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注文が聞こえない喫茶店

#はたらいて笑顔になれた瞬間

答えのない世界で生きる

「私は耳がきこえないので、
"指差し"での注文をお願いしています。」


この言葉を詰まらずに言えるようになったのは、
飲食店で働き始めて10ヶ月経ってからだった。


私は普段、
一般社団法人4Heartsの代表をしている。
社会起業家といえばきこえはいいけれど、
まだまだ収益基盤もない不安定な状態だ。

そもそものきっかけは
きこえない・きこえにくい人の心理課題って
見過ごされて来てるのでは?と思ったから。

心理の勉強をし
産業カウンセラーの資格も取ったけれど
それだけでは社会課題解決にならないと気づき
法人を立ち上げてさまざまな活動をしている。

私は生まれつき重度の聴覚障害で、
補聴器をつけて生活をしてきた。

補聴器は、あくまで音を拡大するだけで
聴神経に異常があれば、
音信号が正常に脳に伝わらない。

文字サイズを大きくしたって
文字化けしてたら読めないのと一緒だ。
所々読めそうで読めない部分があって
そこから推測しながら当てずっぽうで生きている。

それは「正解のない世界」。
「どこまで行っても答えのない世界」。

あなたの口元を読み取って理解したつもりだけど
本当にこれで合ってるのだろうか
言われたことのすべてを読み取れたのだろうか
そんな不安の中、
「わかった」という確信を得られないまま生きている。

世の中に溢れた音の、際限のない広がり。
きこえている人たちの脳が
無意識に捨てている音ですら
豊かで情報に溢れている
ことを、
知らないまま生きている。

常に不安で自信がない。
合っているのだろうか。
迷惑をかけていないだろうか。
面倒臭いと思われていないだろうかーー。

 

呪いの言葉

私が小学校の頃、
美術で「未来予想図を描く」ことになった。
黄色いテレビ電話に相手が映っていて
字幕も表示されている絵を描いた。
まだポケベルもそんなに出回ってなかった頃だ。

当時はスマホもLINEも
音声認識アプリも想像すらできなかった時代。
お笑い番組にテロップはなかったし、
アニメにも字幕はなかった。

そんな時代だったから、生きている間に
生まれつききこえない私がひとりで電話をかけて
相手とやりとりができる日が来るとは
想像もしなかった。

だから親には
「一生誰かに電話をお願いして生きていかなければならないのだから、やってもらって当たり前ではなく常に謙虚に生きなさい」
と教えられて育った。

ある意味でこれは正しい。
実際電話は出来なかったのだし、
やってもらって当たり前ではないから
お願いはしなきゃいけなかった。

でも、聞こえている人たちが
どこまでの音が「分かる」世界にいて
どこからが「分からない」世界なのかを私は知らない。
なんでも聞こえて、「はい」「いいえ」の判断も
自分の意思で自信を持ってできる。
どこにでも連絡できて、誰とでも繋がれる。

聞こえない人にも出来ないことがあるなんて、
私にはとても思えなかった。
万能な人に見えた。
 

「謙虚に生きなさい」は、私の中で
いつの間にか『呪いの言葉』に変わってしまった。

"常に誰かに迷惑をかけ続けるのだから" 「出来ないんだからやってよ」ではなく、「出来ないのでお願いします」という態度でお願いしないと、誰も助けてくれないよーー。
 


筆談をしてもらうときも、
書いてもらっている間はずっとソワソワしていた。
面倒くさいなとか、忙しいのにとか思われていないだろうか。

相手の時間を煩わせるのが申し訳なくて、
次第に口頭でのやり取りがメインになった。
分からないことがあっても、
トンチンカンな受け答えを多少していても、
推測でなんとか乗り切ってきた。

絶対に迷惑をかけないように、
周りの状況に寸分の違いもなくアンテナを張り、
注意深く観察した。
頭の回転や決断をとにかく早くして、
先回りして行動をするようになり、
コミュニケーションで出る遅れを挽回するように動いた。

