見出し画像

聴覚障害者からみたZoomのメリットとデメリット

前回のnoteで、聴覚障害者視点のZoomのやり方を一例として書いてみました。(聴覚障害者はどうやってZoom会議をするのか
今でも家でZoomをやる日々なのですが、その中でメリットとデメリットが見えてきた気がするので、聴覚障害者視点でも書いてみたいと思います。

メリットその1:時間効率

これはもういわずもがな、女性なら特にそうですが出かけるための準備に時間を取られません。化粧しなくてもフィルターでごまかせるので、寝起きすっぴんでも打ち合わせをしたいときにサクッと打ち合わせして、終わったらすぐにプライベートに戻れます。なんか意識高い系の、ひと仕事をやった感になれます。満員電車に揺られることもなく、雑踏に揉まれて疲弊することもない。

例えばGAFAがオンラインでサクッと「Hi.John!」とか言いながら、ぺらぺらぺーらとWEBカメラに向かってスピーディにクリエイティブな仕事をしているのかもしれない。反面、地球の反対側では満員電車に揺られ、人込みをかき分けながら取引先に行き、出張報告書にハンコを押してるわけ。
ちょっと日本人、非効率すぎたかもしれない。

メリットその2:金銭効率

外に出て誰かと会うということは、公園で飲まず食わずでお話する以外だと、カフェにしたってランチにしたって、飲み会ならもっとお金がかかるわけです。交通費もかかるし、深夜なら深夜料金のタクシー代だってかかります。遠方への出張なら宿泊費もかかります。

新年会、歓迎会、打ち上げ、暑気払い、忘年会。どんだけお付き合いの悪い人でも職場開催の飲み会に2ヶ月に1回は対峙するわけです。そのたびに参加費に震え、どうやって断ろうかと考えることもなく、Zoomなら缶ビール1本160円。(ちょっと贅沢して生ビール)

メリットその3:無駄な会議がなくなる

これは皆そう、とは言い切れないかもしれません。ただ、職場には色んな人間がいます。とにかく仕事を増やしたいだけの人、学生時代の時間割から抜け切れず1時間というきりのいい時間を設定しておきたいだけの人、とにかく指摘をして意見の言える俺感を得たい人、まぁ色々いらっしゃるわけです。

日本の組織に属している以上、意思決定権が個人に与えられてなかったりするので「持ち帰って検討します」が発生する。そのたびに会議室を確保して、皆の時間を抑え、資料を準備し、コピーを刷って、コーヒーを人数分用意し、その時間に備えるわけです。

Zoomだと要点だけ話すようになるし、リアルだと皆の前で偉そうにしたかったオジさんは偉そうにする必要もなくなるので、仕事に集中できます。


さてここからはデメリット。

デメリットその1:余韻がなくなる

Zoomのよさは、ボタンぽちーで打ち合わせが始められ、×ぽちーでバッサリ終わらせられることです。「仕事だから」で割り切った関係なら、これが本当に一番楽。

でも、それを越えた人と人の交流を望む間柄だと、まあちょっと寂しかったりします。やっぱり対面だったら、その余韻を感じる時間ってあったと思うんです。電車の中で「今日は楽しかったです!」ってLINEを打ちながら、相手を想う時間です。ちょっと気分がいいから買い物でもして帰ろうかしら、今日の晩御飯何にしようかなっていう時間です。

Zoomだと、ボタンを押した瞬間に無機質なデスクトップが見えるだけです。

デメリットその2:事務的になる

メリットその3で書いたように、無駄なものがそぎ落とされていくのでとても事務的になります。今日の打ち合わせはこれです⇒打ち合わせが終わったら、それではまた。でバッサリ終わる。ただ淡々と仕事をこなすことのみを考えるなら、それ、AIでもきっと出来ることだと思う。ってかZoomする必要ないんじゃない?メールでよかったんじゃない?

だから自分がやるビジネスが、淡々と終わればいいものなのか、人と人の関係が大事なビジネスなのかを見極めて、Zoomをするならなんらかのフォローは必要だと思う。

デメリットその3:すれ違いがおきる

これ、聴覚障害者だけじゃなく、聴者の世界でもすれ違いが起きがちなようです。駅の掲示板の時代、ポケベルの時代から、人は文字情報だけだとトラブルのもとになってました。言葉を選び間違えても、意図が伝わりづらくても、結局文字は相手の手元に残ります。だからこそ、リアル対面が叶わない分、Zoomで少しでも誤解のないようにしようと思うのだけれど。

それでもZoomにも限界があるようです。スピーカーやイヤフォンから聞こえる声は、少し温度感がなくて。声の強弱やみんなで笑っているときの空気の振動や、一体感はZoomでは少し違ったものになっています。

まとめ

きっと、人は人と会うときにその人のまとう雰囲気や、体温を五感で感じ取って、相手との会話の中で波長を合わせているのだと思います。そして余韻は、人を想いながら、人を思いやる心を育てる時間なのかもしれません。

聴覚障害のある私にとって、人とのコミュニケーション方法は読唇術だけでなく、相手の雰囲気や特徴すらも視覚情報として、相手の話そうとしていることの予測情報に活用しています。さらに、相手によって手話をしたり筆談をしたりして対応しています。1人1人に合ったコミュニケーション方法をとるためにも、相手をよく観察するし、相手を理解しようとします。

まずは相手を理解しようとすることから始めることで、相手を自分の物差しで測らない、相手の発言の本当の意図はどこにあるのかを表情や、今までの対面交流の中から得た信頼関係から見極めたりします。だからこそ、私は聴こえないぶん常に、視覚情報を駆使して、人以上に相手の心をまっすぐ見つめようとするのかもしれません。

そんな私から見たZoomのデメリットは、一言でいうと『孤独をより際立たせてしまう諸刃の剣』だと感じました。自粛生活で、社会との繋がりが否応なしに薄くならざるを得なかった。そんな中でZoomでなら繋がれると飛びついた。でもいくつかのデメリットを感じる人は、より心をパサつかせてしまうことになりかねないのではないか。繋がっている間は満たされても、あっけなく終わってしまうオンラインの繋がりに、依存する人もいるのではないか。

ポケベル、WEB掲示板、メール、SNS、オンラインゲーム、LINE、そしてZoom。人とオンラインで繋がる方法は時代を変えてより便利になる一方で、孤独を際立たせるその力は、より強くなっていっているのではないか。「レジリエンス」があちこちで言われるようになっているのは、きっとこれも背景にあるのではないか。そんな危機感を覚えます。

すべてがオンラインで完結する時代の到来は、人が人でなくなってしまう、と言ったらちょっと大げさでしょうか?

よろしければサポートをお願いします!頂いたサポートは、活動費にさせていただきます。