薬事法違憲判決から見るAV新法の違憲性について

始めに

AV新法の成立からそろそろ半年が経過する。
「適正AV」と呼ばれる、ここ数年で自主規制を定めてAV被害者を防いできたAV業界であるが、このAV新法は当のAV女優の仕事を激減させ、生活ランクを下げざるを得ない程には悪影響を及ぼしている。
この法律が、今話題の中心となっているcolabo及びぱっぷす等、現在のAV業界を知っているように思えない団体の影響で成立したのは皆の知るところであるが、ここで過去の判例と比較してみながら、AV新法の違憲性について考えたいと思う。

今回取り上げるのは、昭和38年に行われた薬事法の改正が憲法22条の職業選択の自由に違反するとした判例。所謂薬事法違憲判決である。
なお、あらかじめ、これから行う法的解釈は私個人によるものの為、正しいとは断言できない事を明記しておく。
また、法の専門家という訳でもない為、この判決(昭和50年)以降に職業選択の自由について見解を上書きする判決があればそれは見落としている事になる。申し訳ないが昭和50年の法的見解に付き合っていただきたい。

薬事法違憲判決(薬局距離制限事件)

主文・理由

         主    文
     原判決を破棄する。
     被上告人の控訴を棄却する。
     控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。
         理    由
 上告代理人・原隆一の上告理由二について。
 所論は、要するに、本件許可申請につき、昭和三八年法律第一三五号による改正後の薬事法の規定によつて処理すべきものとした原審の判断は、憲法三一条、三九条、民法一条二項に違反し、薬事法六条一項の適用を誤つたものであるというのである。
 しかし、行政処分は原則として処分時の法令に準拠してされるべきものであり、このことは許可処分においても同様であつて、法令に特段の定めのないかぎり、許可申請時の法令によつて許否を決定すべきものではなく、許可申請者は、申請によつて申請時の法令により許可を受ける具体的な権利を取得するものではないから、右のように解したからといつて法律不遡及の原則に反することとなるものではない。また、原審の適法に確定するところによれば、本件許可申請は所論の改正法施行の日の前日に受理されたというのであり、被上告人が改正法に基づく許可条件に関する基準を定める条例の施行をまつて右申請に対する処理をしたからといつて、これを違法とすべき理由はない。所論の点に関する原審の判断は、結局、正当というべきであり、違憲の主張は、所論の違法があることを前提とするもので、失当である。論旨は、採用することができない。
 同上告理由一について。
 所論は、要するに、薬事法六条二項、四項(これらを準用する同法二六条二項)及びこれに基づく広島県条例「薬局等の配置の基準を定める条例」(昭和三八年広島県条例第二九号。以下「県条例」という。)を合憲とした原判決には、憲法二二条、一三条の解釈、適用を誤つた違法があるというのである。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/936/051936_hanrei.pdf

この事件の経緯について解説を加える。
この事件は薬局の認可にあたって、申請後に薬事法の改正が行われていた事に端を発する。
広島県は当該薬局を不認可としたのだが、その根拠が薬事法改正後に追加された立地規制にあった。
原告は薬事法改正前に申請を行ったのに薬事法改正後の立地規制を理由に不認可とするのは法の不遡及に反するのではないか、また開設場所は繁華街である為密集しても立地規制が防止する過当競争にはならず、そして薬事法改正自体が憲法22条違反ではないかとの訴えを起こす。
広島地裁では原告が勝訴するも薬事法改正が合憲かには触れず、県が控訴した広島高裁では原告敗訴の上、薬事法改正は合憲だとした。そして原告が上告しての最高裁という流れである。

最高裁に上告するにあたって、改めて原告側は憲法31条、39条(法の不遡及等)に違反する事、薬事法の改正自体が憲法22条、13条(職業選択の自由、幸福追求権)に違反する事を主張した。
この主文は、裁判所が「薬事法の改正自体が憲法22条に違反し、違憲である」と認めた事から、薬事法の改正が合憲である事を前提にしたこれまでの判決は破棄するとされたものである。
また、ここで言う被上告人は国ではなく広島県である。

また、「薬事法の改正自体が違憲なので、そもそもの判決は無効です。原告の主張を認めた地裁判決を適用します」としたが、原告の主張していた薬事法改正後の基準適用については憲法違反ではないとの判断が下されている。
要するに、申請=認可ではないのだから、認可基準の適用が改正後のものになったからといって即座に法の不遡及にはならないとするものだ。
申請受理が薬事法改正の前日であった事も理由とされている。

1 憲法二二条一項の職業選択の自由と許可制

一 憲法二二条一項の職業選択の自由と許可制
 (一) 憲法二二条一項は、何人も、公共の福祉に反しないかぎり、職業選択の自由を有すると規定している。職業は、人が自己の生計を維持するためにする継続的活動であるとともに、分業社会においては、これを通じて社会の存続と発展に寄与する社会的機能分担の活動たる性質を有し、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有するものである。右規定が職業選択の自由を基本的人権の一つとして保障したゆえんも、現代社会における職業のもつ右のような性格と意義にあるものということができる。そして、このような職業の性格と意義に照らすときは、職業は、ひとりその選択、すなわち職業の開始、継続、廃止において自由であるばかりでなく、選択した職業の遂行自体、すなわちその職業活動の内容、態様においても、原則として自由であることが要請されるのであり、したがつて、右規定は、狭義における職業選択の自由のみならず、職業活動の自由の保障をも包含しているものと解すべきである。
 (二) もつとも、職業は、前述のように、本質的に社会的な、しかも主として経済的な活動であつて、その性質上、社会的相互関連性が大きいものであるから、職業の自由は、それ以外の憲法の保障する自由、殊にいわゆる精神的自由に比較して、公権力による規制の要請がつよく、憲法二二条一項が「公共の福祉に反しない限り」という留保のもとに職業選択の自由を認めたのも、特にこの点を強調する趣旨に出たものと考えられる。このように、職業は、それ自身のうちになんらかの制約の必要性が内在する社会的活動であるが、その種類、性質、内容、社会的意義及び影響がきわめて多種多様であるため、その規制を要求する社会的理由ないし目的も、国民経済の円満な発展や社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで千差万別で、その重要性も区々にわたるのである。そしてこれに対応して、現実に職業の自由に対して加えられる制限も、あるいは特定の職業につき私人による遂行を一切禁止してこれを国家又は公共団体の専業とし、あるいは一定の条件をみたした者にのみこれを認め、更に、場合によつては、進んでそれらの者に職業の継続、遂行の義務を課し、あるいは職業の開始、継続、廃止の自由を認めながらその遂行の方法又は態様について規制する等、それぞれの事情に応じて各種各様の形をとることとなるのである。それ故、これらの規制措置が憲法二二条一項にいう公共の福祉のために要求されるものとして是認されるかどうかは、これを一律に論ずることができず、具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによつて制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較考量したうえで慎重に決定されなければならない。この場合、右のような検討と考量をするのは、第一次的には立法府の権限と責務であり、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまるかぎり、立法政策上の問題としてその判断を尊重すべきものである。しかし、右の合理的裁量の範囲については、事の性質上おのずから広狭がありうるのであつて、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきものといわなければならない。
 (三) 職業の許可制は、法定の条件をみたし、許可を与えられた者のみにその職業の遂行を許し、それ以外の者に対してはこれを禁止するものであつて、右に述べたように職業の自由に対する公権力による制限の一態様である。このような許可制が設けられる理由は多種多様で、それが憲法上是認されるかどうかも一律の基準をもつて論じがたいことはさきに述べたとおりであるが、一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業の選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定しうるためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要し、また、それが社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置ではなく、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的措置である場合には、許可制に比べて職業の自由に対するよりゆるやかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によつては右の目的を十分に達成することができないと認められることを要するもの、というべきである。そして、この要件は、許可制そのものについてのみならず、その内容についても要求されるのであつて、許可制の採用自体が是認される場合であつても、個々の許可条件については、更に個別的に右の要件に照らしてその適否を判断しなければならないのである。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/936/051936_hanrei.pdf

