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 一日中楽しかった。
 なぜなら、資格勉強も通信大レポートもサボって、家で本ばかり読んでいたから。
 いっさいの苦痛から逃げるのは楽しいめう‼️

 2020年3月発売『現代思想 臨時増刊号 フェミニズムの現在』の一部を読んだ。

 郷原佳以の松浦理英子論がぶっちぎりおもしろかった。シュルレアリスムに内在する男根中心主義批判を織り込んだ文芸批評で、その内容はまさに自分にも突き刺さる。

 「マイノリティもマジョリティも自分(たち)の経験の神秘化を止めない限り、ホモソーシャルな共同体から抜け出すことはできない。」

 作品体験からこういったテーゼが導き出されるの、批評って営みはやっぱすごいよ。額縁に飾りたい。

 以下、全体読んで考えたことメモ。

 女性は「0→1」でなにかを否応なく産んでしまうことについて、その責任をいつも考えざるをえない。
 自分は「すべてはコピペで交換可能」という芸術観なんだけど、その観念にこそ、「0→1」を直接的に背負わなくて済む男性としての特権性が紛れこんでいるのかもと思った。

 これを敷衍して、最近の東浩紀の著作も(好きだからこそ)批判的に読めるかもしれない。

 どこからともなく第三者が誤配されてきて、それにより公共的ルールをわずかに訂正する。それによって共同体が保たれていく。
 けど、その過程に「産む」プロセスの物理的な痛みを織り込む必要があるんじゃないか?

 また、最近のわたしはかな〜り性欲に苦しんでいるんだけれど、それに関する考察はあんまなかった。
 「性器を生殖の道具に目的化するのは家父長制を再生産するしよくない」みたいな話は原理として理解できる。けど、それは自分の問題を他人事扱いされてるみたいでモヤる。

 「シュルレアリスム=無意識=性欲の活用方法を男性中心主義じゃない方向に発展させていく」っていう、今後考えたいテーマは決まったかも。

 けっきょく、ジェンダーについて考えたい気分になったときは、ジュディス・バトラーの著作を悩みながらもちまちま読むのがいちばんかなぁ。


 他にも美術手帖の記事をいくつか読んだ。まぁまぁおもしろかった。
 ポスト資本主義特集はいつか読み返すだろう。わたしも資本主義と表現についてはいっちょかみしたいので。



23:26
 眠れない。今日はとても有意義な休み方ができたうえに、身体もずいぶん休まった。そのはずなのに、眠るのがどこかこわい。一抹の不安というやつ。

 彼女パートナーのことは、スマホの待ち受け画面にするほどは好きではない。だが、彼女パートナーの写真のみをコレクションして随時更新するフォルダがあるくらいには好きだ。ときおりそこに保存した写真をまちがって表示しちゃうのだけど、何度見ても彼女パートナーの顔面は好きとしかいえない。
 彼女パートナーはやはり笑顔が素敵だと思う。いつもはどこか近寄りがたいオーラをまとっていて、喋り方もぶっきらぼうだからこそ、たまに微笑まれるとびっくりしてしまう。
 写真に撮られなれているところをみると、たくさん友だち──恋愛に興味があるように見えないが、もしかして元カレもいる?──と遊んできたんだとわかる。


23:42
 わたしはまだ学園アイドルマスターを好きになれていない。一部キャラクターだけを重点的にプレイしているのだ。
 わたしは「推し」概念は嫌いじゃないが、キャラ単位のみではなく「作品」全体を受けとめる器量をいつでももっていたいと感じている。

 というわけで、学園アイドルマスター強化月間である。
 ほとんどプレイできていない姫崎莉波、倉本千奈、有村麻央のプロデュースをもっとこなしていこう。
 学園アイドルマスターを血肉化せよ。

 コンテンツの血肉化とは、メインキャラクターが脳内で勝手に喋りだすレベルに到達することだ。群像劇を思い描けなければいけない。

 脳内にいくつかの物語があるのはごく自然なことだ。日本だと現実味が無いが、西洋なら誰しもが宗教を信じているだろう。
 映画・音楽ジャーナリスト宇野維正がかつてPOP LIFE THE PODCASTで「脳内でプレミアリーグのサッカー選手やってて、もうチーム移籍とかもしてる」というようなことをいっていて、安心したおぼえがある。
 誰しも、脳内にもうひとつの世界線をもっている。それはすごく喜ばしいことだと思う。

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