『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』は名作になり損ねた名作である。(後編)

 そして後編だ。先に上げた残りのセンテンスを片付けていこうね。


・厄祭戦とモビルアーマーという『最高の舞台』の放棄

 先程上げたダインスレイブというのが厄祭戦での無人稼働巨大兵器『モビルアーマー』の暴走に対抗するための兵器として使われたという話。鉄血のオルフェンズ中で厄祭戦というのがどのような戦いだったのかはっきりと明示されてはいなかったが人類滅びそうになった大戦争だったっぽいというか。

 鉄血のオルフェンズ2期で最高に面白い場面とはこの中盤の「ガンダムバルバトスルプスvsハシュマル」であると思う。ハシュマルとは鉄華団が採掘場から掘り出したモビルアーマーであり、セブンスターズのイオク・クジャンという愚か者がモビルスーツを近づけたことで起動してしまった『厄祭戦の怪物』である。超出力のビーム兵器で岩をも焼き溶かし、居住区さえ火の海にしてしまう。さらには無数の子機を連れて大群で蹂躙するほどの悪辣さも兼ね備えている。まごうことなき怪物である。
 そんな化物を放置してしまえばクリュセまでも焼き尽くされてしまうのでなんとしても止めなければならない。しかし厄祭戦の怪物ともなればやはりその力は太刀打ちできるものでもないし、ガンダムを使うにもエイハブ・リアクターの干渉により暴走の危険があってうまく稼働しない。さてどうする?という場面。
 三日月オーガスは暴走覚悟でバルバドスを繰り出し、まさにソロモン72柱の名前を冠するにふさわしい魔神の如き激闘の末にハシュマルを撃破する。この戦闘の作画は過去ガンダムシリーズと比較しても屈指のアクションと完成度なので必見。しかし阿頼耶識を駆使してガンダムのエイハブリアクターを超可動させたその代償に、三日月オーガスは今までの右目と右腕の不随に加えて、右足の自由も奪われて半身不随に陥ってしまう。

 実に熱い展開だろう。ガンダム・フレーム、厄祭戦、エイハブリアクター、モビルアーマー、阿頼耶識といったSFロマン満載の要素を存分に盛り込んだエピソードだ。そしてここから物語が転換して全てが明かされる……と思っていた。
 残念ながらこのエピソードがもたらしたのは「マクギリスが力に確信を得る」ことでしかなくて、そこからマクギリスの蜂起が始まる……

 そう、厄祭戦もモビルアーマーも出番はここまでだ。

 もったいなさすぎるにも程があるッ!! 確かに全ての出来事を事細かに説明するのが物語じゃあない、あえて語らないのもストーリーの手法だ。しかしこの鉄血のオルフェンズはなんだ。ガンダムだ。ロボットSFを掘り下げずして一体どうしてガンダムなんだ? ここが鉄血のオルフェンズの次なる問題点、ロボットSFなのにロボットSFを突き詰めず別のものを書こうとした。それはなんだ? となるのだ。
 ここで語りたいところは、最高の設定を放棄してまで描いたのがマクギリスの反乱であったということ。む、ならばその先に厄祭戦やモビルアーマーの再来がまた起きるのだろうか、と期待を持たせるのだが……次のセンテンスだ。


・バエルという『神格の象徴』の失墜

 バルバトスと三日月の魔神めいた激闘を見て「力こそ正義だ」と目覚めたマクギリス、ついに覚悟を決めてギャラルホルン本部を鉄華団と一緒に襲撃して地下に封印されていたガンダムフレーム「バエル」を起動させることに成功する。これによって「バエルを操るものがギャラルホルンの頂点である」という大義名分と力を手に入れたということなのだが……ここで一番現れてはならない人物が出てきて、マクギリスの一人勝ちではなく「対立構造」ができてしまう。
 その人物の登場によって「バエルを乗ったからと言ってギャラルホルンがマクギリスに協力しなければならない」というルールが霧散するようになり、落とし所として「ギャラルホルンはマクギリス一派にもラスタル一派にも加担しない」となったわけだ。
 そしてそのまま最終決戦にいくのだが、その顛末が中編でも書いた「ダインスレイブ」という時計仕掛けの神の使い魔によるご都合主義なのである。
 そういえばバエルには秘められた力があるとかHGガンプラの説明書のフレーバーテキストに書いてあったけど本編でそれが出てくることは一切なかったぜ!

 せっかくの極上のロボットSF題材を捨てて描いたのがご都合主義による敗北というこの顛末、名作になれるポテンシャルがあったのに名作であることを捨てたのがよくわかるだろう? だがここで注意しなければならないのは「マクギリスを描きたいから」厄祭戦もモビルアーマーも阿頼耶識も捨てたということでない。正確に言えばマクギリスだけを描きたかったからではないという。

 では問題だ。物語の主人公である鉄華団もご都合主義によって葬ることを選び、SFロボット設定という世界観すらも放棄し、なおも脚本と監督が書こうとした人物が果たして誰であったのか。マクギリスだけでないとしたら誰か……では、最後のセンテンスだ。


・ガエリオという『生きてはならなかった英雄』の話。

 そう、ガエリオ・ボードウィンその人だ。
 彼はギャラルホルン幹部の名門ボードウィン家の息子であり、マクギリスにとっての唯一無二の親友である。しかしマクギリスは腹に黒いものを抱えた人物であり、目的のためならば友をも捨て去るほどの意志の極まった人物だ。だからこそガエリオを政治的に利用しつつ彼を葬って、マクギリスはさらに上にまで上り詰めた。実際にマクギリスがガエリオの乗るガンダムキマリスのコクピットに剣を突き立てて殺した……