長いので前々回と同様に要約していく。
まずは(一)。

  • 憲法22条1項は何人も公共の福祉に反しない限り、職業選択の自由を有していると規定している。

  • 職業は、生計を維持する為の継続的活動であると共に、分業社会において社会の存続と発展に寄与する社会的機能分担の活動たる性質を持つ。

  • また、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有するもので、憲法22条が職業選択の自由を基本的人権の一つとして保障した所以も上記の性格と意義にあるものという事ができる。

  • このような職業の性格と意義に照らす時、職業は、職業の開始、継続、廃止において自由であるばかりでなく、その職業活動の内容、態様においても、原則として自由であることが要請される。

  • よって、憲法22条1項は、狭義における職業選択の自由のみならず、職業活動の自由の保障をも包含しているものと解すべきである。

つまり、公共の福祉に反しない全ての職業は、原則として自由である事が求められており、憲法22条1項の規定は職業を選択するというだけに留まらず、職業活動の自由も保障しているよ、という事である。
「ちょっと待って、医者とかは免許必要じゃん!」と思った方はちょっと待って欲しい。それについては(二)(三)で説明されるので少々早計に過ぎる。
とりあえずは、ヤのつく職業のような公共の福祉に反する職業でなければ、基本的にはそれを始めるのも続けるのも辞めるのも自由という事を理解していればいいだろう。
どこぞの過疎地で地域医を辞めさせる村があったが、それに例えるとわかりやすいだろうか。免許や書類、手続きを適正に行っているのに法によらない妨害によって開業ができないとなってはいけないし、事業継続も適正に行っているのに非合法的な妨害が為されてはいけないし、やはり辞めたいとなった時に法や契約に基づかない理由からやはり辞めるなとなってもいけないという事である。
そう考えると、地域医を辞めさせる村も、嫌がらせ等の営業妨害を除けば、職業選択の自由はあるという事になる。追い出せている(≒辞められている)ので。

次は(二)に移る。

  • 職業は、その性質上、社会的相互関連性が大きいものであり、職業の自由は精神的自由に比較して、公権力による規制の要請が強く、憲法22条1項が「公共の福祉に反しない限り」としたのも、この点を強調するもの。

  • 職業は、何らかの制約の必要性が内在する社会的活動であるが、極めて多種多様である為、その規制を要求する社会的理由・目的も千差万別で、その重要性も区々に渡り、現実に職業の自由に対して加えられる制限も、それぞれの事情に応じて各種各様の形をとる事となる。

  • それ故、これらの規制措置が憲法22条1項にいう公共の福祉の為に是認させるかどうかは、一律に論ずる事ができず、具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、比較考量した上で慎重に決定されなければならない。

  • この場合、検討と考量を行うのは、第一次的には立法府の権限と責務で、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、その為の規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断が合理的裁量の範囲に留まる限りは、立法政策上の問題としてその判断を尊重すべき。

  • しかし、合理的裁量の範囲については、事の性質上、広狭がありうるので、裁判所は具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきものと言わなければならない。

原則として自由とは言っても、職業は社会に関連する程度が大きいから公権力による規制は必要だよね。でも職業と一口に言っても多種多様だし、その規制が必要な理由も職業によって異なるから一概には言えないよねというような事を説明している。
また、職業の自由への規制について、第一次的には立法府(国会)の権限・責任であり、裁判所はその規制が合理的裁量の範囲に留まるならその判断を尊重するという「三権分立があるので無闇には侵しませんよ」という事を改めて説明している。
この「合理的裁量の範囲」については、広義なのか狭義なのか色々あるから、具体的にどうかと問われたら裁判所がその合憲性について判断すべきなのだという事を言っている。
ここまでは、まぁ職業の自由の内容や裁判所の権限等の一般論について説明しているというべきか。

こうした観点から見ると、AV新法については、「出演被害の防止」という公共の利益があるのなら「業界の自主規制によらない法的な制限が必要である」という点自体は動かす事は難しいのではないかと思われる。女優、男優は個人事業主の扱いになっているだろうし、基本的に自主規制には法的拘束力がないので。
しかし、現行の労働法で対処可能な部分については、異議を唱える事も可能だろう。
また、AV新法による業界の自主規制よりも遥かに厳しい基準については、事業に過度な負荷を掛け、事業継続を困難にさせている点が問題となっており、「合理的裁量の範囲」に留まるかどうか現在論じられている点であると思われる。ここは大いに突く事が可能であろう。全ての撮影終了から4ヶ月経過しないと公表できないとかアホかと。宣伝とかどうすると思ってるんだ。

続いて(三)。

  • 職業の許可制は、法定の条件を満たし、許可を与えられた者にのみにその職業の遂行を許す、職業の自由に対する公権力による制限の一態様である。

  • 許可制が設けられる理由は多種多様で、それが是認されるかどうかも一律の基準を以て論じがたいが、一般に許可制は狭義における職業選択の自由そのものに制約を課す強力な制限であるから、その合憲性を肯定する為には、原則として、重要な公共の利益の為に必要かつ合理的な措置である事を要する。

  • また、それが社会政策、経済政策上の積極的な目的の為の措置ではなく、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止する為の消極的、警察的措置である場合、許可制に比べて職業の自由に対する緩やかな制限である規制によっては上記の目的を十分に達成する事ができないと認められる事を要する。

  • この要件は、許可制のみならず、その内容についても要求され、許可制自体が是認される場合でも個々の許可条件については、その適否を判断しなければならない。

許可制はストレートに職業の自由を制約するものであるから、その合憲性には、「重要な公共の利益の為に必要かつ合理的な措置である事」か「緩やかな制限では重要な公共の利益を十分に達成できないと認められる事」が必要で、許可制という制度が是認される場合でも内容についてはその適否が判断されるよという事を言っている。
まぁわかりやすく言うと、医者や弁護士が挙げられる。無免許医、偽弁護士が跋扈するようでは公共の利益に反するので、これらの職業に許可制は必要だろうという事だ。
「内容については個別的に適否が判断される」という事も、例えば、医者や弁護士なら各試験に合格する事、風営法なら「学校等から規定の距離を離した場所に設置する」といった事で、許可を出す条件が必要かつ合理的でなければならない。
仮に医者や弁護士に30歳以上といった年齢制限があったとするなら、その必要性、合理性とは何かが問われる事になる。現実にはないので、年齢制限は必要性も合理性もないという事だが。
また、社会政策、経済政策上の積極的な目的の為の措置であってもいけない。これからはSDGsの時代だから!等の理由で非効率的な伝統工芸をストレートに禁止するといった事は普通にアウトという事である(公害等の公共の利益に反する事が存在するならまた別の話になるだろうが)。

