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~『人』とのご縁が大好き そして『人』を応援・協力していたい~  五月女佳子さん

烏山語り部の会や様々なボランティア団体に
積極的に参加する五月女佳子さん。
語り部の会・ボランティア活動への思いを聞かせて頂きました!

プロフィール
栃木県那須烏山市生まれ 烏山女子高卒業後 県職員(学校職員)
語り部の会会長
オレンジクラブ(社会福祉団体)に所属
その他にも、町に賑わいを起こす会・市民カフェ(35番館)川柳・詩吟の会等様々な会に積極的に参加なさっている

『五月女さんは、生まれも育ちも烏山ですか。』
はい、父の実家が烏山です。
父母は東京で暮らす予定でしたが、戦争がどんどんひどくなり東京から疎開しなくてはいけなってね、逃れ逃れてきたのが烏山でした。
逃げてきた時、私はまだ母のお腹の中にいてね、戦争末期で空襲されるから灯火管制がしいているでしょ。だから電灯を使うことが出来ず、月明りの中、産声を上げたといわれているのよ。

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私は、3姉妹の長女です。昔は長女が家を取るものだったから、私が烏山の家を取ったのよ。でも都会にも行って就職してみたいなと思ったけど、2人の妹達のことを考えるとやっぱり出来なかったんだね。
だから、高校を卒業し県職員(学校職員)になりました。そして県内の高校を転任して、最初は烏山高校で始まり、烏山女子高で終わった幸せな社会人生活でした。

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社会人生活の終わりぐらいになると、両親が高齢になり病気や痴呆症で介護をすることになりましたが、ヘルパーさんや家族の応援で乗り越えることが出来ました。
五月女の父は職業軍人で、休日は家のことをしなさいという厳しい人でしたが、フルタイムの仕事をしていたので子供たちの面倒を良く見てくれました。子供たちもみんな真っすぐに育ってくれて感謝しています。今では8人の孫に恵まれています。コロナの影響で会えない時もあるけど、みんな楽しく健康でやっているのが私にとって一番の幸せかな。

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『烏山語りの会に入ったきっかけは何ですか。』

家庭と仕事で不満はありませんでした。転勤などをするとそこでの繋がりが出来たりして楽しかったの、でも趣味で何かをしようということが全くなかったの。
たまたま在職の最後の年に広報誌「お知らせ版」に「語りの教室」の応募がありました。私は、昔話が好きだったので日本昔話を買ってきて子供たちに読み聞かせをしていたし、子供たちも毎週テレビで日本昔話も見ていてね。
そして「語りの教室」を受けてみると楽しかったのよ。時間は7:30からの2時間の4回だけだったけどね。

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講義に来てくれた仲先生は(現、烏山語りの会の先生)『あ~やるんですよ、こ~やるんですよ』という型がありませんでした。基本的なことは教えてくれたけど、『自分で色んな話を聞いて自分の語りやすい語りを作って良いよ!』そういう先生なので、語る時の語尾の付け方も「~です。」とか「~なんだ。」とか、
会員それぞれに任せており『語り』に自由度あるから続けやすいと思ったのよ。また、そのような講座だったから、会の設立に至りました。
会の名称を「烏山語りの会」にしたのは、歴史でも文学、物語でも好きなものを語っても良いよ、という意味で付けたのよ。
だから私も面白い話をインターネットで調べるんだけど有り余るほどあるよね

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そして「語り」を語っていると自分自身も癒されるのよ。昔話を孫たちに聞かせるというのは聞かせてあげているだけではなく、私自身の心も元気なっていく、それが語りの魅力だね。
語り部の会も今年で15年になるのかな。他の会員さん達も語ること好きなんだよね。
先日も臨時の研修会があったんだけど1日か2日前に会員さん達に連絡したんだけど、フルメンバーで参加してくれたものね。
みんな会議にではざっくばらんに意見を言うけど、なぜか最後はまとまる会なんですよ。だから今まで会が存続の危機に陥るとか、大変だったということは無かったわね。

