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短歌チョップ

1時頃に会場に着ければと思っていたのが、前夜に食べた生焼けだったかもしれない豚肉のことを考えたり、真人間に見せるためのイメージトレーニングをしたりしていたら少し遅くなってしまった。
フリーペーパーをコンビニで印刷するべく一軒目のセブンイレブンに入ると、ひたすら写真を出しまくっている女子学生がいて、しばらく待っていたがあきらめた。電車が一本行ってしまった。
二軒目のセブンイレブンに入るとプリンターには用紙切れと表示が出ており、店員さんに声をかけようとするも、皆忙しそうであったりそもそも店員さんに声をかけるというのが苦手なため(主に後者)あきらめた。真人間になるためのイメトレは意味が無かったようだ。
三軒目のセブンイレブンでは中年男性がひたすら楽譜をコピーしていた。長居は無用。会場近くのセブンイレブンに懸けることにして電車に乗った。
セブンイレブンのプリンターを使いたいだけなのに悲しみでいっぱいである。

大国町駅に無事着いて、会場へ向かう途中でセブンイレブンを見かけたので入った。能面のような顔になっていたと思うけれど、なんとプリンターは空いていた。必要枚数がさっぱりわからんが結局15部ほど刷って会場に入った。もう2時だった。

2階と3階のどちらに行けば良いのか分からず、だらだら階段を上り続けて気がついたら3階だった。とりあえず人の声がする方に向かうと、部屋一杯に人がいてびっくりした。これみんな短歌に興味ある人なのか。すごい。
芳名録(というかもっとカジュアルな感じだったんだけどこの言葉しか思いつかない)に名前を書くように言われて、書いた。1人1ページと言われて、捻りもへったくれもなく名前を書くときのあの我が身のつまらなさ、イラストが描けるわけでもなく持て余す余白の白々としたあの感じ、あーあと思う。私はつまらない人間なのだな。
フリーペーパーを置かせてほしいと言うと、あっさり置いてもらえた。手元に3枚ほど残した。前では田中ましろさんが話をされていた。フリーペーパーコーナーの近くで立ち見をしていると、着物を着たご婦人がすっと来て、いくつかフリーペーパーを手に取られた。そして私のフリーペーパーも一緒に持っていってくださった。「あああそれいま私が置それそれ作ったの私でああそあそあありがとうございますあ」という気持ち。やっぱり実際手に取ってもらえる瞬間を目撃すると感激する。良いフリーペーパーにできただろうか。偏見かもしれないけれど、短歌の場に着物を着てくる人というのは、ある程度短歌に慣れておられる方なのではないか。短歌を始めて一日やそこらの人が、短歌のイベントに着物を、あ、でも普段から着物を着る人なら着てくるかもしれないか。あまり歌の出来が良くないと思われたとしても、せめて真面目に作ったことが伝われば良いなと思う。

「場」のトークで、「どんどん投稿しよう」という意見があると同時に「投稿しなくてはならないわけではないし、自分のペースを守ろう」みたいなコメントもあって少し安心した(意見は意訳やら私の解釈やらが入っているので、このままの言葉ではなかったと思う)。
短歌を発表する場のことで、私の今のメインはツイッターなんだけど、例えば結社誌とツイッターを比べたとき、重みを感じるのは結社誌だろうと思う。「ツイッターで短歌を作っています」というのは私の自己紹介のテンプレだけど、自分で言っておいてなんだけどすごく軽い感じがする。○○短歌会の○○です、の方がしっかり短歌をやっていそう。推敲に推敲を重ねた短歌をツイッターに流したとしても、ツイッターに流したというだけでライトに見える気がすることがたまにある。発表の場がどこであるかによって短歌のクオリティや真剣度が計られるようなところがあるのは、仕方がないのだろうか。仕方がないのかもしれない。
最近結社に入る人が増えたことで、無所属であることに若干の引け目を感じるようになった。ただ、引け目を感じることを理由にどこかに所属しようとは思わないし、その理由ではおそらくやっていけないだろうと思う。

途中で抜けて「葉ねのはなし」を聞きに行った。葉ね文庫がなければ、今でも歌集や句集を一冊も持っていなかっただろうな。葉ねさんがあって良かった。

このあとまた「場」の話に戻った。石井僚一さんが話をされていた気がする(この辺りの記憶の前後関係が怪しい)。毎月歌壇は名前を伏せた状態で選をされているそうだ。それだと良いなとぼんやり思っていたので良かった。 

また2階に戻って「うたの日ミニトーク」を聞いた。トークを聞くと改めて「うたの日すごい」「ののさんすごい」と思った。私の場合は、題詠しかできなくなることを危惧してうたの日を知ってから参加するまでに少し間があったり、参加を始めてからも同じ理由でしばらく出さなかったりしたこともあるんだけど、なんだかんだで2年弱ほどお世話になっている。ふらっと離れてもふらっと戻ってこられるのが良い。

ここで人に会うというミッションを果たした。初対面なのに完全にツイッターと同じノリで話していた気がする。

ちらっと3階を見に行くと自分のフリーペーパーがなくなっていてひゃーと思った。
人混みにいるのと朝ご飯以来飲まず食わずだったせいか、急に疲労が来て一旦外に出た。諸事情により小銭がたくさんあり、セブンイレブンに戻ってフリーペーパーを少し増やした。多めに刷ってもう一度設置してもらおうかと思ったけれど、おそらくそれを言い出せないので数枚だけ刷って持っておくことにした。アイスを買って、買ったは良いものの食べる場所がないのでコンビニの外で立って食べた。二月の風に吹かれながら。ツイッターを開くと「ムシトーーク!始まった」というツイートがあってやっちまったと思ったがとりあえずアイスを食べきることにする。おいしい。
アイスひとつでかなり元気になり、つくづく単純だと思った。