2 薬事法における許可制について。

二 薬事法における許可制について。
 (一) 薬事法は、医薬品等に関する事項を規制し、その適正をはかることを目的として制定された法律であるが(一条)、同法は医薬品等の供給業務に関して広く許可制を採用し、本件に関連する範囲についていえば、薬局については、五条において都道府県知事の許可がなければ開設をしてはならないと定め、六条において右の許可条件に関する基準を定めており、また、医薬品の一般販売業については、二四条において許可を要することと定め、二六条において許可権者と許可条件に関する基準を定めている。医薬品は、国民の生命及び健康の保持上の必需品であるとともに、これと至大の関係を有するものであるから、不良医薬品の供給(不良調剤を含む。以下同じ。)から国民の健康と安全とをまもるために、業務の内容の規制のみならず、供給業者を一定の資格要件を具備する者に限定し、それ以外の者による開業を禁止する許可制を採用したことは、それ自体としては公共の福祉に適合する目的のための必要かつ合理的措置として肯認することができる(最高裁昭和三八年(あ)第三一七九号同四〇年七月一四日大法廷判決・刑集一九巻五号五五四頁、同昭和三八年(オ)第七三七号同四一年七月二〇日大法廷判決・民集二〇巻六号一二一七頁参照)。
 (二) そこで進んで、許可条件に関する基準をみると、薬事法六条(この規定は薬局の開設に関するものであるが、同法二六条二項において本件で問題となる医薬品の一般販売業に準用されている。)は、一項一号において薬局の構造設備につき、一号の二において薬局において薬事業務に従事すべき薬剤師の数につき、二号において許可申請者の人的欠格事由につき、それぞれ許可の条件を定め、二項においては、設置場所の配置の適正の観点から許可をしないことができる場合を認め、四項においてその具体的内容の規定を都道府県の条例に譲つている。これらの許可条件に関する基準のうち、同条一項各号に定めるものは、いずれも不良医薬品の供給の防止の目的に直結する事項であり、比較的容易にその必要性と合理性を肯定しうるものである(前掲各最高裁大法廷判決参照)のに対し、二項に定めるものは、このような直接の関連性をもつておらず、本件において上告人が指摘し、その合憲性を争つているのも、専らこの点に関するものである。それ故、以下において適正配置上の観点から不許可の道を開くこととした趣旨、目的を明らかにし、このような許可条件の設定とその目的との関連性、及びこのような目的を達成する手段としての必要性と合理性を検討し、この点に関する立法府の判断がその合理的裁量の範囲を超えないかどうかを判断することとする。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/936/051936_hanrei.pdf

そこまで長くないし関連した部分なのでまとめてでいいだろう。

  • 薬事法は、医薬品等に関する事項を規制し、その適正をはかることを目的として制定された法律。

  • 同法は医薬品等の供給業務に関して許可制を採用し、本件の関連範囲で言えば、薬局については5条、6条。医薬品の一般販売業については24条、26条で基準を定めている。

  • 医薬品は、国民の生命及び健康の保持の為の必需品であり、これと至大の関係を有するものであるから、不良医薬品の供給から国民の健康と安全を守る為に、業務内容の規制のみならず、許可制を採用した事自体は公共の福祉に適合する目的の為の必要かつ合理的措置として是認する事ができる。

  • 更に許可条件に関する基準を見ると薬事法6条1項は薬局の構造設備、薬剤師の数、許可申請者の人的欠格事由にそれぞれ許可の条件を定め、2項は設置場所の配置の適性の観点から不許可にできる場合を認め、4項はその具体的内容を都道府県の条例に譲っている。

  • これらの許可条件に関する基準の内、6条1項に定めるものはいずれも不良医薬品の供給防止の目的に直結する事項で、比較的容易にその必要性と合理性を肯定できるものである。

  • それに対して、2項に定めるものは、このような直接の関連性を持っておらず、本件について上告人がその合憲性を争っているのも、専らこの点に関するもの。

  • それ故、これから適正配置上の観点から不許可の道を開く事とした趣旨、目的を明らかにし、この許可条件の設定とその目的との関連性、及びこのような目的を達成する手段としての必要性と合理性を検討し、立法府の判断が合理的裁量の範囲を超えないか判断する。

薬事法では、5条、6条、24条、26条でそれぞれ制限やその基準を示しているが、薬局等は医薬品の取り扱いに密接の関係があるから業務内容だけの制限ではなく、許可制を採用した事は全くの合憲ですよと言っている。
ただ、その内容について、6条1項の規定は薬局の基準だとか薬剤師が何人必要だとかで不良医薬品の供給防止に直結するからわかりやすいんだけど、2項の適正配置規制は直接の関連性がないからわかりにくいよね。だからこれからその適正配置規制の目的と関連性、必要性と合理性を説明していくよという事も言っている。
ただ、主文と理由でこの2項の適正配置規制と4項で都道府県に委ねられた結果作られた条例が違憲だよとネタバレをしているので、これは「これからどう違憲なのか説明するよ」と言っているようなものである。

AV新法においても、「出演契約は、AVごとに締結しなければならない」「AV契約書等の交付義務」「AV契約の説明義務」「出演者の安全等に配慮する義務」なんかは出演被害を防ぐ為に直結する事項である為理解しやすいと思われるが、その制限についての「契約書面の交付から1か月間の撮影の禁止」や「全ての撮影の終了から4か月間の公表の禁止」等は「何で?」「その期間の基準はどこから?」となるだろう。
同じ映像作品である映画なんかには、撮影禁止期間や公表禁止期間等は定められていないし、元々成人年齢の引き下げで取りこぼされる18,19歳の出演者への救済だったはずが、普通に範囲が広げられているので、この辺り制限の必要性と合理性がどこにあるのかが問われていく事になるのではないだろうか。

