ナラクトノーム

弟の濃霧が生まれたとき、奈落は11歳でした。11歳、サンタクロースの正体にはとうに気がついていました。時差を考えてもひとりの人間が世界中を一夜で回るのはむずかしいのではないかしら、ほしいものが何でももらえるなら貧しい国におなかを空かせた子供がいるなんておかしいのじゃないかしら、と考える可愛げのない子供。
けれど奈落は、母親に自分が考えたことを言うことができませんでした。奈落と濃霧の母親は自分の理想郷の中に生き続ける人だったので、「何言ってるの、サンタクロースはいるに決まってるじゃない!」と言われるのが怖かったのです。いいえ、夢のないことを言って怒られるのが怖かったのではありません。母親が自分の美しい世界を守ろうとする、その頑なさに恐怖したのです。自分の言葉が、遠くの理想郷に住まう母親には届かないであろうことに絶望したのです。その恐怖と絶望を避けるためにできること。そう、それは、サンタクロースを信じているふりをし続けることです。

弟の濃霧が生まれたとき、奈落は11歳でした。もちろん、濃霧の前でもサンタクロースを信じているふりを続けました。本来なら、ある程度の年齢でサンタクロースからのプレゼントは終了するのでしょう。けれども、奈落と濃霧は11年も離れています。奈落が成人しても濃霧はまだたったの9歳。クリスマスツリーの下に自分のプレゼントしかなければ、優しい濃霧のことですからきっと「奈落のは?」と聞くでしょう。というわけで、奈落の家にはいつまでもサンタクロースがやってきました。そして奈落も、サンタクロースを信じているふりをし続けました。奈落は本当は、クリスマスなんて全然好きではありませんでした。母親に「今年はサンタさんに何をお願いするの?」と聞かれて、無邪気にゲームソフトの名前を答える濃霧の隣で「うーん、思いつかないからお任せで良いかな」と答える毎年のやりとりも(母親の気に入らないものを答えてもきっともらえないと考えてしまう奈落は、いつも正直にほしいものを言うことができませんでした)、母親と好みが合わないせいでトンチンカンなものを贈られることも、その金額をつい考えてしまうことも、サンタクロースからのプレゼントに喜ぶ子供の演技をしなくてはならないことも、ずっとずっと苦痛だったのです。

物事の終わりとはなぜいつもあっけないのでしょう。湖に張った氷が割れる音を、奈落はそのとき確かに耳にしました。奈落が大学を卒業する年のことです。母親が突然、聞きました。「奈落はサンタさんのこと、知ってるの?」
「お母さんでしょう」
できるだけ自然な声を心がけたのに、少し硬い声になってしまいました。
「知ってたの?いつ気づいたの?濃霧は言ってきたけどね、奈落は何も言わないから、お母さんあなたがずっと信じてると思っていたのよ」
なんということでしょう。奈落は絶句しました。確かに信じているふりはしてきました。しかし、まさか本当に信じていると思われているとは考えていなかったのです。なんと恐ろしい。この人は自分の子供が22歳になってもサンタクロースを信じているかもしれないと思っていたというのでしょうか。悪い夢を見ているようです。いいえ、地獄です。
「いつだろう、小学校の高学年くらいかな」と奈落は咄嗟に嘘をつきました。本当はもっと早くに悟っていたのに、ここに来てなお母親に気を遣っている自分に呆れました。そして気がついたのです。母親の理想郷を守ってきたのは他ならぬ自分であることに。そしてその理想郷に、自分がすっかり絡め取られていることに。
そう、ここは優しい優しい地獄です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?