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23:42
シュルレアリスムは記憶のポスフールにほかならない。
昨晩とはちがってしっかりと眠い。あたまのなかを言語が埋めつくすような状態ではない。けれどもいちおう、すべての言語と映像を脳内から撤去してから眠ろうか。
インドカレーがまた食べたい。ゆるキャン△、ダンジョン飯、Static Dress。学園アイドルマスター。どうしようもない朝のだるさと、やけにまぶしい日差しが印象的だったのを思い出す。今日のオフィスは日差しがいっぱいできれいだった。担々麺はおいしかった。
18歳の青年の肌はニキビで荒れている。彼らが清らかでなにも知らないなんてうそだ。
ふわーっ(あくび)。筋トレが好きなやつは全員敵だ。
ふとんには確実にアウラがある。
人間はあらゆる情報にまみれていきている。スマートフォンだけじゃない。世界は情報にあふれている。雑草のきめ細やかな表面をCGで再現しようとすると、おどろくほどのドット数が要る。
眼を開けたまま夢を見ることはコツを掴めばできる。「思い出す」んじゃない。記憶の泉を見に行って眺めるような気分で、言語と映像のアーカイブと戯れる。
true my heart 君を近くで誰より感じたい(中略)きしめ〜〜〜〜〜ん♪
飽きた。
06:49
朝はかならず不機嫌だ。今日は相対的にすごくいい朝だが、絶対的に朝はよろしくないものだ。
おちんちんをバキバキに勃起させた状態で、鳥のさえずりを聞いている。すべてのエネルギーはおちんちんに供給されているのを感じる。いまこの状態でどれだけ文章を書こうとも、おちんちんについてしか喋れない。
冷蔵庫の音がやたらうるさい。目脂がまぶたにベタベタひっついている。おちんちんの勃起が止まらない。朝日がまぶしい。チンポは硬い。
おちんちんが喋りかけてくる。「ミスタードーナツって、うまいよな・・・」わたしもそうおもう。宇宙に生きたい。宇宙飛行士も生活するのだから、おちんちんしこしこを定期的にしている。スペース・おちんちん・しこしこ。
窓を開けた。まぶしい朝日を浴びても、バキバキに勃起したおちんちんは思考の座標軸を「おちんちん」へと固定させる。
物事を考えず、無意識に任せて文章を書く(自動筆記)にも限界はある。それを極限までばあい、「おちんちん」と連呼するしかなくなるからだ。
07:04
脳内には一枚の原稿用紙がある。その原稿用紙には、さまざまな単語が殴り書きしてあって、現在進行形で加筆されている。それこそが「無意識」だ。
だが、その「無意識」なる原稿用紙に、「おちんちん」としか書いていないときがある。400マスすべてに「おちんちん」が敷き詰められている。
おちんちんは、言語を支配する。
こういうときは、もう書かないほうがいい。
07:22
顔を洗い、ドライヤーをかけた。
09:22
いくら好印象で恩をかんじている上司だろうと、やっぱり休みのときはうれしい! サボれるから。
もちろん、上司のぶんのルーチンワークはやるが。
13:34
とにかくアンビエント聴きながらのドカ食いが止まらない。人間。
外の風が気持ちいい。若人が公園で寝そべっている。
放心状態になっている。風が強くなってきた。
そろそろオフィスに戻らなきゃ。
15:20
今日はめんどくさい案件が多い。いや、いつもは上司がぜんぶそういうのを捌いてくれてる、ってことだろう。アナルアナル地獄。
累計200万部を突破したらしい自己啓発書を読んでみたら、うんちみたいな内容でムキムキ怒っちゃった! あとがきに「スティーブ・ジョブズの名言」が引用してあって、こんな輩をありがたがる出版業界、大衆、小売店、みんなまとめて灰燼と化せばいいと思った。これは冷笑ではありません。明確な軽蔑心です。
スティーブ・ジョブズはイエス・キリストを超えているんだな、現在は。
書物というメディアはおもしろい。音楽、映画、アニメ、ファッションなどの大衆文化はだいたい売れているものがいちばんおもしろい。YOASOBIもCreepy Nutsもクリストファー・ノーランもいちばんおもしろい。だが、書物は徹底的にゴミであればあるほど売れる。
ところで、初歩的な知識を最近得た。
書籍は資産、雑誌は消費材。雑誌が売れなくなるのは当然だ。あれは「本」というメディアの利点、アーカイブ性に徹底的に反している。本なのに捨てる前提のメディアなのだ。紙不足の今のご時世にそれはもったいないし、それなら雑誌メディアなんてみんな終わってしまえばいい。
ところで、わたしは消費財を愛しているし、かつての雑誌文化への憧憬がなくはない。であれば、「雑誌」とは別の、「知の消費財化」を企図しなければならない。
noteに卒論を載せている方がいらっしゃった。あなたを応援している。
18:48
国立国会図書館オンラインで蓮實重彦の文章をいくつか読んだ。
これからは、何の理由もなくても、カメラのシャッターを押すことにした。
言語をとにかく書きまくる、それも行き詰まってきたから。しかし、まだ視覚は試していない。
ウジェーヌ・アジェを想起せよ。写真機は、みずからの生活を剥製へと変える。
とにかく撮りまくる。撮りまくる。カーペットも、爪も、太陽も、きつねうどんも。
おそらくつまらぬ写真が増えるだろう。それでいい。言語よりはいくらかましな暇潰し。
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