3 薬局及び医薬品の一般販売業(以下「薬局等」という。)の適正配置規制の立法目的及び理由について。

三 薬局及び医薬品の一般販売業(以下「薬局等」という。)の適正配置規制の立法目的及び理由について。
 (一) 薬事法六条二項、四項の適正配置規制に関する規定は、昭和三八年七月一二日法律第一三五号「薬事法の一部を改正する法律」により、新たな薬局の開設等の許可条件として追加されたものであるが、右の改正法律案の提案者は、その提案の理由として、一部地域における薬局等の乱設による過当競争のために一部業者に経営の不安定を生じ、その結果として施設の欠陥等による不良医薬品の供給の危険が生じるのを防止すること、及び薬局等の一部地域への偏在の阻止によつて無薬局地域又は過少薬局地域への薬局の開設等を間接的に促進することの二点を挙げ、これらを通じて医薬品の供給(調剤を含む。以下同じ。)の適正をはかることがその趣旨であると説明しており、薬事法の性格及びその規定全体との関係からみても、この二点が右の適正配置規制の目的であるとともに、その中でも前者がその主たる目的をなし、後者は副次的、補充的目的であるにとどまると考えられる。
 これによると、右の適正配置規制は、主として国民の生命及び健康に対する危険の防止という消極的、警察的目的のための規制措置であり、そこで考えられている薬局等の過当競争及びその経営の不安定化の防止も、それ自体が目的ではなく、あくまでも不良医薬品の供給の防止のための手段であるにすぎないものと認められる。すなわち、小企業の多い薬局等の経営の保護というような社会政策的ないしは経済政策的目的は右の適正配置規制の意図するところではなく(この点において、最高裁昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五八六頁で取り扱われた小売商業調整特別措置法における規制とは趣きを異にし、したがつて、右判決において示された法理は、必ずしも本件の場合に適切ではない。)、また、一般に、国民生活上不可欠な役務の提供の中には、当該役務のもつ高度の公共性にかんがみ、その適正な提供の確保のために、法令によつて、提供すべき役務の内容及び対価等を厳格に規制するとともに、更に役務の提供自体を提供者に義務づける等のつよい規制を施す反面、これとの均衡上、役務提供者に対してある種の独占的地位を与え、その経営の安定をはかる措置がとられる場合があるけれども、薬事法その他の関係法令は、医薬品の供給の適正化措置として右のような強力な規制を施してはおらず、したがつて、その反面において既存の薬局等にある程度の独占的地位を与える必要も理由もなく、本件適正配置規制にはこのような趣旨、目的はなんら含まれていないと考えられるのである。
 (二) 次に、前記(一)の目的のために適正配置上の観点からする薬局の開設等の不許可の道を開くことの必要性及び合理性につき、被上告人の指摘、主張するところは、要約すれば、次の諸点である。
  (1) 薬局等の偏在はかねてから問題とされていたところであり、無薬局地域又は過少薬局地域の解消のために適正配置計画に基づく行政指導が行われていたが、昭和三二年頃から一部大都市における薬局等の偏在による過当競争の結果として、医薬品の乱売競争による弊害が問題となるに至つた。これらの弊害の対策として行政指導による解決の努力が重ねられたが、それには限界があり、なんらかの立法措置が要望されるに至つたこと。
  (2) 前記過当競争や乱売の弊害としては、そのために一部業者の経営が不安定となり、その結果、設備、器具等の欠陥を生じ、医薬品の貯蔵その他の管理がおろそかとなつて、良質な医薬品の供給に不安が生じ、また、消費者による医薬品の乱用を助長したり、販売の際における必要な注意や指導が不十分になる等、医薬品の供給の適正化が困難となつたことが指摘されるが、これを解消するためには薬局等の経営の安定をはかることが必要と考えられること。
  (3) 医薬品の品質の良否は、専門家のみが判定しうるところで、一般消費者にはその能力がないため、不良医薬品の供給の防止は一般消費者側からの抑制に期待することができず、供給者側の自発的な法規遵守によるか又は法規違反に対する行政上の常時監視によるほかはないところ、後者の監視体制は、その対象の数がぼう大であることに照らしてとうてい完全を期待することができず、これによつては不良医薬品の供給を防止することが不可能であること。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/936/051936_hanrei.pdf

これも順に説明していく。
まずは(一)。

  • 薬事法6条2項、4項の適正配置規制に関する規定は、「薬事法の一部を改正する法律」により新たに追加されたもの。

  • この改正法の提案者は「一部地域における薬局等の乱設による過当競争の為、一部業者に経営の不安定が生じた結果として施設の欠陥等による不良医薬品の供給の危険が生じるのを防止すること」「薬局等の一部地域への偏在の阻止によって無薬局地域又は過少薬局地域への薬局の開設等を間接的に促進すること」の二点を理由として、これらを通じて医薬品の供給の適正を図る事が趣旨であると説明している。

  • 薬事法の性格及びその規定全体の関係から、この二点が適正配置規制の目的であり、その中でも前者が主たる目的をなし、後者は副次的、補充的目的であるに留まると考えられる。

  • これによると、適正配置規制は、主として国民の生命及び健康に対する危険の防止という消極的、警察的目的の為の規制措置で、薬局等の過当競争及びその経営の不安定化防止も、それ自体が目的ではなく、あくまで不良医薬品の供給防止の手段であるに過ぎないと認められる。

  • 即ち、小企業の多い薬局等の経営保護といった社会政策、経済政策的目的は適正配置規制の意図するところではない。

  • また、国民生活上不可欠な役務の中には、法令によって提供すべき役務の内容及び対価等を厳格に規制し、役務の提供自体を提供者に義務づける等の強い規制を施す反面、役務提供者に対してある種の独占的地位を与え、経営の安定を図る措置が取られる場合があるが、薬事法その他の関係法令は、医薬品の供給の適正化としてそのような強力な規制を施しておらず、従って既存の薬局等にある程度の独占的地位を与える必要も理由もなく、適正配置規制にはこのような趣旨、目的はなんら含まれていない。

この薬事法改正は昭和38年に行われたものであるが、その改正趣旨は「薬局等の乱設による過当競争により、経営の不安定化が生じ、その結果不良医薬品の供給の危険が生じる事の防止」「薬局等の偏在の阻止によって、無薬局地域等への薬局の開設等を間接的に促進する事」の二点である。
つまり、適正配置規制による距離制限によって、薬局の乱設は防がれるから乱設のその先にある過当競争や経営の不安定化による不良医薬品の供給も防止されますよ、おまけでそこからあぶれた薬局が薬局の少ない地域に行くといいなというのが立法目的だよねというような事を確認している。
更に、「この適正配置規制はあくまで「不良医薬品の供給」を防止する手段であって、薬局等の乱設による過当競争や経営の不安定化の防止自体が目的ではないよね?」「適正配置規制によって、既存薬局近辺に同業他社が進出してくる事も防がれる(≒既存薬局に独占的地位を与える)けれど、小企業の保護といった社会政策、経済政策的な目的もそこにはないよね?」「厳しい規制がある反面、独占的地位を与える職業もあるけれど、薬事法と関連法令にはそんな厳しい規制はないので、既存の薬局等に独占的地位を与える必要も理由もなく、適正配置規制にはこんな趣旨、目的は一切ないよね?」といった事も再三に渡って確認している。
あくまで、「不良医薬品の供給防止」という公共の利益の為に適正配置規制を採用したのであって、他意はないんだよね?という念押しを裁判所が書くとこうなる訳だ。
まぁ、「社会政策、経済政策上の積極的な目的」による制限は認められていないし、他に「不良医薬品の供給防止」の手段があるならそっちを使えという話でもあるので、裁判所の念の入れようが窺える。

これを真似すると、AV新法についても、「AV出演被害を防止し、被害者を救済する事が目的であって、撮影や公表の一定期間の禁止、AV出演契約の取消による経営負担はそれ自体が目的ではないのだよね? AV出演被害を防止し、被害者を救済する手段なんだよね?」という感じになる。
こう書いてみると、AV新法における「AV出演被害を防止し、被害者を救済する手段」が実に雑な事が窺える。まぁ3か月かそこらで成立された法律なので雑なのは当然とも言えるが。
単に特定を防ぐ為なら顔や声に改めて加工を施すとかでもいい訳で(主演女優にモザイクのかかったAVに商品価値があるのかはともかく)、撮影や公表の禁止期間も本人の責任能力を過当に低く評価して不必要な制限を施していないか?という疑念を抱かせる事にならないだろうか。
ただし、AVについては許可制ではない。許可制ではないものの、薬事法違憲判決の一の(三)から類推して、AV業界という職業に対する制限が公共の利益等に照らして適当か否かを考える必要があるだろう。

続いて(二)に移ろう。

  • この適正配置規制の必要性及び合理性について、被上告人(広島県)の主張するところは要約すれば次の通りである。

  • (1)薬局等の偏在はかねてから問題とされており、無薬局地域等の解消の為、行政指導が行われていたが、昭和32年頃から過当競争の結果として、医薬品の乱売競争による弊害が問題となった。これらの対策として行政指導による解決の努力が重ねられたが、それには限界があり、立法措置が要望される事に至った。

