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マイストーリー 誕生編

それは約40年前のこと。

転勤族だった我が家がちょうど神戸に住んでる時に私は産声をあげた。

その前は東京にいて、その前は宮崎県にいたようだ。

生後6ヶ月に福岡に転勤になりそこから自立する22歳までそこで暮らすことになる。

私の両親はどちらも宮崎の出身。親戚もみんな宮崎。

母の話。あまり育児に熱心ではなく破天荒な性格の母は、母子手帳とかそういったものは早々に紛失したらしく、生まれた時の体重や身長とかも覚えていないというので生まれた時のことはよくわからない。

小学校の授業で「生まれた時の自分」みたいな冊子を作らされるんだけど、情報が無さすぎて困った困った。たぶん自分でストーリー作った気がするわ、あの時は。写真とか貼らなくちゃいけないんだけど、妙に私の写真少ないし(姉は立派なアルバムが何冊もあるが)母親に聞いても「あれ、これあなただっけ、お姉ちゃんだっけ(7歳離れた姉がいる)」とか言うし。結局、提出日に間に合わず姉が生まれた時の写真とか貼ってたかも。

母にそれを問い詰めても、生まれた時の記録云々よりも今ここに存在しているという事実が大事だからね、と名言めいたことを言われ無理やり納得させられる。

父の話。大手ゼネコンの営業マンでこれまた自由人の父親はさほど子供に関心がなかった印象。それよりもゴルフや接待飲みで忙しかったようだ。
いつも帰宅は真夜中、休みの日は家におらず。まあ、仕事熱心で(嫌味)

今思い返せば割と裕福な暮らしをしていた。週に1回は食卓にステーキが出てたたり、しょっちゅうデパートでお惣菜やケーキ、洋服などを買ってきていた。欲しいものは何でも簡単に手に入ったが、これが良いのか悪いのか、小さい頃からあまり努力せずに欲しいものや美味しいものを手に入れることができたので、大人になった今、忍耐、努力、根性が大の苦手である。

その代わり「しつけ」においては結構厳しかった気もする。特に時間を守ること、食事中のマナーに挨拶。もちろん嘘をついた時のお仕置きに関しては今の時代だと虐待レベル。

私は母親と姉に育てられた印象がある。父親と一緒に遊んだ記憶は薄い。かといって母親に遊んでもらった記憶はもっと薄い。

絵本やぬいぐるみ、童謡が入ったカセットなどを沢山与えられていた。それを使って自分でなんとかせい、と。わお。

両親とも子供と関わるのが得意ではなかったようだ。

次回へつづく。


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