反骨精神を剥き出しにして、
次第に人を寄せ付けなくなった。

さらに、
聴者と全く変わらず発音が出来ることもあって
余計にきこえない人だとは思われなくなった。
それは、良いことばかりではなかった。

どうしても分からない時に筆談をお願いすると、
逆に相手がなぜ筆談が必要なのかを理解できず
なかなか筆談をしてもらえなくなった。
試しに声を出さずに、
ジェスチャーで"きこえない"アピールをすると
スムーズに筆談をしてもらえた。

この社会は、
声を出さないほうが生きやすいのだ。

実際、きこえない先輩や知り合いでも、
声を捨てた人は少なくなかった。

私も一時期、
声を捨てようか真剣に悩んだことがあった。
自分の声がきこえないんだから
声に思い入れなんてあるわけがない。
どこまで綺麗に発音できているかなんて
自分で分かるわけがない。

周りに発音が綺麗だと言われても
口では「ありがとうございます」とは言うけど
何の感情もこもってはいない。

それでも私は、声を捨てる道は選ばなかった。
根本的な解決になるとは思えなかったからだ。
なぜ私がそこまでしなきゃいけない?
我慢の限界だった。

わかった。
そんな社会、変えちまえばいいじゃないか。

次第に『呪いの言葉』に反旗を翻すようになった。


 

「対等」の場所に自分が上がっていくまで

それでも長年染み付いた洗脳のようなモノは、
なかなか抗うことができなかった。

4Heartsの活動を始めて、
地域コミュニティや賛同してくれる企業や
仲間たちと活動していても
どこかで「何を返せるだろうか」
「助けてもらってばかりで申し訳ない」
という感情に抗えなかった。
その感情は、ひたすらに焦りを生んだ。

何度も何度も、
「みんなはそんなつもりで協力してない。
あなたの活動に共感しているから動いている。
対等なんだよ。」と周りが言ってくれていた。
何度も言われることで、
少しずつ洗脳みたいなモノは解けていったのかもしれない。

私みたいな人はもっといるんじゃないか。
私のような人がもっとみんなの助けを借りながら
自分でも何かが出来るという成功体験を
積めるような場所を作れないか。

当事者と、その周囲の人、
どちらもマインドを変えていけば社会は変わるんじゃないか。


次第にそう思うようになり、
心理支援もできて、就労前のトレーニングもでき
企業や行政との協働の場にもなる複合的な拠点
「Base Place」構想を描くようになった。

その前身・実験的試みとして、
飲食店の月曜昼の時間帯のみ間借りをし
ランチ提供をしてみることにした。
私自身がまず接客をやってみないことには
構想を具体的にはできないと思った。

聴覚障害者は、いまでこそスターバックスなど
聴覚障害をもつ接客スタッフもいるけれど
まだまだごく限られていて、
以前はほぼ断られていた。

さらに聴覚障害者は欠格条項があり
医療職などに就けないなど職業制限もあったため
職業選択の幅は極端に狭かった。

だからこそ私自身も、初めての接客業だった。


最初に私が戸惑ったのは、
「いらっしゃいませ」を言う声の大きさだった。

聴覚障害者に多いのが、
自分の声がきこえないことで、
ついつい声が大きくなりがちなこと。
電車の中で奇異の目で見られたり、
静かにしなさいと怒られたりもした。

それを繰り返して身につけたのが
「声を小さい方から合わせる」という術だ。
聞こえづらそうにされたら、
少しずつ喉に力を入れていけば、いい塩梅になる。

ところが、「いらっしゃいませ」は別だ。
お客様がそれに反応してくれないことのほうが多い。
声が小さくて聞こえなかったんだろうか。
ちょっと大きくしてみても、なんだかいまいちだ。

次第に、「これはBGMなのだ」と気づいた。
きこえる人にとって
お店に入ったら「あって当たり前の音」なのだと。
当たり前だから、
いちいち音に反応したりしない人が多いのだろう。