  • (2)過当競争や乱売の弊害として、その為に一部業者の経営が不安定となり、その結果、設備、器具等の欠陥を生じ、医薬品の貯蔵・管理が疎かとなって、良質な医薬品の供給に不安が生じ、消費者による医薬品の乱用を助長したり、販売の際の必要な注意や指導が不十分になる等、医薬品の供給の適正化が困難となった為、これを解消する為には薬局等の経営の安定化を図る事が必要である。

  • (3)医薬品の品質は専門家のみが判定出来て、一般消費者にはそれが出来ない為、不良医薬品の供給防止は一般消費者側からの抑制に期待する事が出来ず、供給者側の自発的な法規遵守・法規違反に対する行政上の常時監視による他はないが、後者の監視体制は対象の数が膨大な為に、これによる不良医薬品の供給防止が不可能である事。

適正配置規制の必要性及び合理性について、広島県側の主張を裁判所が要約するとこうだよね?と再確認するもの。
要約されたものを更に要約したのでややこしいところではあるが、つまり民間に任せた結果、本来国民全てに行き渡るべき医薬品を取り扱う薬局が偏って、行政指導を行っても薬局が存在しない又は少ない地域が発生しているし、一方の密集している地域では過当競争の末に医薬品を乱売したり、経営不安で肝心の医薬品管理が疎かになったりしている。行政が逐一監視しようにも対象が多すぎて不可能だから適正配置規制によって謂わば薬局を間引く事が必要だし合理性もあるよという感じの事を広島県側は主張していた訳である。
ただまぁ、これらの理由も先のネタバレの通り認められなかった訳であるから、これからはこの上記主張を裁判所が論破していくフェーズに入る。

4 適正配置規制の合憲性について。

四 適正配置規制の合憲性について。
 (一) 薬局の開設等の許可条件として地域的な配置基準を定めた目的が前記三の(一)に述べたところにあるとすれば、それらの目的は、いずれも公共の福祉に合致するものであり、かつ、それ自体としては重要な公共の利益ということができるから、右の配置規制がこれらの目的のために必要かつ合理的であり、薬局等の業務執行に対する規制によるだけでは右の目的を達することができないとすれば、許可条件の一つとして地域的な適正配置基準を定めることは、憲法二二条一項に違反するものとはいえない。問題は、果たして、右のような必要性と合理性の存在を認めることができるかどうか、である。
 (二) 薬局等の設置場所についてなんらの地域的制限が設けられない場合、被上告人の指摘するように、薬局等が都会地に偏在し、これに伴つてその一部において業者間に過当競争が生じ、その結果として一部業者の経営が不安定となるような状態を招来する可能性があることは容易に推察しうるところであり、現に無薬局地域や過少薬局地域が少なからず存在することや、大都市の一部地域において医薬品販売競争が激化し、その乱売等の過当競争現象があらわれた事例があることは、国会における審議その他の資料からも十分にうかがいうるところである。しかし、このことから、医薬品の供給上の著しい弊害が、薬局の開設等の許可につき地域的規制を施すことによつて防止しなければならない必要性と合理性を肯定させるほどに、生じているものと合理的に認められるかどうかについては、更に検討を必要とする。
  (1) 薬局の開設等の許可における適正配置規制は、設置場所の制限にとどまり、開業そのものが許されないこととなるものではない。しかしながら、薬局等を自己の職業として選択し、これを開業するにあたつては、経営上の採算のほか、諸般の生活上の条件を考慮し、自己の希望する開業場所を選択するのが通常であり、特定場所における開業の不能は開業そのものの断念にもつながりうるものであるから、前記のような開業場所の地域的制限は、実質的には職業選択の自由に対する大きな制約的効果を有するものである。
  (2) 被上告人は、右のような地域的制限がない場合には、薬局等が偏在し、一部地域で過当な販売競争が行われ、その結果前記のように医薬品の適正供給上種々の弊害を生じると主張する。そこで検討するのに、
  (イ) まず、現行法上国民の保健上有害な医薬品の供給を防止するために、薬事法は、医薬品の製造、貯蔵、販売の全過程を通じてその品質の保障及び保全上の種々の厳重な規制を設けているし、薬剤師法もまた、調剤について厳しい遵守規定を定めている。そしてこれらの規制違反に対しては、罰則及び許可又は免許の取消等の制裁が設けられているほか、不良医薬品の廃棄命令、施設の構造設備の改繕命令、薬剤師の増員命令、管理者変更命令等の行政上の是正措置が定められ、更に行政機関の立入検査権による強制調査も認められ、このような行政上の検査機構として薬事監視員が設けられている。これらはいずれも、薬事関係各種業者の業務活動に対する規制として定められているものであり、刑罰及び行政上の制裁と行政的監督のもとでそれが励行、遵守されるかぎり、不良医薬品の供給の危険の防止という警察上の目的を十分に達成することができるはずである。もつとも、法令上いかに完全な行為規制が施され、その遵守を強制する制度上の手当がされていても、違反そのものを根絶することは困難であるから、不良医薬品の供給による国民の保健に対する危険を完全に防止するための万全の措置として、更に進んで違反の原因となる可能性のある事由をできるかぎり除去する予防的措置を講じることは、決して無意義ではなく、その必要性が全くないとはいえない。しかし、このような予防的措置として職業の自由に対する大きな制約である薬局の開設等の地域的制限が憲法上是認されるためには、単に右のような意味において国民の保健上の必要性がないとはいえないというだけでは足りず、このような制限を施さなければ右措置による職業の自由の制約と均衡を失しない程度において国民の保健に対する危険を生じさせるおそれのあることが、合理的に認められることを必要とするというべきである。
  (ロ) ところで、薬局の開設等について地域的制限が存在しない場合、薬局等が偏在し、これに伴い一部地域において業者間に過当競争が生じる可能性があることは、さきに述べたとおりであり、このような過当競争の結果として一部業者の経営が不安定となるおそれがあることも、容易に想定されるところである。被上告人は、このような経営上の不安定は、ひいては当該薬局等における設備、器具等の欠陥、医薬品の貯蔵その他の管理上の不備をもたらし、良質な医薬品の供給をさまたげる危険を生じさせると論じている。確かに、観念上はそのような可能性を否定することができない。しかし、果たして実際上どの程度にこのような危険があるかは、必ずしも明らかにされてはいないのである。被上告人の指摘する医薬品の乱売に際して不良医薬品の販売の事実が発生するおそれがあつたとの点も、それがどの程度のものであつたか明らかでないが、そこで挙げられている大都市の一部地域における医薬品の乱売のごときは、主としていわゆる現金問屋又はスーパーマーケツトによる低価格販売を契機として生じたものと認められることや、一般に医薬品の乱売については、むしろその製造段階における一部の過剰生産とこれに伴う激烈な販売合戦、流通過程における営業政策上の行態等が有力な要因として競合していることが十分に想定されることを考えると、不良医薬品の販売の現象を直ちに一部薬局等の経営不安定、特にその結果としての医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等に直結させることは、決して合理的な判断とはいえない。殊に、常時行政上の監督と法規違反に対する制裁を背後に控えている一般の薬局等の経営者、特に薬剤師が経済上の理由のみからあえて法規違反の挙に出るようなことは、きわめて異例に属すると考えられる。このようにみてくると、競争の激化―経営の不安定―法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危険が、薬局等の段階において、相当程度の規模で発生する可能性があるとすることは、単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたいといわなければならない。なお、医薬品の流通の機構や過程の欠陥から生じる経済上の弊害について対策を講じる必要があるとすれば、それは流通の合理化のために流通機構の最末端の薬局等をどのように位置づけるか、また不当な取引方法による弊害をいかに防止すべきか、等の経済政策的問題として別途に検討されるべきものであつて、国民の保健上の目的からされている本件規制とは直接の関係はない。
  (ハ) 仮に右に述べたような危険発生の可能性を肯定するとしても、更にこれに対する行政上の監督体制の強化等の手段によつて有効にこれを防止することが不可能かどうかという問題がある。この点につき、被上告人は、薬事監視員の増加には限度があり、したがつて、多数の薬局等に対する監視を徹底することは実際上困難であると論じている。このように監視に限界があることは否定できないが、しかし、そのような限界があるとしても、例えば、薬局等の偏在によつて競争が激化している一部地域に限つて重点的に監視を強化することによつてその実効性を高める方途もありえないではなく、また、被上告人が強調している医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等は、不時の立入検査によつて比較的容易に発見することができるような性質のものとみられること、更に医薬品の製造番号の抹消操作等による不正販売も、薬局等の段階で生じたものというよりは、むしろ、それ以前の段階からの加工によるのではないかと疑われること等を考え合わせると、供給業務に対する規制や監督の励行等によつて防止しきれないような、専ら薬局等の経営不安定に由来する不良医薬品の供給の危険が相当程度において存すると断じるのは、合理性を欠くというべきである。
  (ニ) 被上告人は、また、医薬品の販売の際における必要な注意、指導がおろそかになる危険があると主張しているが、薬局等の経営の不安定のためにこのような事態がそれ程に発生するとは思われないので、これをもつて本件規制措置を正当化する根拠と認めるには足りない。
  (ホ) 被上告人は、更に、医薬品の乱売によつて一般消費者による不必要な医薬品の使用が助長されると指摘する。確かにこのような弊害が生じうることは否定できないが、医薬品の乱売やその乱用の主要原因は、医薬品の過剰生産と販売合戦、これに随伴する誇大な広告等にあり、一般消費者に対する直接販売の段階における競争激化はむしろその従たる原因にすぎず、特に右競争激化のみに基づく乱用助長の危険は比較的軽少にすぎないと考えるのが、合理的である。のみならず、右のような弊害に対する対策としては、薬事法六六条による誇大広告の規制のほか、一般消費者に対する啓蒙の強化の方法も存するのであつて、薬局等の設置場所の地域的制限によつて対処することには、その合理性を認めがたいのである。
  (ヘ) 以上(ロ)から(ホ)までに述べたとおり、薬局等の設置場所の地域的制限の必要性と合理性を裏づける理由として被上告人の指摘する薬局等の偏在―競争激化―一部薬局等の経営の不安定―不良医薬品の供給の危険又は医薬品乱用の助長の弊害という事由は、いずれもいまだそれによつて右の必要性と合理性を肯定するに足りず、また、これらの事由を総合しても右の結論を動かすものではない。
  (3) 被上告人は、また、医薬品の供給の適正化のためには薬局等の適正分布が必要であり、一部地域への偏在を防止すれば、間接的に無薬局地域又は過少薬局地域への進出が促進されて、分布の適正化を助長すると主張している。薬局等の分布の適正化が公共の福祉に合致することはさきにも述べたとおりであり、薬局等の偏在防止のためにする設置場所の制限が間接的に被上告人の主張するような機能を何程かは果たしうることを否定することはできないが、しかし、そのような効果をどこまで期待できるかは大いに疑問であり、むしろその実効性に乏しく、無薬局地域又は過少薬局地域における医薬品供給の確保のためには他にもその方策があると考えられるから、無薬局地域等の解消を促進する目的のために設置場所の地域的制限のような強力な職業の自由の制限措置をとることは、目的と手段の均衡を著しく失するものであつて、とうていその合理性を認めることができない。
 本件適正配置規制は、右の目的と前記(2)で論じた国民の保健上の危険防止の目的との、二つの目的のための手段としての措置であることを考慮に入れるとしても、全体としてその必要性と合理性を肯定しうるにはなお遠いものであり、この点に関する立法府の判断は、その合理的裁量の範囲を超えるものであるといわなければならない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/936/051936_hanrei.pdf

