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太宰治のお墓に行ってみた話

10年以上前になると思う。ずっと行ってみたかった太宰治のお墓を訪ねた。

東京のことは何も知らない。ただ「三鷹」に行くのだ、と思った。

作品にも度々出てくる「三鷹」。

当時はスマホも持っていなかったと思う。電車の路線図で「憧れの」「三鷹」を探し、電車を乗り換え、三鷹の駅に降りた。

駅は賑わっていて、地元のお年寄りの姿も見える。ああ、彼はここにいたのか、と思う。

駅から10分ほど歩いた。ごく普通の民家の間を歩き、禅林寺の境内に着いた。スマホもないのに、どうやってたどり着いたのか?今もって謎である。

地元の人達が集っている境内を抜けて、裏手の墓地に入る。

憧れた太宰治の墓はさほど苦労せずに見つかった。私は手ぶらであったし、何もすることもない。ただ暮石の前に立ち、手を合わせた。

明るい春の日で、周囲には誰もいなかった。太宰と私、二人だけ、まるで太宰を独占したかのように感じて嬉しかった。恐らくは多くの太宰ファンが同じように感じるのだろう、青臭い、ただのロマンチシズムである。

ほんの数分も滞在しなかったと思う。帰ろうとして振り返ったら、そこに森鴎外の墓があった。

知らなかったのだ。

突然二人の文豪に挟まれて、しばし呆然とした。贅沢な瞬間だった。

10代の終わり頃の自分にした約束「いつか行く」を果たして安堵したあの時間は私は「幸せ」と呼んで良いと思っている。

「太宰治の文学は、どんな小説でも君よ、あなたよ、読者よと直接作者が呼びかけてくる潜在的二人称の文体で書かれている。この文体に接すると読者は、まるで自分ひとりに話しかけられているような心の秘密を打ち明けられているような気持ちになり、太宰に特別の親近感をおぼえる。そして太宰治は自分と同じだ、自分だけが太宰の真の理解者だという同志感を持つ。」

奥野健男




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