未来と過去の話

自分のおなかから子どもが生まれた場合は、それが自然分娩でも帝王切開でも自然妊娠でも体外受精でも勿論戸籍には載らない。

では、いつか我が子がそれを知ることがあるのか。伝えるべきか墓までもっていくべきか。そんなことをふと考える。

ぽろっと言ってしまうこともあるかもしれないし、話題に上らず天寿を全うするまで知らないままかもしれない。

いつか、子どもが何かの拍子で知ったとしたら、ショックを受けるだろうか。もしそんなことがあったら、わたしは声を大にして伝えたい。

100万円かけてでも、あなた達に会いたかった。

大切なのはどう授かるかでも、どう産んだかでもなく、子ども達がわたしたちの元に来てくれたということだと、伝えたい。

でも同時に、こんなことを考えてしまうあたり、わたしも社会の風評やこうあるべきという理想に呑まれそうなところがあるんだな、と思う。

産めた事実があってもなお、自力で妊娠できなかった事実を無かったことにはできない。頑張ったこととして、心の勲章に、できない。

この件に関して自分の心に折り合いをつけることは難しい。だから子ども達の笑顔をみて、過程がどうであれ、無事に生まれてきてくれたんだから、ととりあえず蓋をする。ちょっとモヤモヤするけど。

他の人はどんな気持ちなのかな、語る場所があったらいいのに、とボヤきつつ、今はとりあえず文章に残しておいて、何年後かに再検討しようと思う。

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