馬鹿クソ長いので当然だが要約する。
元がクソ長いので要約しても長くなってしまう事はご了承願いたい。
順を追って(一)から説明する。

  • 適正配置規制の目的が、先述(3の(一))で再三確認した通りであるなら、それらはいずれも公共の福祉に合致するものだから、適正配置規制がこの目的の為に必要かつ合理的で、薬局等の業務執行に対する規制だけでは不足するという事なら違憲であるとは言えない。

  • 問題は、このような必要性と合理性の存在を認める事ができるかどうかである。

適正配置規制が公共の福祉の為に必要かつ合理的で、他に手段がないという事なら違憲だとは言えないんだけど……。でもそこにそんな必要性と合理性は存在するのか?を裁判所風に書くとこうなる。
まぁネタバレで既に違憲だと言われているので、結局必要性と合理性はなかったんだなという事はわかるのだが、適正配置規制が合憲です!セーフ!となる為にはどのような場合があるかまで説明してくれている。まぁ他に手段がある時点で無理なんだけど。ぬか喜びさせるのはよくない。

次に(二)。

  • 薬局等の設置場所に何の制限もない場合、広島県の指摘するように「薬局等の都会地の偏在」「それに伴う一部における業者間の過当競争」「その結果として一部業者の経営の不安定化」の可能性は容易に推察できるし、現に無薬局地域や過少薬局地域が存在する事や大都市の一部地域で競争の激化による医薬品の乱売等の事例がある事は国会審議やその他の資料からも十分に窺いうる。

  • しかし、この事から医薬品の供給上の著しい弊害を適正配置規制によって防止しなければならない必要性と合理性を肯定させる程に生じていると合理的に認められているかどうかは更に検討を必要とする。

つまりは、広島県の主張する「医薬品の供給上の著しい弊害」は確かに発生しているが、それが適正配置規制を行う程に逼迫した状況だろうか?みたいな感じだ。
AV新法も、過去には確かにAV出演被害は存在していたのだろうが、ここ近年(2019年以降)の適正AV下では被害者はゼロであり、ぱっぷす等の支援団体の計上でもそれはゼロとなっている。
AV新法により摘発された件も、あれは適正AV下の事ではなく同人AVによる物であるし、そもそも無修正で流通させた事案なので刑法175条の案件ではないだろうか。
話は戻って、そのような被害者の存在しない状況下でありながら、AV出演被害者を救済する手段として、業界の自主規制よりも厳しいAV新法による制限を掛ける事に必要性と合理性は認められるだろうか。
この辺りが、AV新法の違憲性として問われるべきところではないかと思われる。

  • (1)適正配置規制は、設置場所の制限であって開業そのものが許されないとなるものではないが、薬局等を自己の職業として選択し、開業するにあたって、採算性や生活上の条件を考慮し、希望する開業場所を選択するのが通常であり、特定場所における開業の不能は開業そのものの断念にも繋がる事から、実質的には職業選択の自由に対する大きな制約的効果を持つ。

