【月曜日のたわわ】「ハフポストが治部れんげインタビュー内容を改ざん」について

この件をどう理解するべきか。
「変更されたのはインタビュー記事の発言部分である」点にフォーカスして、改めて考えを整理します。

※有料設定にしていますが全文が見れます。

【月曜日のたわわ】「ハフポストがインタビュー記事を改ざん」

「広告は女子高生のイラストをあえて用いることで、作品が発信しているメッセージを確信犯的に、大々的に伝えています。作品で描かれているのは数々の痴漢行為。男性による未成年の少女への性暴力や性加害そのものを日経新聞が肯定する構図です」

ハフポスト「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは?
"2022-04-08T09:04:50Z"

「広告は女子高生のイラストをあえて用いることで、作品が発信しているメッセージを確信犯的に、大々的に伝えています。作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待。男性による未成年の少女への性暴力や性加害そのものを日経新聞が肯定する構図です」

ハフポスト「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは?
"2022-04-08T11:21:59Z"

比村奇石原作の【月曜日のたわわ】/講談社の日経新聞広告に関して、金春喜(きんちゅに)記者が東工大の治部れんげ准教授(アンステレオタイプアライアンス日本支部アドバイザーでもある)にインタビューしたハフポストの記事において、「インタビュー部分が改ざんされている」と騒がれている内容はこれです。

通常の記述内容では無く、インタビュー相手の発言部分が変わっているという点が、特異なものとして扱われている理由です。ネット記事の内容の更新自体は、海外メディアも含めてありふれたものですが、紙面に印刷された媒体では無いインターネット媒体特有の話です。

より詳しい経緯としては、4月8日の日本時間18時4分50秒に記事UPされたものが、同日18時47分23秒には「作品で描かれているのは数々の痴漢行為。」部分が削除され、同日20時21分59秒に「作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待。」が追加されたという経緯です。

これは「改ざん」と呼ばれても仕方がないものです。
もっとも、本当にそう呼ぶべきかは注意が必要だろうと思われます。

発言の内容を変更することが正当化される事例なのか?

◆当時の発言そのままではない内容で記述する

これをする場合はあります。
それは、【そのままでは差しさわりがあるとき】に本人の了解を取って変更する場合です。例えば以下の場合が考えられます。

・事実誤認の発言で誤解が広まることの方が問題視される場合
・誰かの権利を侵害する発言など掲載が躊躇われる文言の使用

前者であれば(記事の話ではないですが)例えば、安倍晋三内閣総理大臣(当時)が「私は立法府の長」と国会答弁で発言したものが議事録ではその部分の記載が無く、「行政府の長」部分だけが記載されていたという例があります。

第190回国会 衆議院 環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員会 第6号 平成28年4月18日
平成二十八年五月十九日提出質問第二八〇号 安倍総理の「議会については、私は立法府の長」との発言に関する質問主意書
平成二十八年五月二十七日受領答弁第二八〇

ここでは「単なる言い間違いであることは明白」と答弁書では書かれていますが、衆議院インターネット中継を見れば安倍総理は「立法府の長」と発言した後に周囲から疑問を呈されたために即座に「行政府の長」と訂正する発言をしているのですから、その部分も含めて議事録に掲載するべきだったでしょう。安倍総理の認識の問題ではなく、議事録の処理の仕方の問題です。議事録は各会派に草稿が渡されてチェックされるので、この際に安倍派がどう振る舞ったかは不明ですが、実態に沿う内容にならなかったのは残念であり、批判されても仕方ないと思います。

平成30年にも同様の発言がありましたが、この際には「立法府の長」という発言とその訂正過程も議事録に残っています。

○安倍内閣総理大臣 そこで、それが多々ますます弁ずなのか、削減する議員の定数が多ければ多いほどいいのかという議論も、これは真剣にしなければいけないわけでございまして、私がまさに今、ここに立っているのは、立法府の長としてここに立っているわけでございます。(発言する者あり)失礼、済みません。行政府の長として、行政府の長として立っているわけでありますから、立法府の議員の定数ということについて、私が少ない方がいいと言うことがあってはならないんだろう、こう思うわけでありまして、立法府のことにつきましては、まさにこれはしっかりと、議員の定数のあり方については、これは議会政治の根幹にかかわることでありますから、重要な課題であり、各党各会派において真摯に議論が行われるべきものであろう、こう思うわけであります。

第197回国会 衆議院 予算委員会 第3号 平成30年11月2日

また、元の文書が間違っているために、それを残したまま、同じ効果を持つ訂正された内容の文書を【再決裁】したという例もあります。この場合「改ざん」として非難される筋合いはまったくありません。

他の例としては、2020年CSICのチャイナの日本における影響力に関する報告書中で引用された細谷雄一教授の発言。これは、チャイナによる沖縄に対する浸透工作に関する細谷氏の発言内容の表現が、読者に対して事実と異なる印象を与えかねないものとなっているため、細谷氏から執筆者に依頼して修正させたことなどがあります。

では、ハフポスト記事の治部れんげ准教授の発言内容は、事実誤認や誰かの権利を侵害する発言など掲載が躊躇われる文言の使用だったから変更されたのでしょうか?