次に、注文を取る時に工夫をした。
みんながコロナ禍のなかでマスクをしているから
口頭で注文をされてもわからない。
それならばと、
メニューをすべて指差し出来るようにした。

コーヒーもホットなのかアイスなのかだけでなく
食前・食事と同時・食後なのかも
指で示せるようにした。
お酒もロック・炭酸・水割りをアイコンにして
指で指せるように。
まるで、アプリ画面のようなメニューだ。

でも実際、私が飲食店に行ってよく困るのが
「本日のランチ」「サラダのドレッシング」。
店員さんに聞かなきゃ分からない注文は、基本的に避けた。

それはメニューに限らず、生きる上での選択肢が限られることに繋がっていく。
うちの店で、そんなことはさせない。
 


「雑談」が当たり前じゃないこと

指差しメニューはある程度うまくいった。
次に困ったのが
「雑談の話しかけ方がわからない」。

カウンターが大きく取られた、比較的コミュニケーションを取りやすい雰囲気の店舗なので
お客様と目が合って雑談が発生しやすい。

「雑談」には得てして、
人間関係を円滑にする情報が詰まっているものだ。
話を広げることで、相手をさらに知ることができ
共感の場を作ることができる。

でも私は普段から雑談が聞こえながら生きてきていないので、聞こえる人達がどんな雑談をしているのかをそもそも知らない。

だからこそ、打ち合わせのときに
雑談で場を和ませてから本題に入るやり方が理解できなかったし、時間がもったいないとさえ思っていた。

そんなだったから、
「美味しかったよ!」
「ほんとですか、ありがとうございます!」
・・・から、一向に会話が続かない。

カウンター越しに流れる、気まずい間。
忙しいフリをして、洗い物に逃げる。
次第に黙々と、洗い物をするようになった。
いかん、コレじゃいかん。

仲間に、雑談ってどうするの?初対面の人に何を喋ることがあるの?と聞く始末。

「どちらから来られたんですか?とか、何を見て来られたんですか?とか、色々気になったことを聞くよ。」と言われるのだけれど、
今度はそれを言い出すタイミングがわからない。

そんなこんなで、
気まずい思いを繰り返しながら
少しずつ「雑談」を身につけていった。


最後に、ここで冒頭の一文に戻る。

「私は耳がきこえないので、
"指差し"での注文をお願いしています。」

指差しメニューは当初から導入していたから
そう伝えることは今まで何度かあったにはあったのだけれど、心からスッと出てきた言葉ではなかったように思う。

ある時、深層心理を深掘りするリーダーシップ研修があった。
その時に出た私の深層心理が
「誰かの助けを得ないと、この場に居られない」

それを受け入れ、許し、手放しますという復唱をするセッションだった。
復唱の最後の方で、なぜかみんなの前で号泣してしまった。

まだまだ自分も向き合いきれていないし
「当事者と周囲の人の両方のマインドを変える」
と言い続けながら、その「当事者」のなかに
いつのまにか、私が入っていなかったことに気付いた。

それ以来、冒頭の言葉は
私の口からすんなりと出てくるようになった。

すんなりと出るようになると
きっと声のトーンも変わっているのだろう。
お客様の反応が、少し違うのを感じた。
あっそうなのねと、他愛もないように
指差し対応してくれるようになった。

こちらがすんなりと自己開示をすれば
相手も自己開示で応えてくれて
"変な壁"は無くなるのかもしれないと思う。
「きこえないこと」を
コミュニケーションの場において
いい意味で"大した事でない"ものにするためにも
大切な事なのかもしれないと思う。

私は、笑顔が苦手だ。
反骨精神で生きてきたときに、忘れてきたのかもしれない。
写真を撮るときは、カメラマンに笑ってくださいと何度も言われ困らせていた。

そんな私でも、
今は少しうまく笑えているのだろうか。


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