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山形県南陽市の熊野大社 男女のご縁をつなぐ兎の扉

昨年、2023年は名取老女が名取に熊野三社を勧請した記念年、
「名取熊野勧請900年祭」でした。
その祝いを記念して、2023年7月、
山形県南陽市の熊野大社にてお話会をさせて頂きました。

歴史・守家の言い伝え・紙芝居・奉納の詩と、盛りだくさんの1時間半
名取老女物語の紙芝居

南陽の熊野大社は、「東北の伊勢」と称され歴史が深い神社です。

それぞれ、熊野夫須美神、熊野速玉大神、熊野家津御子大神、
そして八咫烏大神も祀られています。

「むすひ」の神様(熊野夫須美)が熊野信仰の特徴
(イザナギ・イザナミ神話)なので、
あらゆる縁結びの神様として知られています。

社伝での最も古い記述は、大同元年(806年)、
「平城天皇の勅命により紀伊国熊野権現の勧請を受けて再興されたとするものですが、それより前の国分寺建立のときに創建されたものと推定されます。実際には平安時代末期の平維盛(1158年 - 1184年)により創建されました。 熊野三山と同じ証誠寺の寺号を称することを許され、熊野修験の一大霊場として栄えました。」

山形県なので出羽三山との関連も指摘されています。
例えば過去、現在、未来というお参りは熊野信仰でも同じです。

「かけ仏」は、応永17年(1410年)8月 室町時代とされ、
熊野三山本地仏像になっています。

熊野大社のサイトより

その中の観音様は、聖観音像(羽黒の本地仏)と判明されたそうですが、
名取熊野那智神社にも「かけ仏」が見つかっており、多くは聖観音です。

「源義家」の名がある額がありましたが、
源義家が「前九年の役」戦勝に感謝し、
康平6年(1063年)に紀伊国「熊野権現」を再勧請して
「日本第一大霊験権現」と尊称したとされるもの。

境内入口にある大きな銀杏も、
源義家の家臣、鎌倉権五郎景政が植えたものと伝わります。

大きな銀杏のそばにはカフェがあります

熊野神社(名取)では、神楽は代々、源氏の家紋を掲げて行ないますので、
源氏の勢力は、東北全域に及んでいました。

初春の参宮には伊勢神宮直伝の舞楽、稚児舞いが奉納されているとの事。

今年の春の例大祭でも名取熊野神社で稚児舞いを奉納しましたので、
何か共通点があったら興味深いですね。

といったお話など、山形では出羽三山が修験の地として知られていますが、日本海の熊野信仰も深いもので、出雲系の熊野とも(大社と呼ぶため)
なぜなら、ここでは「うさぎ」がご縁を繋いでいますね。

また、毎年、7月24日、25日頃に夏の例大祭が行われます。

熊野大社サイトより

熊野獅子祭り(例大祭)というもので、
特製の行衣(きょうぎ)を着た勇壮な担ぎ手たちによる神輿渡御との事。
https://kumano-taisha.or.jp/matsuri/summer/

今回、このような機会を頂き、異なる地域での開催を受け入れて下さったこと、感謝申し上げます。
またしても、熊野信仰の寛容さを知ることができました。


ところで、「熊野神社」と「熊野大社」の違いがあるのか?
度々、質問を受けることがあります。

出雲には二大社四大神というのがあり、
出雲は、出雲大社と熊野大社という2つの「大社」と、
大国主の大神、熊野の大神、佐太の大神、能義の大神という
4つの大神を祭神とする四大神
があるとの事です。

南陽市の熊野大社は出雲大社と同じ神格であることがわかります。

夏は風鈴が風物詩の神社
入口にある道祖神

「幸神」というのも猿田彦のことを表し、元はサエ神だったのをサチと呼ぶようになります。

幸(サイ)の神は、元々、地母神が由来なので、地域によっては幸神に
丸石を置く風習が結構あります。

猿田彦神が国津神といわれるだけあって、地母神をルーツとする古い信仰です。

幸神
出羽三山
ヤマツミ、古峯神社等

裏の方をまわると熊野大社の特徴である三羽の兎の彫刻があります。
この彫刻の中に三羽の兎があるそうですが、
2羽はすぐ見つかるのだけど、3羽目は・・・?

日本最古の神様の言葉(神話にてイザナギがイザナミに発した言葉)が、
「ああ、なんと素晴らしい女性だろう」という
シンプルで飾り気のない素直な言葉とされています。
それはこの国で一番最初のプロポーズ。」との事。

「あなにやし えをとめを」

「あなにやし」が何かの暗号みたいな言葉なんですね。

似ているのは、ヘブライ語で「アナ・ニャサ(ニーサ)Ana-nisa」と言い、
「私は結婚する」という意味が同じ響きとの説も。

「えをとめを」は、そのまま「いい男」の意味とか?

名取老女は陸奥国のお話ですが、初の日本海、出羽三山信仰をもつ旭(アサヒ)の舞台でもありました。

900年という長い旅路を紡いだ名取老女と旭にとっては、大きな節目になったと。そんなことを想いながら私達の活動を振り返るきっかけともなりました。

講話会の帰り、ちょうどタイミングよく虹がみえました。
名取老女がみた影向図(ようごうず)の阿弥陀如来の光背は、虹なのだそうです。

ありがとうございました。

※参考『熊野信仰と東北』東北歴史博物館


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