌詞はどこか80年代以前のアイドルシーンを思い起こさせます。と同時に、ときのそら自身が活動初期に「ママ」や「お姉ちゃん」と呼ばれていたその包容力や、その彼女が20歳を迎え大人になったことも踏まえると、ある意味でとても彼女らしい一曲とも言えるかもしれません。

冒頭2曲を見てみたとき、まず感じたのは「J-POP」性です。2曲とも聴く対象として、必ずしも彼女のファンだけでなくもっと広い一般的な人々に伝えられるよう作られており、こうした性格はアイドルソングというよりまさしくJ-POPであると言えます。
そしてもう一つ、「彼女が持つ種々の概念の融合」が挙げられますが、これについては前作ミニアルバム「My Loving」についての感想記事である拙著「アイドル、シンガー、ときのそら ―「My Loving」リリースに寄せて」での考察を踏まえての感想になります。具体的には、その記事の中で私は、彼女は複数の概念―「アイドル」、「シンガー」、そして「ときのそら自身」―を持っていると指摘しました。「My Loving」において例えばこの曲はアイドル的であるとかこちらはシンガー的であるとかというふうに、アルバム中で曲ごとに彼女はその多様な面を見せてくれていると感じたのです。ところが本作「ON STAGE!」ではそうとは限らないと感じました。というのも、例えば1曲目「Stap and Go!!」は人々に広く訴求できるポップスであり彼女はそれをシンガーとして歌っている(つまり究極的には他のシンガーが歌っても変わらない)という側面がありますが、しかし先述した通りこの曲はときのそらが歌うからこそ付加価値的な意味が生じてもいます。2曲目「Chu-Chu-Lu」も同様で、ポップスとして(=シンガーが歌う曲として)曲単体でも充分に意味を成しますが、アイドルが、そしてときのそらが歌うことでより意味が深まっていると言えます。このように本作「ON STAGE!」では、アイドルとして、シンガーとして、そしてときのそら自身としてという種々の概念が融合した“ときのそら”という存在が歌うことで、曲が深みを持って形作られているのです。

こうした構造は以降の曲でも見受けられます。3曲目「リア/リモシンパサイザー」は全体的なサウンドや1番の歌詞が全盛期のサザンっぽくありつつ間奏がT-squareのようなシンセであるなど90年代ポップスシーンを思い起こさせる曲調でありながら、「リアルとリモートを選択」という歌詞はバーチャルアイドルである彼女ならではです。4曲目「ブルーベリームーン」はロック調で語りや体言が印象的な歌詞はどこか00年代後半~10年代前半のJ-POPやアニソン、ボーカロイド初期を感じさせ、彼女がこの時代のボカロ曲を好んでいることが思い出されます。その上で、『あなた』に寄り添うという歌詞の内容や『ここにいるよ』というフレーズは、確かにときのそら自身を彷彿とさせるのです。

さて、このように全8曲中前半4曲は「J-POP」が強く意識されていると感じました。そしてこれらを歌い上げたときのそらは、ここに「J-POPアーティスト」としての確立を見たと言えると思います。そして同時に、先述したように彼女は自身が持っていた「アイドル」「シンガー」「ときのそら自身」という要素概念を三位一体に融合し、一個のアーティスト“ときのそら”として概念的な成熟を為したのです。
さて、そのように「これからのときのそら」という劇的な展開を見せた前半に対して、後半4曲ではファンを安心させてくれるかのように「これまでのときのそら」が描き出されています。

5曲目「空祭り」は文字通り祭りの囃子のような曲ですが、これを聴いて感じたのは彼女の「煽り」を描き出した曲なのではないかということです。と言うのも、ときのそらはアイドルとして数々のライブも経験し、その中での彼女の観客への煽りによる盛り上げは一級品であると思っています。その「煽り」のパフォーマンスを抽出し「祭り」という概念に翻案したような印象を受ける、まさにライブで盛り上がりそうな一曲になっています。6曲目「ぐるぐる・ラブストーリー」はこれまでのアルバムにも必ず1曲は入っていた全力のアイドルソング(「My Loving」では「フレ―フレーLOVE」、「Dreaming!」では「好き、泣いちゃいそうだ」)といった趣で、アップテンポでツンデレな女の子の恋を描く歌詞は正統派アイドルらしいかわいらしい少女性に溢れています。7曲目「マイオドレ!舞舞タイム」はSEGAの音楽ゲームmaimaiとのタイアップで、これでもかというほどコマーシャルな曲に仕上がっていますが、このような曲を持つというのもメタ的な視点でアイドルらしいとも言えます。

