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初詣に代えて。

また、オフシーズンに入ったので

ぽつりぽつりと何か感じたことを書いていこうと思います。

本当は、シーズン中の方がハーブのこと沢山伝えられるのに

どうしても目の前の事に追われてしまい中断していました。

今年も

サックと読める1000文字以内にまとめて

できるだけ行間から感じ取っていただけるような言葉や

映像など綴っていけたらなと思っています。

宜しくお願いします。


さて、今回は昨年の振り返りからのお話です。

昨年は、自然栽培の探求から

遥か古代の人々はどのように暮らしてきたのか?

との疑問が持ち上がり

古事記から古代祭祀、山岳・岩石信仰などに興味を持ち

さらにそこから

一番最初の「ことば」ってどうやって生まれたのか?

が疑問になり

日本語の特徴や俳句や言霊など

ハーブとは直接関係はないけど

日本人が持ち続けた自然観や文化の基層に触れ

その中で培われた「暮らし」というものを考えた一年だった。


そんな中で

人間のチカラが及ばない自然界への畏怖の念が、祈りへの始まり

という一文を目にした。

震災や豪雨、疫病など災害に見舞われる度に

どうにか、どうにか・・・平穏な世の中になりますよう・・お願いします。

と「信仰」とは別のところでカミに祈る自分がいるから

畏怖の念が~というのも確かに解るのだけれども

でも、

本当はそうじゃないと思うー

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これは、個人的な感覚になってしまうのだけれど

森の中や農園に身を置き、ハーブや動物たちの作業をしていると

ふとした瞬間に

なんとも言えず幸福感に包まれる感覚になる時がある。

ココロの中の風船が幸せで満たされるように・・

ふわ~っと膨らみながら全身を覆っていく。

この時、無意識のうちに

ありがとう

と口にしている。


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今より、自然との関わりが深かった

古代の人はおそらくもっと、もっと

この「満たされ感」が強かったに違いない。

今日一日を生きて無事に過ごる幸せ。

食べることのできる幸せ。

太陽が昇る幸せ。

とうとうと流れる水がある幸せ。

自分が生きることに欠くことが出来ないものは

全て、自然の中に用意されている。

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そんな幸せへの感謝の思いが、

祈りの第一歩だった

私はそう思う。


自然は猛威も振るうけど

優しいときの方が圧倒的に多いもの・・。


さてさて、そんな事を感じながら

今年は、どれくらい沢山の「ありがとう」が

言える一年になるのかなー

幸せをしっかりと噛み締めながら

那須高原で暮らしていこう。


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