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07:24
 今日も湿度が高い。クリープ(粉ミルク)が体質に合わないとだんだん理解してきた。昨日作業捗ったからか、とにかく朝のダルさが抜けない。

 今日こそ、何もしないデーにしたいところ。

 「生き方、これでいいのかなぁ」と思っているときは、端的に疲れているとき。


孤独が必要
ヘッドホンで聴くStars of the lid
何気ない緊張で日々疲弊する心
結局、拠り所はnote
書き加えるゴーストノート
片や戦争、片や貧困
わたしは日常ひとつでオーバーフロー

いや……ちがう
いいたかったことはこんなことじゃない
もっと明るくてチンポだったはずだ……

おねえさんのふたなりチンポ💕
オタクが発情💕
もう戻れない日常💕
いじめられる菊の紋💕
うわ〜、失望💕
プライド存在しないの?💕

シコシコ完了
(カゲプロ)


 シコシコは心のリトマス試験紙だ。
 いまは心が晴れやかだ。だが、心身が不調のときは、排泄とともに精神が錯乱し、絶望が脳を埋めつくす。


11:04
 三島由紀夫「文化防衛論」を思い出している。彼は反共主義であったが、決して権威主義者ではなかった。文化概念としての天皇(日本における自然の象徴)は、時としてアナーキズムにすら加担する。
 そして三島由紀夫は、西洋と日本を比較して「型」を強調した。日本の伝統とは物質ではなく行動様式である、と。

 伝統=保守主義/革命=革新主義という二項対立は、まちがっている。

 むしろ、幾度の革命を経たのち遡行的に見出される一貫性こそが「伝統」にほかならない。だから、伝統を守るとか、反対に破壊するとか、ちゃんちゃらおかしいのである。
 伝統というフィクションは、虚構を紡ぐ能力さえあれば、いくらでも構築しなおせる。

 すっごい常識的なことをいっている自覚はある。だが、常識を言語化できるようになるまでここまで迂回してしまった。

 この「伝統」観を、いつかヘヴィメタル批評に用いたい。夜空を見上げれば、その時々によって見つかる星座の種類も違うように、「伝統」もつねに自己破壊と再生をくりかえしている。伝統を扱うことが右翼、という偏見を解放したい。

 東浩紀『訂正可能性の哲学』も読まなきゃ。


18:50
 夕飯は、豚丼とコンビニチキンとほうれん草の胡麻和えだった。バカのメニュー。だがそれでいいとおもっている。
 最近は夕飯への興味がほとんどなくなってしまった。もういっこ完全食でいいんじゃないか、とすら思っている。だからこそ、ジャンクフードだろうと食いたいものがあるときはすべて食うようにしている。


19:23
 かわいい男の娘に邪悪で巨大なおちんちんを見せびらかされ、そのまま無理やりフェラチオさせられたい。


21:03
 自宅の風呂場をまっくらにして、一時間半、ずっとひとりで喋っていた。フリースタイルラップ。無意識が赴くまま吐き出される言葉。
 わたしの今の人生は充実している。だが、充実していても脳が圧迫される。「寂しさ」を感じない瞬間はむしろ狂っている。「寂しさ」を取り戻すために、ひとりで言語を吐き続けた。
 最近のうれしいこと、いつかやりたいこと、かつてあったこと、とにかくいろいろを話した。

 人間は、考えすぎると身体が言語を超える。以前言った、「身体が情動に追いつかない」は比喩じゃない。だから今日はこうして、口を動かすだけの元気があるから、情動をすべて吐き出した。
 彼女パートナーについても幾度か考えたが、やはり「好き」という結論が出た。
 わたしは誰にも記憶されぬまま、何も残さぬまま、墓にも名が刻まれぬまま、ひっそりと死にたい。だが、「あのとき生涯大事なCDと出会えたのは誰のおかげだっけ?」なんて存在になりたい。個になりたくない。運動そのものになりたい。なにかとなにかをつなぐ風になりたい。わたしのことなんてみんな忘れてくれ。しかし、この世はうつくしいのだということをどうか憶えていてくれ。

 昨晩、フォロワーの通話ではずっと聞き手に回っていた。成人男性は酔うと、ひとりでずっと水車がぐるぐる回るみたいに喋る。あのひとも、あのひとも、弟も、父親もそうだ。成人男性は誰しもそうだ。
 誰もがいくらかシュルレアリストである。ほんとうは喋りたいのでも、表現したいのでもなく、言語の運動に振り回されてみたいと、心の何処かで思っている。