ムシトーーク!は、文語と口語の話(の終わりかけ)だった。短歌を続けるうちに文語を使いたくなるという話が出ていて、それは少し分かる気がする。分かる気がするけれども今のところ私は文語を使いたいとは思っていない。短歌にしたいと思った、自分が見たことや感じたことは、自分が普段使っている言葉でないと形にできないように感じる。文語にすると実感から離れてしまうような。
文語を使う理由が単に「好きだから」だろうが理屈があろうがどちらでも良いと思うけれども、文語に対する確固たる気持ちがあるわけでもない今の私がふらふらと文語に手を出したら、なんとなく生まれるそれっぽさに甘えてしまうだろうと思う。文語でしかできないことがあるとしたら、口語でしかできないこともあると思っていたい(願望)。文語を使いこなせる人は格好良いなと思うけれど(この辺の話は旧仮名づかいにも言えそうだなぁ)。
結社の話も印象的だった。短歌を始めた当初は結社という言葉も知らず、知ったら知ったでなんだそれはという感じだった。特殊技能を身につけた人々が集まっているハイクラスなものだろうし、というか結社という響きが完全にフリーメイソンであるし。という感じだったのがここ一年くらいでツイッターで繫がっている人たちが次々結社に入り始めた(繫がっている人が増えたから結社に所属する人が増えたように感じるのかもしないけど)。結社でバリバリやっている人から見ると、私のような「ツイッターで短歌作ってます」な人間とは隔たりがあるのかもしれないけれど、こちらから見た結社は前に比べると溝は浅くなったと思う(同じこと、壇上でも言われてたけど)。ツイッターでの皆さんの呟きを見ることで、フリーメイソンではないことも分かったし。
締め切りがあることでモチベーションを保てるという話を聞く。それでうまく短歌ライフを回せる人には良いのかもしれない。ただ、締め切りがあって作る、締め切りがないと作らない、みたいになったとき、果たして私はそこまでして短歌を続けたいと思うだろうか。短歌を好きでいられるだろうか。
もしかすると、締め切りがないと作らなくなる自分になるのがいやで、今のところ結社に入ることを考えていないのかもしれない。トークの中でもあったけれど、締め切りがなくても3年半短歌を続けることが、今のところできている。
ムシトーーク!は歌集を何冊も出されているベテランの方から若い人、企画をいろいろされている人、結社所属ありなし、様々な立場の人が満遍なく参加されていたのが良かった。一応話がまとまって終わるんだけど、誰かの意見を論破したり、強引に一つの結論を出して押しつけられたりすることがなく、フラットな気持ちで聞くことができたように思う。

懇親会は始め、行かないつもりだった。行かないというか、行ったところでどうせ誰も知らないしと思っているうちに締め切りが来てハイ終了、と思ったら「前日まで受け付けます」とのことでうだうだ考えて、懇親会どうするんですかみたいな話をツイッターでしてくださる方もいて、話すうちにじゃあ申し込もうと思えました。ありがとうございました。
ドーピング(飲酒)のお陰で途中から初対面の人に対するコミュニケーション能力が当社比350%ほど上がっていて、ツイッターで繫がっている人に自分から話しかけるというのもできた。酒はすごい。(最初の方の、ビールをちびちび飲んでいた頃はあまり喋れなかったと思う。すみません。モスコミュールを飲んだ辺りから話せるようになってきた。)しんくわさんに名前を覚えて貰っていたのが嬉しくて一方的に喋ってしまい、後悔はしていないけれど反省した。しんくわさんちょっと引いておられた。

昼のイベント中から有無を言わさずに人と引き合わせてくださる人がいたり、懇親会中も当社比350とは言いながら人見知りオーラを出しているのを察してか「喋りたい人いる?紹介しよか?」みたいに声をかけてくださる人がいたりで大変ありがたかったです。

途中、「塔でしたっけ?」と聞かれて、無所属ですと答えると少し驚かれたけれど、塔っぽかったのか人違いだったのか。ハリー・ポッターの組み分け帽子があればおもしろいな。被ったら結社に振り分けてもらえるやつ。いらんか。自分で考えろという感じか。
短歌を「かっちりしている」と言われたのを褒め言葉として受け取ったけれど合っていたのだろうか。
今は結社に入るつもりがないと書いたけれども、この日結社誌をくださった方がいたのはとても嬉しかったしありがたかった。その人が私の歌(「を評価して」は言い過ぎだと思うので)に興味を持って結社誌をくださったのだとしたら、短歌を作っている身としてこんなに幸せなことはないと思う。私がその人の歌を良いと思っているので尚更。大事に読む。自由律俳句の結社誌を見たときにも思ったけれど、結社誌のすごいところは気になっている人の作品を毎月読めるところだと思う。

ツイッターのいろいろな人に会って、見た目からもうイメージ通りの人もいれば、見た目は違うけど話してみたら本人だ!みたいな人もいて面白かった。私はきっと、うわ、こんな奴だったのかよと思われる組だろうな。怖くて聞けないけど。

企画してくださった方、スタッフの方、お会いできた方、フリーペーパーを受け取ってくださった方(手元にあった分も全部捌けました)、本当にありがとうございました。

(もはや文章が長すぎて完全に忘れられていると思いますが、前日の豚肉は大丈夫でした。)

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