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00:20
 わたしが好きなのはおそらく批評ではない。
 カルチャー系「コラム」だ。

 先日読んだにゃるらnoteはかなり好きだ。浅田彰『逃走論』も、菊地成孔『アメリカの夜』も、阿部和重『映画覚書』も、蓮實重彦『映像の詩学』も、中原昌也『作業日誌』も、タナソーの近年の記事もたまらなく愛している。具体名は伏せるが、「ひろゆき的」と揶揄された某ライターへの憧れも止まない。

 ひとくちサイズの駄菓子みたいな音楽・映画評を書くことは、実はいちばんむずかしい。わたしはそれができるひとにこそ憧れる。

 おそらくそうした小気味良い文章を書くには、あくまで「余技」として原稿を書きつづけなければならない。この日記も完全に惰性の産物だが、ぶっちゃけいままでつくってきたコンテンツでいちばん累計閲覧数
を稼げている。もしかすると、評判もいちばんいいかもしれない。

 わたしはおそらく、批評家になろうとするといい自分の望む文章がとたんに書けなくなるだろう。シーンの立ち位置云々を考えるだろうから。小気味良さを出すためには、余裕が必要なのだ。
 わたしは、「絵描き」「ラッパー」「文字書き(二次創作小説)」のどれかを肩書きに選ぶべきなのだ。このなかだと、絵描きがいいかな。

 メインの創作と、ダラダラ惰性の創作と、ふたつを並行で進めていく必要がある。すべてをがんばる必要はない。
 母親がつくってくれた料理を思い出してほしい。張り切ってつくったおせち料理よりも、適当につくった料理の残りものの肉野菜炒めのほうが好きだった、そんな経験はあるだろ? 両方の店を構えるべきなのだ。


 このnoteは過激な内容のため、基本的に自発フォローをしないようにしている。
 だが、例外的ににゃるらをフォローしてしまった。

 今更気づいてしまった。
 インターネットを駆使して、複数の文化をざっくばらんに語るコラムニスト──その理想像が、にゃるらなのだ。
 わたしはにゃるらになるべきだったのだ。

 にゃるら、あなたは最高だ!
 わたしもにゃるらになろうと思う。
 より正確にいえば、にゃるらを批判的継承したい。
 にゃるらからセックス・ドラッグ・バイオレンスを抜き(ドラッグカルチャーがある層にとって居場所になっている現状を理解したうえでやはり批判したい)、その隙間に、田舎でふつふつと滾るルサンチマンや疎外感を注入した存在になりたい。すなわち、全年齢指定のにゃるら。

 わたしのパートナーはわたしよりも健康的な育ち方をしてきたオタクであり、アニメやネット文化全般は大好きだが、そこから外れたサブカルチャー(実写映画やバンド音楽など)はからっきしのひとだ。
 パートナーとどう会話できるか、わたしの培ってきた知識をどのように他者とのコミュニケーションに活かすか、ずっと悩んできた。
 教養主義的にマウントを取るのは最悪。だから、別の仕方を探す必要がある。それが、わかった。

 にゃるらになればよいのである。
 事実、パートナーはオモコロを愛読している。「硬派なオタク」とやらが敬遠する、ポップかつ軽薄なフットワークを得なければならない。大学院生みたいになってはいけない。親切な大学のサークルの先輩、くらいの存在であることが肝腎だ。にゃるらの思想ではなく、にゃるらの型(フォーム)を会得するのである。オモコロ、にゃるら、ゲーム実況者的な突破力。

 にゃるらはメンヘラカルチャーの先導者だからこそ、カリスマたりえている。
 わたしも何かしらの意匠をレプリゼントしなければならない。私の場合それはおそらく、「ブックオフ」「中古品」「周回遅れ」「時代錯誤」になるだろうか。ややもすれば反時代主義に陥りそうなお題目ではあるけれど、その価値観を全力で肯定していくアジテーターにならなければいけない。


12:54

 わたしはそこそこデリケートな人間なのを自覚する。職場だろうが、ヘッドホンでアンビエントを聴いて無心になれる時間を一瞬でも求めてしまう。午後の労働が始まるまでの五分だけ、放心状態でいさせてくれ。


 次回、一周年記念ありがとう&ドタキャンしてごめんという名目で、彼女パートナーに渡すべきプレゼントを何にしようか悩んでいる。
 イヤリングか、きえもの(お菓子)。

 ……いや、やっぱやめた。
 適当なプレゼントをあげても彼女パートナーのことがわからないまま空転するだけ。むしろ、相手がばかでかい贈与を突然受けて悩むし、返ってこなかったら贈与した側のわたしもまた苦しむ。

 相手がお返しに悩まない程度のちょっとしたお菓子をあげよう。そして、「一周年記念の日にごめんね」「プレゼントをいっしょに探しに行こう」と言おう。

 わたしたちに必要なのは、貢ぎではなくコミュニケーション。ちょっとしたお菓子と、一周年記念プレゼントの、二段構えでいく。


19:38
 シュルレアリスム、小林秀雄×三島由紀夫のレポートの推敲を終えて、完成させた。えらい!特に後者はかなりの力作だ。

 どれほど「書き尽くした!」と自信をもっていても、一時間ぐらい目を凝らしてみれば、かならず蛇足な表現は見つかる。それぞれ1200字に収めたの、逆に褒めてほしい。



 ラップの新曲を投稿した。
 近年はトラックメイカーくんもわたしも、ツイッターの活動頻度を落としているから、ほとんど再生されていない。

 大丈夫。どれだけ良い曲かはわかっている。これを人生のテーマソングにしてもいい。何度聴いても、断片化された記憶がきらめいて涙が零れそうになる。ようやく等身大のみずからを吐露する方法を身につけた。すごい歌詞だ。
 最悪、誰も聴かなくてもいい。言語のオブジェはいつまでもそこで回転しつづける。みずからの言葉の強度を疑わない。

 以前書いた二次創作小説にしろ、ラップにしろ、やはり断然進化している。成長は疑いない。ヘタウマながら野心的な、なかなかおもしろいやつだと自分を誇れる。しかしながら、やはり営業活動をしなければ閲覧はついてこないものだ。
 かつてわたしは駄文を粗製濫造していた時期があるが、あのころがいちばん人気があった。性格的にも天狗になっていて劣悪だった。振り返ってみても、空っぽな人間だったと思う。空っぽであればあるほど出世できるのはどこの業界も変わらないか。

 人気者になりたい、とは思わない。
 文化産業で金を稼ごうとも思っていない。
 だが、わずかな他者を驚かし、コミュニティを交錯させ、人生をゆるやかに変えるだけの人気は欲しい。
 1000000人の聴衆は望まない。20〜30人、確かに互いの才覚や努力を認め合える友人が欲しい。

 今後の創作の目標はそれだな。
 まずは20〜30人の友人。通信大を卒業したら、そういったものをつくりたい。

 もしかすると、この日記がすでにそうかもしれない。

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