 はずなのに生きていたことにされている。
 ガエリオはサイボーグめいた手術を受けることで生還を果たしたのである。このことにより、マクギリスが勝利宣言したのと同時にガエリオが「マクギリスを討つぞ!」と世界に宣戦布告をしたがために、バエルによるギャラルホルンの支配を打ち破るための鍵になったという有様だ。きっかけって大事だよね。そしてそれは最大の矛盾を孕んでいるんだ。

 ここがまさに鉄血のオルフェンズ最大のやらかしだと思ったりする。ガエリオという人間を活かしたら、マクギリスの「用意周到で情け容赦なく徹底的に目的を遂げる」というキャラ像そのものがぶれてしまう。ましてやマクギリスがガエリオを仕留めた時も死体確認ができなかったほど逼迫してる状態でもないし、生存してるのを知りながら見過ごすというのは上の目的からしてもありえない矛盾を抱えることになる。それを押し通してしまったのだ。

 確かにマクギリスとガエリオという人物像は初代ガンダムのシャア・アズナブルとガルマ・ザビを連想させるし、そのカウンターとしての「ガルマがシャアに反撃する」を描くのであれば確かに「既存のガンダムシリーズのアンチテーゼを貫く」という鉄血のオルフェンズのコンセプトとしては間違えていないのかもしれない……が、そこに傾倒してはいけなかったのだ。マクギリスとガエリオの関係性は魅力的だし別の記事にまとめられるほどに語れる内容ではあったのだが、「ガエリオ」を拾うために「鉄華団」「クーデリア」「整合性」「厄祭戦とモビルアーマーと阿頼耶識」とを捨てるのは、あまりにガンダム作品としては致命的だ。少なくとも2期を作ることを目的としていたなら、ガエリオは確実に殺すべきだったのだ。彼がいると物語がブレるし実際にそうなった。
 ガエリオを生かす方向にした行き当たりばったりの方向転換と、そして世界観を作り上げるという物語の本質を蔑ろにしてしまった結果が鉄血のオルフェンズ2期の失敗であったと思ったりするわけよ。
 6つのセンテンスを書いたのでまとめに入ろうと思ったがおまけのセンテンスを書いておこう。

・SFロボットよりも優先されてしまった男の友情

 男の友情を描くためにロボットSFという体裁を捨ててしまったのが、鉄血のオルフェンズ2期を台無しにしてしまった要因なのではないか、と思っていたりもする。
 2期では男の友情がいろいろな場面で出てくる。タカキとアストン、シノとヤマギ、チャドとダンテ、ユージンとオルガ、ハッシュと三日月、そしてマクギリスとガエリオ、三日月とオルガである。ざっと内容をうろ覚えに思い出すと、彼らの描写は少なからずあったなぁと思う一方で、「そっちに時間割り振りすぎだろう」と思うところがあった。

 最終決戦でも「男でありながらシノのことが好きなヤマギと、その同性恋の顛末」に時間を割かれてしまったのである。語ることは、そこじゃないだろう!とね。さらに問題なことにシノとヤマギの恋の顛末の後、ヤマギにはろくに重要な役割どころかセリフすらない有様だったのだ。最終決戦よりも優先した男同士の恋を描いておきながらぽいっと捨ててしまってるのである。一体何を描きたかったのだろう? という欺瞞。


・まとめ

 とまぁいろいろと書いてきたが、問題点をまとめてみようか。

 まず第一に、『鉄華団を滅ぼす』という結末のためにご都合主義な展開をしすぎたこと。鉄華団を滅ぼすためには正義の側であるクーデリアを登場させもしないし、禁断の兵器であるダインスレイブもギャラルホルン側には用意させないしセブンスターズ側には用意させるし、あげくの果てには死んだと思われていた人間すら生きかえさせた。
 第二にはSFロボットアニメであるのにSF設定の掘り下げを一切行うこともなく捨てたこと。視聴者の見たいことをあえて捨ててやったのは、ロボットアニメでなくてもできるであろう男同士の友情の顛末である。そしてそれを描くために一人の重大な男のキャラの人物像すらブレブレにしてしまうという本末転倒。

 そして第三の理由に、その根幹にあるものは、『鉄華団が嫌い』であることと『ギャラルホルンが好き』だからという依怙贔屓が原因であると思うんだ。

 ネットのほうには記事がないのでURL引用できないが、アニメ放送終了後のアニメ雑誌(多分アニメージュかな? 伊藤悠さん描き下ろしの笑顔の鉄華団のイラストが表紙に出ていた)での放送終了後インタビューにおいても鉄華団が嫌いになったとか書いてあった……が、曖昧なのであとは各人で確認してほしい。

 ガエリオやラスタルのほうを好きになったからと言って、作劇として主人公である三日月やオルガの率いる鉄華団側を落としてしまっては、そりゃ名作になれるポテンシャルがどれだけあっても名作になれるはずがないという。


 以上を以て、「鉄血のオルフェンズが名作でありながら名作になれなかった」とこのまとめとしよう。

 そして書いてる最中に思い至った部分もある。
 「どうすれば鉄血のオルフェンズは名作になれたのだろうか?」というアイディアの掲示だ。もしかしたら書くかもしれないし書かないかもしれない。
 ちょっと疲れたので一旦筆を置こう。読んでくれてありがとう。拡散してくれてもいいのよ。

私は金の力で動く。