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 批評系同人『批評のトリアーデ』の蓮實重彦関連を読んだ。ようやく文化について思考できるだけの心身のゆとりが戻ってきた。その事実だけで涙ぐみそう。最近妙に涙脆い。


​​ 昼食はまずくもうまくもないがそれなりに量があるチェーンのカレー屋さんだった。
​​ 以前の住まいほどおいしい店が多い地域はない――これが引っ越しをした唯一の不満点かもしれない。

​​ 執筆のモードに入ったが、なかなか食後は頭が回らない。だからこうして、漠然と日記を書いてみようとおもう。やはりベッドや公共交通機関で文章を書くと、リビドーに縛られてよくない。キーボードという入力デバイスがいちばん平静を保てる。高いけれどポメラ(現代のワープロ専用機械)買おうかな。……いや、防水Bluetoothキーボード買ったほうがいいか。

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​​​​ わたしが恋しているのは、もしかすると自分自身かもしれない。恋人と身長と体重が一致している。さらにはファッションセンスまでもが徐々に似てくる(恋人があわせてくれる)。性格や趣味趣向はともかく、外見はあまりにも差がなさすぎる。
​​ 今くりひろげられているのは、恋愛というより、相互の自己愛なのかもしれない。いや、自己愛の介在しない他者とのコミュニケーションこそ、実現するはずのない虚構ではないか。

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​​​​ コロナ禍の最中はイオンシネマに行くのが楽しくて仕方がなかった。イオンシネマは田舎にも意外な映画を配給してくれる。いわば、地方都市における文化の最後の砦にほかならない。だが、あの『オッペンハイマー』がまさに今放映されているにもかかわらず、なかなか行こうという気になれないのだ。デューンも結局見逃したが、後悔など微塵も感じない。端的に、わたしが映画に飽きているのだろう。まさかこんなことになるとは。映画を観るために蓮實重彦に触れたというのに、いつのまにやら蓮實重彦を読むことが目的化している!

​​ 確かに、蓮實重彦の本を読んでいるというのに、ゴダールなんてまったく観ようという気にならない。ジョン・フォードも、小津安二郎も、アルドリッチも知らん。やはりわたしは映画の人ではなかったのだ。
​​ かろうじて興味のある映画監督は……そうだな……
​​ スティーブン・スピルバーグ、クリストファー・ノーラン、マーティン・スコセッシ、クリント・イーストウッド、デヴィッド・フィンチャー、マイケル・マン、ドゥニ・ヴィルヌーヴ、タル・ベーラ、エドワード・ヤン、イングマール・ベルイマン、ロベール・ブレッソン、アッバス・キアロスタミ、アキ・カウリマスキ、セリーヌ・シアマ、ジュリア・デュクルノー、エドガー・ライト、レオス・カラックス、サフディ兄弟、コーエン兄弟、北野武、黒沢清
​​ ざっとこれくらいか。これらの作家のDVDを買って、月1本観る。年間10~20本、それくらいでいまのわたしにはちょうどよい。我ながら、つまらないやつになったと思う。

​​ 『地獄の黙示録 完全版』は何としてでも見直したい。なんなら今夜でもいい。

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​​ アニメ『ガールズバンドクライ』がおもしろくてしかたがないのが現状だ。クオリティの高いテレビアニメを観るのが今はいちばん楽しい。
​​ ふたたび、二次創作小説は書きたいと思っている。


 今後どれほど社会が変わろうとも、「作品」という地平にひとびとが集い、そこでなにかしらの言葉を交わしてしまう習性はおそらくなくならない。
 カルチャーに詳しくなりたいわけでも、牽引したいわけでも、紹介したいわけでもなく、「ひとが集まって各々が何かを発している!」というただその事実に喜びをもらっている、という気づき。


 レポートを書くために小林秀雄「様々なる意匠」を読み直した。不思議なひとだ。彼はきわめて聡明でありながら、同じくらい無防備でもある。理知的な分析を積み上げた最後の最後に「宿命の主調低音を聴くのである」なんていってしまう。
 ひとを欺くために綴られた言葉を「嘘」というけれど、じゃあわずかに残る穴を隠さぬまま真正面から迫ってくる小林秀雄を何と呼べばいい? おそらく、これこそが彼の批評の醍醐味なのだろう。


 そういえば、一時期なかった目の痒みが復活してきた。シンプルに目が疲れていたんかい! ならば目を使わない娯楽(アイスを食べる)でもしてから、さっさと寝ますかね。


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