僕は「人はなぜ生きるのか」という問いから目を逸らし続けて生きていくしかない

問:人はなぜ生きるのか
答:意味などない。

問:ではなぜ人生という意味のない行為を、こんなに苦しい思いをして続けていかなければならないのか
答:生きなければならない理由はない。

問:では死んでも良いか
答:そうしたければそうするが良い。止める理由はない。


これ以上に反論の余地のない理屈に僕は出会ったことがない。
自分が死ぬと悲しむ人がーとか、まだ人生の楽しみを経験してないからーとか、色々反論を組み立てようとしたが「人生是無意味也」の前にはあまりにも無力だった。
もしこの理屈に反論できる人がいたらぜひ教えて欲しい。
あなたは何をモチベーションに生きているのか
あなたはいつか必ず死ぬというのに。
死ねば何も残らないというのに。
あなたを覚えてくれる人もいつか死ぬというのに。
そして最期は全て塵に還るというのに。

昔ニーチェという哲学者について調べたことがある。
人はなぜ生きるのか、この問いの答えを知りたかったからだ。
僕のような凡人にはいくら考えても見つけられなかったが、歴史に名を残すような偉大な哲学者なら何かしらの答えを得ているかも知れない。
僕はそういう期待を持っていた。
しかし期待は外れた。
彼もまた「人生是無意味也」という身も蓋もない結論にぶち当たり、しかしこの結論から決して目を逸らさず、そして目を逸らさなかった結果発狂して死んでしまった。
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というのはニーチェの著作の中の一節だが、彼自身も深淵を見続けて深淵に魅入られてしまったのだろう。
そして僕も、彼の著作を読みながら人生の意味というものについて(というか人生が無意味なものであるという事実について)深く考えていた時に、ほんの僅かだが深淵をのぞいた感覚を体験した。
ああ、人生はどこまで行っても無意味なんだなと心底腑に落ちた瞬間に、僕はそれまで信じていた全てのものが崩れ去り、しがみつく一切の足場を失い暗い穴に真っ逆さまに落ちていく感覚を覚えた。
そしてその穴の中で僕は、ほんの一瞬、深淵を見た。
深淵も、僕を見た気がした。
瞬間僕は否応なく理解したのだ。
「ここに居たら僕は確実に自殺する」
僕はその場で絶叫したくなる程恐怖し、その恐怖で我に帰った。
そして僕は本を閉じ、以降二度と哲学には近づかなかった。

「人はなぜ生きるのか」という問いから目を逸らし続けて生きていこうと、その時決めた。



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