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名文today_39/『開高健ベスト・エッセイ』

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 人物や光景のイメージが体のなかでピクピク胎動しつつ待機しているのを感ずるのはたのしい。旅をしていて、部屋をでた瞬間とか、ホテルの玄関から町のたそがれのなかへ一歩踏みだした瞬間など、よく言葉が閃く。
 小説は頭のなかであれこれ空想しているときがいちばんたのしい。書きだしたらさいご幻滅がペンのまわりで踊りだす。幻滅、幻滅。それに、なんでもかんでもすかさず目を光らせてメモをとるのは、いかにも高利貸がガツガツと金をためこむのに似ていて、イヤらしく思えた。かけだしの探偵のやりそうなことでもある。
 イメージは火花のようであり、とつぜんの風でひらく窓のようであり、じわじわとにじみひろがるインクのようでもある。その群れを私は流れるものは流れさせ、はびこるものははびこらせる。消えるか。のこるか。いつか再生するか。苛酷な生の流れの少しはなれたところに体をおいてその動静に眺め入る時間が貴重である。たいへん好きだ。

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『開高健ベスト・エッセイ』/ 2018 / ちくま文庫

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