 わたしも今日はなにもしたくない。だからウイスキーをワンショットだけ飲んで、さらにひとりでずっと喋り続けようと思う。
 わたしは完全にシュルレアリストだから、「言語に振り回される快楽」の飼い慣らし方を知っている。

 最も美しい音楽は、無音。
 最も美しい絵画は、いっさい光の届かない暗闇。
 芸術は、みずから望んだ孤独に勝ることはぜったいにできない。芸術はどうしても他者という不純物が混じる。「最高傑作」「至上の快楽」など考えないほうがいい。きっとそれは最終的に、芸術の不要性を証明するだろう。

 病んでいると思うか? いや、すごく楽しい。ほんとうだ。嘘はついていない。ただ、脳に言葉を詰め込みすぎているから、そいつが独りでに動き出している、というだけだ。

 寂しさは贅沢品だから、大事にしてくれ。寂しさが尽きたあとにあるのは、無だ。

 すまない、ここまでの文章で一点だけ嘘をついている。無音こそが至上の音楽というのは、まちがっている。
 音が世界から消えることはない。ジョンケージのエッセイを引くまでもなく、わたしたちはつねに音を出している。
 音楽はむしろ音を掻き消す。音楽は、生みだされるものではない。それは西洋音楽史の詐術である。音楽は、微細な生活音を掻き消す。音楽こそが最も静かなのだ。
 アンビエントは、持続音で生活を掻き消す。おかげで聴いていると、いまいる世界を忘却できる。それは「ここではないどこか」なる理念的な地平ではない。もっぱら、物理的かつ具体的な、無にほかならない。

 先程まで、「チンポ地獄」と180回絶叫したかったが、それは無意識がシュルレアリたくてうずうずしているときの兆候だ。
 それは性欲ではない。言語だ。


22:01
 言葉ってすごいや。しっこだって、うんこだって、精液だって、なにかを摂取しないと排泄できない。だがことばは生きているかぎり無償で供給できる。

 散文は無限に書き加えられるからこそ、誰もが詩を望む。終わることがいちばん心地よい。

 今夜数分間だけあった、言葉を吐き尽くしたときのほんとうに空っぽな静寂を忘れない。

 若干酒を飲んでしまったが、眠れるだろうか?

 幸い、ひとりで暗闇にいるのは飽きてきた。
 みなさんもアイマスクを買うといい。完全な暗闇を得られる。アイマスクに飽きた瞬間が、他者に開かれる瞬間だ。まるでアド・アストラのエンディングみたいだ。tired.


22:17
 等価交換など虚構だ。貨幣経済ができたのはごく最近のことだ。本来、人間のコミュニケーションは贈与の原理でできている。そういう、市場の外に気づいてしまったから、最近のわたしは時々揺らいでいる。

 わたしは気が狂ったりはしていない。ただ、明日からすっきり目覚めるために、今脳内にあるすべての言語を吐き出そうとしているだけだ。晩飯は豚丼(大盛り)とコンビニチキンとほうれん草の胡麻和えだった(二回目)。それくらい食える元気があるので安心してほしい。

 言葉はだいたい吐き尽くした。だから、寝る前に最後の仕上げだ。いまから、脳内に今ある映像をすべて描写しつくす。みていてくれ。

アーユーレディ?

 ガールズバンドクライ、仁菜ちゃん! サスケェ!(ナルトス) ナビスコ♪TENGA発売中!快楽地獄♪ メ〜ルト、溶けてしまいそうだよ♪何が?パルムが! ぺぺーぺぺぺぽ♪ぺぺーぺぺぺぽ♪(呼び込みくん) ドルトムント香川。 犬。 おおおおおお!富士山!かとおもったら小学校の裏庭の山だったかぁ。 さ。 ぬ。 ああああ! おねんね。 おねんね。 ふとん。 いま。 現在。 うぼあ……

 何も思いつかなくなった。
 すべての脳内言語、脳内映像を排泄しつくした。
 これで明日の朝はおそらくスッキリするだろう。

 明日からまた読書とレポート書くの、がんばるぞ。


22:26
 寝ます。

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