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『烏山語りの会の活動を教えてください』。
大きく分けて2つあります。
一つは月一の定例会・二つ目は施設訪問等よる語りの開催です。
定例会では、依頼を受けたボランティアに対して担当決めを行います。
この時一番心がけていることは、家庭、仕事等理由があり参加出来ない人がいる時は無理をさせない。そして参加できる人が参加する。みんなで楽しく活動出来る会が目標です。2つ目の施設訪問等による語りの開催ですが、依頼を受けた施設に訪問して語りを行います。自分達の語りを聞いてもらうことが嬉しいですし、聞いた人達が自分の思い出を思い出して自分の経験を話してもらい、笑顔になってもらえることが励みになるんだよ。そして『語り』って不思議な物で、語り終わって施設の人から話を聞くんだけど、『あの人は普段は黙っています。けれど語ってもらっている時は笑顔になって、皆さんと沢山おしゃべりしていましたよね』ということをよく耳にするんだ、そういう話を聞くと励みになるよね。

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『語り部の会やボランティアに積極的に参加できる理由を教えてください』

人と接することが好きなんだよ、人とのご縁が好きなんだよね、人間嫌いだとできないよね。例えば、35番館(那須烏山にあった喫茶店)も最初は「お手伝い」だったの。出す食事は全て家で作るから朝5時に起きてご飯のほかに「焼きそば」等を作ったりしてね。短い時間だったけどお客さん・スタッフの皆さんと繋がりがとても楽しかったですね。

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『今後、語り部の会をどうしていきたいですか。』

若い人達がもっと興味をもってくれて入ってくれるのも一つだよね。
今年入会した2人だけど他の会で繋がりがあったんだ。
そこで「語り部の会」の話をしたら興味があったんで声を掛け続けたら入ってくれたのよ。だから、「一緒にやってみない」ということは常にいろんな人に声はかけているんだよ。少しで興味がある人には顔だけでもだしてもらって、雰囲気を体験してもらって来てもらえれば良いし。「もういいや」と思われたらそれはそれで仕方ないよね。そうやって一人でも多くの後輩を作っていきたいよね。そして一人でも多くの人に烏山の民話を知ってもらいたいよね

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『これからの烏山の町つくりは、どのように関わっていきたいですか。』

今あるものを守るだけではなく、ある物を活用しなくてはいけないよね。守るだけならまだ良いけど、いつかは使えなくなってしまうよね、だから守りだけではなく一歩前に出る。3歩進んで、2歩下がっても良いよね、1歩は進んでいるからね。それを活用できるのは若い人だと思う
そして、こんな些細な事をやってみたいということがあるんだったら「そんなこと」というのではなく、どうすれば実現できるかと考えて一歩進むことが必要だね。だから私は、若い人がやりたいことには「そんなこと無理だよ」ということは毛頭ありません。
「語り部の会」でも「シニア関係の会」でも協力できることは惜しみません。

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編集を終えて
今回、私がこのような記事を書いたのは、烏山の地元の人に烏山で活動している人達のことを、もっと知ってもらい興味を持ってもらいたいからです。
そして、最初に『語り部の会』の五月女会長にお願いしたのは、私たちの日常にあり身近にあることを、民話でわかりやすく面白く伝えているからです。私がやりたいことを行っている先人の考えを知りたくインタビューさせて頂きました。
インタビューをして五月女さんをすごいなと思ったのは、幾つもの会に所属なさい毎日のように活動なさっているのに、それでも関係機関と連絡を取り、期日までに物事を終わらせ、家に帰れば主婦としての役割もこなすということです。

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それを行える思いは、人との縁が好きであり・大事にし、人を助けたいという思いがあるから出来ることだと思いました。
五月女さんはよく語り部の会で『協力できることは、協力していきたい』
そうおっしゃっています。
私も語り部の会の一員として協力できることは、120パーセントの力で協力していきます。
私事ですが、五月女さんと私の親戚に縁があったのは驚きでした。
今度、親戚に会ったら伝えておきます。
第一回目にインタビューをさせて頂き、本当にありがとうございました。



聞き手:クロスアクション 根本潤哉

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