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曖昧なものに縋る

最近家にずっとこもって仕事や諸々のことをしている影響で、家でのカフェラテの消費量が半端ではない。

元々何か作業するときは飲み物をお供にすることが多く、外出自粛になる以前は何かとカフェに出向くことが頻繁にあった。

それができなくなったので、家で飲む他ない。出費はかなり抑えられているというか、ゼロに近いので節約のチャンスといえばチャンスである。

私がいつも飲んでいるのはインスタントのカフェラテで、その時々で銘柄は違うが、大抵カロリーハーフとか脂肪分0、といった謳い文句の付いているものを買っている。

体感としてカロリーハーフを飲み続けている効果を感じられているかと言われたら微妙なところではあるが、カロリーハーフではないものを同じ分だけ飲み続けるよりマシだろうと思っている。

多分生活の中で、実際効果があるかわからないけど続けている、みたいなものって多いんじゃないかと思う。

(ここでそのカロリーハーフのカフェラテを一口)

カフェラテと近いところでいくと、牛乳はいつも低脂肪乳だし、最近は牛乳を飲まずにアーモンドミルクに置き換えたりしている(でもアーモンドミルクってカロリーも脂肪分も牛乳より高いよね知ってる〜〜でも健康になれそうだから飲む)。

食べ物から離れると、私はいつも家で仕事するときは絶対眼鏡からコンタクトに変える。視界が変わるわけではないが、コンタクトにすると集中力が上がるような気がするからだ。

私が気が向いたときに塗る美容液も、実際効果があるかはわからないが、塗らなくなって肌の調子が狂うのは嫌だなと思って塗っている。

占いとかもそういう部類かもしれない。

占いに書いてあるラッキーカラーを身につけると、なんとなく運を味方につけたような気持ちになる。効果があるかは別として。

でも多分ラッキーカラーを身につけていていいことが起こったときには、「あ、占いの言うとおりにしたおかげだ」と思うだろう。

例えばあの人といるといつもいいことが起こるような気がするなとか、あの人と会うときはいつも体調が悪いなとか、そういうのも多分実際に法則はないけど自分の中でそういう式が出来上がっていて、意識的にではなくてもそこに当てはめてしまい、それが結果的に自分の中のルールみたいになってしまう、というようなこともある気がする。

人間ってそういう曖昧なものに縋ったり、振り回されたりして生きていくものなんだなと思う。

ちょうどおととい、アーモンドミルクを飲み始めたタイミングで体調を崩した。母親が一旦アーモンドミルクを飲むのはやめておきなさいと言うのでその通りにやめたら、鼻水が止まった。

え〜アーモンドミルクのせいだったのかな…と思いつつ、飲まずにおいたら母親からアーモンドミルクは鼻水に関係ないらしいよと言われた。

え、そうなん。でも鼻水止まったしな…とアーモンドミルク被疑者に責任を押し付けつつ、とはいえアーモンドミルクを飲みたい気持ちはあるので恐る恐る飲み始めた。

鼻水は出ない。

多分普通に風邪ひいてる。


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