  • (2)広島県は、適正配置規制がない場合には、薬局等の偏在が生じ、一部地域で過当競争が行われ、結果医薬品の適正供給上種々の弊害が発生すると主張する。しかし……以下改正薬事法ボッコボコフェーズ。

  • (イ)薬事法は、有害な医薬品の供給を防止する為に、医薬品の製造、貯蔵、販売の全過程について、品質の保障及び保全上の種々の厳重な規制を設けている。薬剤師法もまた、調剤について厳しい遵守規則を定めている。これらに違反した場合は、罰則及び許可又は免許の取消等の制裁が設けられている他、不良医薬品の廃棄命令、施設の構造設備の改善命令、薬剤師の増員命令、管理者変更命令等の行政上の是正措置が定められ、行政機関による強制調査も認められ、検査機構として薬事監視員が設けられている。これらの規制が励行、遵守される限り、不良医薬品の供給の危険の防止の目的は十分に達成する事ができるはずである。違反そのものを根絶する事は困難であるから、違反の原因となる可能性を除去する予防的措置を講じる事は無意義ではなく、その必要性が全くないとは言えないが、適正配置規制が憲法上是認される為には、単に国民の保健上の必要性がないとはいえないというだけでは足りず、その制限がなければ職業の自由の制約と均衡を失しない程度において国民の健康に対する危険が生じるおそれのある事が合理的に認められる事を必要とする。

  • (ロ)適正配置規制が存在しない場合、薬局等の偏在とそれに伴う一部地域における過当競争が生じる可能性がある事、その過当競争の結果として一部業者の経営が不安定となるおそれがある事も容易に想定されるところである。広島県は、このような経営上の不安定が良質な医薬品の供給を妨げる危険を生じさせるとしている。確かに観念上はそのような可能性を否定する事ができないが、実際上どの程度にこのような危険があるかは明らかにされていない。医薬品の乱売により不良医薬品の販売の事実が発生するおそれがあったという点も、それがどの程度か明らかでないが、そのような大都市の一部地域における医薬品の乱売というのは主として現金問屋又はスーパーによる低価格販売を契機として生じたものと認められる事、一般に医薬品の乱売は製造段階における過剰生産とこれに伴う激烈な販売合戦、流通過程における営業政策上の業態等が有力な要因である事が十分に想定される事を考えると、不良医薬品の販売の原因を薬局等の経営不安定、その結果としての医薬品の貯蔵、管理上の不備等に直結させる事は決して合理的な判断とは言えない。特に許可や免許の取り消しを背後に控えている薬局等の経営者、薬剤師が経済上の理由のみから法規違反を行うような事は極めて異例に属すると考えられる。過当競争→経営の不安定→法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危険が、薬局等の段階において相当程度の規模で発生する可能性というのは、単なる観念上の想定に過ぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたい。医薬品の流通の機構や過程の欠陥から生じる経済上の弊害について対策を講じる必要があるとすれば、それは経済政策的問題として別途に検討されるべきであって、国民の保健上の目的とされている適正配置規制とは直接の関係はない。

  • (ハ)仮に過当競争→経営の不安定→法規違反の可能性を肯定するとしても、行政上の監督体制の強化等の手段によってこれを防止する事が不可能かどうかという問題がある。この点について、広島県は薬事監視員の増加には限度があり、多数の薬局等に対する監視の徹底は実際上困難であると主張している。監視に限界がある事は否定できないが、そのような限界の中でも、薬局等が偏在し、過当競争が行われている一部地域に限って重点的に監視を強化するといった方途もありえない事ではないし、医薬品の貯蔵、管理上の不備等は、抜き打ち検査によって比較的容易に発見する事ができる性質のものと見られる事、医薬品の製造番号の抹消操作等による不正販売も、薬局等の段階ではなく、それ以前の段階の加工によるのではないかと疑われる事等を考え合わせると、供給業務に対する規制や監督の励行等によっては防止しきれない、薬局等の経営不安定による不良医薬品の供給の危険が相当程度において存在すると断じるのは合理性を欠く。

  • (ニ)広島県はまた、医薬品の販売の際における必要な注意、指導が疎かになる危険があると主張しているが、薬局等の経営不安定を理由にそのような事態がそれ程に発生するとは思われないので、適正配置規制を正当化する根拠と認めるには足りない。

  • (ホ)広島県は、更に医薬品の乱売によって一般消費者による医薬品の乱用が助長されると主張する。確かにこのような弊害が生じうる事は否定できないが、医薬品の乱売や乱用の主要原因は、医薬品の過剰生産と販売合戦、これに随伴する誇大広告等にあり、一般消費者に対する直接販売の段階における競争激化はそのおまけに過ぎず、競争激化のみに基づく乱用助長の危険は比較的軽少に過ぎないと考えるのが合理的。競争激化の弊害対策としては、薬事法66条による誇大広告規制の他、一般消費者に対する啓蒙の強化も存在するのであって、適正配置規制によって対処する事には、その合理性を認めがたい。

  • (ヘ)以上、(ロ)~(ホ)まで述べた通り、適正配置規制の必要性と合理性を裏付ける理由として、薬局等の偏在→競争激化→経営不安定→不良医薬品の供給又は医薬品乱用の助長という事由は、いずれも適正配置規制の必要性と合理性を肯定するに足りず、これらの事由を総合してもこの結論を動かすものではない。

  • (3)広島県は、医薬品の供給の適正化の為には薬局等の適正分布が必要で、都会地等への偏在を防止すれば、間接的に無薬局地域又は過少薬局地域への進出が促進され、分布の適正化を助長すると主張している。薬局等の分布の適正化が公共の福祉に合致する事、薬局等の偏在防止の為に適正配置規制が間接的にその機能を果たしうる事を否定する事はできないが、その効果がどこまで期待できるかは大いに疑問で、むしろ実効性に乏しく他に方策があると考えられるから、無薬局地域等の解消を促進する目的の為に適正配置規制のような強力な職業の自由の制限措置を取る事は、目的と手段の均衡を著しく失するもので、到底その合理性を認める事ができない。適正配置規制は、無薬局地域等の解消や国民の保健上の危険防止を目的とした手段である事を考慮に入れたとしても、全体としてその必要性と合理性を肯定するにはなお遠いものであり、この点に関する立法府の判断は、合理的裁量の範囲を超えるものであると言わなければならない。

要約なのに非常に長くなってしまったが、更にまとめるとこうなる。

1.適正配置規制は職業の自由を大きく制約する効果を持つ。
2.現行法上でも薬事法、薬剤師法で対処は可能である。
3.実際の不良医薬品の供給や一般消費者による乱用は、製造段階での不正や過剰生産、販売合戦、誇大広告等に主原因があるもので、薬局等の偏在→競争激化→薬局等の経営不安定→不良医薬品の供給・医薬品乱用という因果関係の原因を薬局の段階に求めるのは不適当であり、必要性と合理性を欠く。
4.無薬局地域等を解消したいなら他に方法はある。
5.以上の事から、適正配置規制は目的と手段のバランスが取れておらず、必要性と合理性を欠いている。薬事法を改正した立法府の判断は合理的裁量を逸脱している。

