最近の若者の精神年齢は低いという指摘になんとなく反論


昔の人、100年前や50年前の人よりも現代の若い人の精神年齢は低い状態にあると思う。事実だと思う。それを憂う人は若者の精神年齢が低いことは悪いことだと考えてるわけですね?

ぼくはそうは思わない、むしろそれは良いことだと思う。なぜならそれは豊かさと自由の結果だから。


古代よりずっと世界ではモノやコトの豊かさはなく人間社会は固く、制度や人の価値観に多様性はなかった。多様性とは、生産力が高くマジョリティ以外も抱えることができるようになった社会でなければ持つことが出来ないからだ。
豊かさの無い未熟な世界ではあらゆることは不自由で不条理で不合理だった思う。
人は早く大人になり仕事をして社会や家計の一員にならなければならなかった。それを所属する共同体の内外や自他に示すためにイニシエーション、通過儀礼があった。未開社会だと古い通過儀礼が今でも残っていてテレビで紹介されたりもしているね。
近現代でもそれはあると思う。成人式とか典型だし、儀式という形でなくとも人々の価値観やイデオロギーの中にそれはある。早く大人になれだとか、もう立派な大人なんだからとか、いつまでも子供でいるな、とかね。

ぼくはこれらの価値観やイデオロギーが嫌いだ。昔の世界はとても貧しく、真面目で立派で画一的でそして愚直な働き手が必要だった。早く大人になり働き始め共同体の一員にならなければ生きていけなかった。なぜなら、大人にならないことは生まれた瞬間に一言も約束していない社会契約に反することになるからだ。

富は少なく自由はなく、合理的な理由も効率的な方法論も共有されていなかった。
移動手段もない救済制度もない、地縁や血縁がかなり強く人間関係は流動的ではない。ていうか地縁や血縁が数少ないセーフティネットだった。

嫌な人間関係や固いイデオロギーの跋扈する世界でそこから逃げる道はなかった。そんな世界では人は全てを諦めて受け止めるしかなく自分に暗示をかけ、常識や周りの価値観を自己と同一化した。
どんな不条理も不合理も不自由も変えることは出来ない、我慢して受け入れて平気なフリしてそれを自明のこととして受け止める。それが人の生み出した処世術だったと思う。それが大人な対応だったと思う。

それをいまだに大人のあり方だとか常識だとか言っている人間はきっと不自由な人だ。知識や情報を柔軟に探して摂取する能力がないんだと思う。時代に合わせて、とまでは言わないが今まで積み上げてきた自分の思考パターンや思想を変化させられないんだと思う。自分が暗示に掛かっていることを、常識がただの作り出された人工的な構造物だと知らないんだ。
そんな風に思う。


現代、ここ10年20年で人の豊かさはある閾値を超えたと思っている。
それは資源の豊かさや技術の発展により、世の中の多くのことが自由に合理的に効率的に民主的に解決することが可能になったラインだ。


今の世界は、産業革命に始まり石油を見つけ2度の大戦を経て各国の技術競争が行われ、果てにはインターネットという革命にたどり着いた。
技術の革新は物質的なモノの豊かさに繋がり、モノの豊かさは少しずつ人に物質的ではない豊かさを与え、その無形の豊かさは人の価値観やイデオロギーを多様にした。
人は以前よりも自由になった、なにもかもあるがままを受け入れて納得する以外の選択肢を得たのだ。それはつまり、人が無理して大人になる必然性、共同体や社会からの圧力の低下を引き起こした。
これはとても良いことだと思うのだ。人は周りからの要請によって無理やり精神的に大人になる必要なんかない。諦観や暗示からくる大人びさから抜け出ることに成功した。

ここで急かもしれないが人の全盛期というもの、輝いていた時代っていうのは多分18歳とか20歳あたりだとぼくは思う。
こと現代に至り、人間は大小の苦労は伴うがその選択肢を選べば過去の因習から解放されることができるようになった。つまり、大袈裟に言えば人は大人になる必要が無くなったのだ。精神的に大人になる必要が無いのなら、身体が歳を取ろうとも心はいつまでも若いまま輝いていた状態に留まるんじゃないのかな?それは良いことではないかな?

これが最近の若者は精神年齢が低い、いつまで経っても子供だという指摘への反論だ。


結論としては、人の心がいつまでも若いままだったりいまいち成長しないというのはつまり、豊かさや自由の表れなのだ。モノとコトの豊かさにより人の生き方や思想やキャリアは多様化した。ひと昔前までの世界では生存するのに必須の技術であり、一人前の人間なら誰もが持っていた「大人らしさ」は、現代に至り必ずしも必須では無くなった。なぜなら、現在は人類史の中で見てもかなり豊かで、かつ変化の激しい時代だからだ。恐らく今後、今の大人の方が考えているような大人の条件は古くなり、耐用年数の切れた無用の長物となるだろう。


今の10代20代はきっと若く多様なあり方を受け止めながら大人になるだろう。今の40代50代の親の方がもしも10代の息子さんや娘さんと友達のような関係にあるのだとしたら、それはお子さんの肉体的年齢とあなたの精神年齢が近づいた証拠だ。それは貴方の精神年齢が輝いていた全盛期のまま維持され自由で豊かだからだ。たぶん、悪いことでは無い。
これから成長する一桁代やまだ生まれていない子供たちはきっと、私たちが想像できない広がり続ける世界を生きる大人になるだろう。たぶん。


もし若者の精神年齢が低いのはまずいことだと指摘する人がいたなら一度考えてほしい。自分が指摘する上で使っている論理は、同時に人の自由や豊かさも否定してはいないか?
現在の社会では憲法や法律にも含まれている至高の権利である自由や豊かさをも同時に批判しているのなら、あなたの指摘に妥当性は無いかもしれない。

と、こんなふうに考えてみた。

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