そして8曲目、本作のトリを飾るのはときのそらが自ら作詞作曲を手掛けた「青空のシンフォニー」です。知っている人も多いかと思いますが、この曲は初出が2年前、2018年4月12日の弾き語り配信で披露された「七色のメロディー」が元になっている、彼女の活動の比較的初期からずっとある曲です。
少しだけ語らせてもらえば、当時配信で初めてこの曲を聴いたとき、私は感激したことを覚えています。それは、彼女自身の作詞で、それも即興の弾き語りで、これほどまでに優しく暖かい詞を紡ぎ出すのを見て、ときのそらという人の内面的な素晴らしさに触れたからでした。
そしてそれは「青空のシンフォニー」として完成した今も同じように感じています。彼女自身が制作し自ら歌うこの曲は、単に曲として完成されているだけでなく、いつもファン=そらともを見てくれ、常に進み続けるという彼女の内面を、その素晴らしさを現わしているのです。
前作「My Loving」の最後の曲「ゆっくり走れば風は吹く」も、ときのそらという人を表現した曲でした。あの曲は彼女を活動初期から見守ってきた瀬名航氏が制作したもので、言わばときのそらを私たち外側から定義付けたものであったと言えると思います。それに対して「青空のシンフォニー」は、ときのそら自身が自らを表現したことで、彼女自身によってときのそらを内側から定義した曲であるように思います。
その曲が今このアルバムの最後に置かれている意味、それというのはすなわち、自立した“ときのそら”の成熟を象徴しているのだと感じます。繰り返しになりますが、彼女は本作で「アイドル」「シンガー」そして「ときのそら自身」という自らが持っていた要素概念を融合させ、一個のアーティスト“ときのそら”として確立と成熟を為しました。それと同時に、ときのそらが自ら自身を定義付ける「青空のシンフォニー」という曲によって、彼女の人間的な確立も為されたのだと私は思います。アルバム3作目にしてタイトルが進行形「~ing」では無くなったことも、こうした確立と成熟を暗示しているような気がします。

そして先述したようにアルバムの構成として、前半の曲で「これから」を進みゆく姿を見せつつ、後半の曲で「これまで」を描いており、その最後には初期からある曲で変わらないときのそらの芯の部分を表現しています。前作もそうでしたが、このような構成は、前へ前へと止まらずに走り続ける彼女が、しかしそらとも達が後ろに置いて行かれないように振り向いてくれているような印象を受けます。各曲中の歌詞でも度々歌われているように、彼女は確かにファン達を“見て”くれるのです。それは、(そらともの一人である自分が言うのもおこがましいですが、)後ろから大勢のそらともが後押ししてくれていることを彼女がちゃんと分かっているからであり、そうした相互関係の認識と姿勢もまた彼女の人としての魅力なのだと思います。

最後に一つ、前作の感想記事について誤りを訂正しなくてはいけないことに気が付きました。記事中で私は、「彼女がアイドルで居ることができなくなってしまったとき、彼女は紛れもないシンガーに為る」と記しました。しかし本作の感想を踏まえて、これは合っていないと考え直しました。アイドルは必ずしも少女性などの若々しさが成立要件になっているわけでもありませんし、アイドルとシンガーは背反的な概念ではなく共存状態に収束することも十分に考えられます。前回例示した松田聖子は確かに今シンガーだと思っていますが、同時に彼女は今でも確かに大勢から憧れられるアイドルでもあるはずです。そしてそのアイドル足る魅力は、歳を重ねても変わらない、女性として、人としての魅力であると思います。
それはすなわち、進行形のストーリーであった時期を終え、一個のアーティストとして人としての魅力を兼ね備える形で確立、成熟しつつあるときのそらもまた、同じような―いわゆる“永遠のアイドル”に成りうるのではないか、という可能性を示唆しています。私は、その可能性を全力で信じていきたい。これからも、ずっと、ファンとして彼女と一緒に走り続けたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?