な、長々と要約したものがたった五段落に……。

AV新法で言うなら、同人AVやウラAVで起きている問題を適正AVの問題にするのは因果関係が違うんじゃね?というところである。
岐阜県青少年保護育成条例事件を例に挙げると、「今出回ってる有害図書はアングラによる物で業界の自主規制が及ばないから行政による規制は仕方ないよね」といった理由付けがあった。
同様の理屈から、AV新法の「アングラAVにはAV業界の自主規制が及ばないから法規制するね」という点自体は否定しがたいものの、「法規制は被害者の出ていない適正AVの自主規制より厳しくするね」というのは目的と手段のバランスが取れていないように映る。

5 結論

五 結   論
 以上のとおり、薬局の開設等の許可基準の一つとして地域的制限を定めた薬事法六条二項、四項(これらを準用する同法二六条二項)は、不良医薬品の供給の防止等の目的のために必要かつ合理的な規制を定めたものということができないから、憲法二二条一項に違反し、無効である。
 ところで、本件は、上告人の医薬品の一般販売業の許可申請に対し、被上告人が昭和三九年一月二七日付でした不許可処分の取消を求める事案であるが、原判決の適法に確定するところによれば、右不許可処分の理由は、右許可申請が薬事法二六条二項の準用する同法六条二項、四項及び県条例三条の薬局等の配置の基準に適合しないというのである。したがつて、右法令が憲法二二条一項に違反しないとして本件不許可処分の効力を維持すべきものとした原審の判断には、憲法及び法令の解釈適用を誤つた違法があり、これが原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は、この点において理由があり、その余の判断をするまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、右処分が取り消されるべきものであることは明らかであるから、上告人の請求を認容すべきものとした第一審判決の結論は正当であつて、被上告人の控訴は棄却されるべきものである。
  よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八四条、九
六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    村   上   朝   一
            裁判官    関   根   小   郷
            裁判官    藤   林   益   三
            裁判官    岡   原   昌   男
            裁判官    小   川   信   雄
            裁判官    下   田   武   三
            裁判官    岸       盛   一
            裁判官    天   野   武   一
            裁判官    坂   本   吉   勝
            裁判官    岸   上   康   夫
            裁判官    江 里 口   清   雄
            裁判官    大   塚   喜 一 郎
            裁判官    高   辻   正   己
            裁判官    吉   田       豊
            裁判官    団   藤   重   光

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/936/051936_hanrei.pdf

結論なのでサクっといこう。

  • 以上の通り、適正配置規制を定めた薬事法6条2項、4項は憲法22条1項に違反し、無効である。

  • 本件は、上告人の医薬品一般販売業の許可申請を広島県が不許可処分としたものの取消を求める事案であるが、不許可処分の理由は無効となる適正配置規制に適合しないというものである。

  • 従って、改正薬事法が合憲だとして不許可処分の効力を維持すべきだとした原審の判断には憲法及び法令の解釈適用を誤った違法があり、これが原判決の結論に影響を及ぼすのは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。

  • そして、不許可処分が取り消されるべきであるものは明らかであるから、上告人の請求を認めた第一審判決は正当であって、広島県の控訴は棄却されるべきである。

適正配置規制を定めた薬事法が無効になるなら、それに従って行われた処分も無効になるよねというシンプルなもの。
仮に広島県側が適正配置規制を用いずに不許可処分を行っていたら、また違った判決になっていた事だろう。憲法22条の観点から違憲判決が下されるのはもっと先になっていたかもしれない。
そう考えると時の巡りというのは数奇なものだと思う次第である。

さて、以上の判決が薬事法違憲判決と呼ばれる判例である。
薬局等の偏在や不良医薬品の供給等、同じ言葉が何度も出てくるし、合憲とする側の主張も論点整理の為に載せているのでややこしいと思った方が多いのではないかと思うが、噛み砕いて説明していくと「目的と手段がバランスを欠いている」「公共の利益の為の必要性と合理性に不足する」に尽きるのである。

終わりに

薬事法違憲判決の解説をしつつ、AV新法の問題点についても触れてみたがいかがだっただろうか。
ここで改めてAV新法の概要についても触れておこう(条文になると長いので……)。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/b58140f7f687398349257a8d000d208d/95d885514b0992874925884e000f0818/$FILE/208hou43siryou-a.pdf

近頃は「若い女性」というだけで保護されるべきみたいな風潮となっているのがまるで「女性は男性に劣る存在」だと言っているようで気に食わないのだが、この法律の保護法益は何かと言われるとまぁ「出演被害者(主に女性)の人権」となるだろう。
ただし、この法案の立法目的である「AV出演被害により、出演者の心身や私生活に将来にわたり取り返しの付かない重大な被害が、現に生じている」だが、適正AV下では2019年以降出演被害はゼロである。ぱっぷす等、この法案の成立に助力した女性支援組織の調査でも、出演被害は見当たらない。
AV人権倫理機構の調査でも、5年間で強要が1件のみである。
「大山鳴動して鼠一匹」という諺があるが、「AV出演被害により、出演者の心身や私生活に将来にわたり取り返しの付かない重大な被害が、現に生じている(5年間で強要1件)」というのは、やや大袈裟に過ぎるのではないだろうか。
勿論、岐阜県青少年保護育成条例事件のように、業界外によるアングラ物に出演被害が存在するという事例なら、「自主規制によらない法規制が必要」とするのも一理あると言えるだろう。
ただし、それをするのであれば、主として自主規制を行っている業界の人間から意見を聞くべきであり、自主規制や商慣習を参考にしない法案に実効性があるか疑義を唱えるのはごく当たり前の感覚であると思う。

また、このAV新法の成立に関わった金尻カズナ氏のあるツイートが目についた。

この言い方では、「罰則規定はないので守る必要はない」と言っているようなものではないだろうか。
また、条文には概要に「契約書面の交付から1か月間の撮影の禁止」「全ての撮影の終了から4か月間の公表の禁止」とあるように、「行ってはならない」と明確に禁止している。
せめて「努めなければならない」といった努力義務であれば、法的拘束力はそこまでない(違反により行政指導の可能性はある)ので、まだ言い逃れはできるのだが……。
明確に禁止している規定を「罰則規定はないから」と破らせて、それを以て法律違反だとして更なる規制を要求しようとしている……というのは筆者の穿った見方だろうか。

まぁ避妊具(コンドーム)に対してこのような主張をする方であるから、法律に対する認識がそもそも違うのかもしれない。
一応言っておくと、コンドームで完全に性病・妊娠を防ぐ事はできないが、一般的に使用される避妊方法である為、その実効性は保持されていると筆者はそう考えます。

以上、薬事法違憲判決とAV新法の関連性について述べさせてもらった。
AV業界は薬局等と違い許可制ではない事は留意しなければならないが、職業選択の自由という基本的人権の制約範囲(公共の福祉)については参考になったのではないだろうか。
この薬事法の改正は昭和38年(1963年)に行われ、当該裁判は広島地裁判決が昭和42年(1967年)、広島高裁判決が翌昭和43年(1968年)、最高裁判決が昭和50年(1975年)、薬事法の違憲部分の削除が同年の3か月後と約12年に渡って繰り広げられたものである。
AV新法についても、その違憲性を問うならば裁判を提起しなければならないが、それが長丁場になると予想される為にAV業界はロビー活動を通じて法律に規定された2年以内の見直しでの緩和を目指しているものと思われる。
本noteがその活動の一助となれば幸いである。
そして刑法175条は滅びて欲しい。AV新法によりAVが合法化されて適正AVは刑法175条の適用外になるかも?と思った筆者の期待を返して欲しい。

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