到底そうは思えません。

次項で併せて整理していきます。

記事掲載後にインタビュー内容を変更することが正当化される場合

記事掲載前なら、インタビューの発言部分の記載内容を実際のものと異なるものにしても、事実誤認や人権侵害を避けるために本人と協議した上でならば許容範囲でしょう。

しかし、既に読者の目に触れた記事掲載後に変更するというのは、どうか?
単純な誤字脱字の場合は除きます。

◆一旦掲載された内容が、発言者の当時の発言内容と異なっている

この場合には変更されてもやむを得ない場合があるのではないでしょうか。
そうすることが真実に整合的になるからです。この場合、発言者本人と連絡を取っているはずです。
※もちろん、校閲の段階で修正しなかったという落ち度は指摘され得る。

しかし、そうであったとしても、修正理由が示されていない場合には、批判を受けても仕方がない。なぜなら、外からはなぜ修正されたのかが分からないからであり、次のような場合である可能性も考えざるを得なくなるから。

◆変更後の表現の方がインパクトを出せるからという理由で変更

この場合には紛れもない発言の改ざんであり、許されない。

本件に関しては、「事実誤認や権利侵害だから」という理由による変更ではないと思われる根拠と併せて考える必要があるでしょう。

改めて、治部れんげ氏の発言部分の変更は「作品で描かれているのは数々の痴漢行為。」から「作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待。」へと行われました。

これを「痴漢行為」が事実誤認等だから変えた、という理解は疑問。
なぜなら「性的な虐待」も事実誤認等だから。

「月曜日のたわわ」は、男性サラリーマンがアイちゃんを電車内における痴漢行為からボディガードするという体裁で毎朝一緒に乗車するというストーリーから始まっているので、「痴漢行為」を肯定的に捉えてはいません。そのため、「作品で描かれているのは数々の痴漢行為」という記述だと、さも作品中で「そういう行為がラッキースケベの中心」であるかのような意味に取れてしまい、それは明示的に作品内容と反します。

「性的な虐待」に確立した定義は無いですが、国連で言及されている定義に照らせば作品中にそのような描写は存在しているとなぜ言えるのかわかりません。ましてや日経新聞広告においてはそのような描写が無いことは明らかであるため、変更後も作者や出版社、日経新聞等への誹謗中傷であることには変わりが無い。治部氏の主張の根幹は「作品の内容(のネガティブな側面)と広告の趣旨がイコールである」という価値判断が前提としてあるため、作品に対する他愛のない評価に過ぎないとみることはできません。

また、治部れんげ氏はアンステレオタイプアライアンスの"3つのP"の意味内容を勝手にネガティブリスト=一つでも満たしていなければ違反として悪評価を受けるものとして扱っていますが、過去にはUN Womenの石川雅恵所長が「ネガティブチェックをしているわけではありません。ポジティブで深みのある広告を検討するための視点として」と、いわばポジティブリストだと明言しており自己矛盾となっています。

その上、そもそも"3つのP"の各項目の意味内容は二律背反的な側面も有するものとなっており、実際に日経のウーマンエンパワー広告賞でも全てのPを満たしていない作品が受賞していることから、最初からネガティブリストとは解すことは不可能です。つまり、UN Women側はこの点について捏造しているということ。また、金春喜記者による当該記事の導入文にも広告の絵に対して「上目遣い」としている事実誤認が含まれています。そのような者がいまさら「痴漢行為」という表現が事実誤認等だとして変更するとは考えにくいと言えます。

さらには、「描かれている」から「起きている」への変更や、「女子高生への」という限定文言の付加も含まれており、単に痴漢から性的虐待としただけではありません。

そして、当該記事中、「性的な虐待」という文言は治部れんげ氏の発言にしか登場せず、謎の「一旦削除」という更新状態が介在したことなど…

したがって、【変更後の表現の方がインパクトを出せるから、という理由で変更されたのではないか?】という疑問が出てくるわけです。

もちろんこれは従前のハフポストやUN Women側の態度と、記述の変更内容という客観面から滲み出てくる印象に基づくものであり、実態は知りようがない。「本当に実際の発言に内容にあわせるために変えた」のであれば、こうした疑念が出てこないように、ハフポストはその旨を記載するべきであったと言えるでしょう。

それとも、他の理由があるのでしょうか?

ハフポスト記事に対するネット上の誤認放置について

ネットでは、当該ハフポスト記事の変更に関して誤認が目立ちます。

・最近(4月17日近辺)変更が行われたかのような図や認識
 ⇒実際には4月8日の記事UPから約2時間後の変更
・「タイムスタンプをも改ざんしていた」という認識
 ⇒更新の場合は更新日付のみを記載し、時刻は記載しないというハフポスト記事のデフォルトの仕様に対する無理解が原因か(ページソースには最新の更新時刻が記載される)

一部はこの誤認を訂正している者も居ますが、それでも最初に拡散された上掲の認識が払拭されているとは言い難いです。

また、「本当に実際の発言内容にあわせるために変えた可能性」について無顧慮な言説も、本件においては仕方がないとは思いますが、やや先走っている感はあります。

もっとも、その場合であっても発言内容は不当であるということは以下で述べた通りです。

以上:スキ・シェア・サポート・フォローして頂けると嬉しいです。

ここから先は

0字

¥ 300

サポート頂いた分は主に資料収集に使用致します。