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名文today_60/『働くことと生きること』

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爺さまは夏だとカンカン帽に、ステテコ、チヂミシャツだった。チヂミシャツでも、はば広の兵児帯(へこおび)だけはしていて、タバコ入れと、金くさりのついた財布を、帯にはさんでいた。そんなものが入るほど帯は立派なもので、総しぼりだった。冬は厚子(あつし)を着て、ソフト帽だった。こ爺さまは一見して、江戸でいうおタナの旦那に見えた。ところが、店へ入って、奥の小舎へくると、それらの衣装をぬいで、作業着に着かえた。夏は褌一つ切りだった。その褌から、巨大な睾丸をのぞかせて、汗だくで、松ヤニを煮る爺さまは、やはり、この仕事を何十年とつづけてきた自信をあらわにして、行平や、七輪や、松ヤニの袋のシミや、それらにさわる手さばきも早かった。

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『働くことと生きること』/水上勉/2015 /集英社文庫



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