気が向けば、誰でも・いつでも、表現する側、感じる側にもなれる。チャンスと環境をもつ「那須まちづくり広場」。
「那須まちづくり広場」のもう一つの基本。
前回「シェア、分かち合う、譲り合うこと、信頼すること」。
それが、「那須まちづくり広場」の基本。といったことを書きました。
今回は広場の運営にあたって、もうひとつ「基本にしたい」と思っていることについて書いてみたいと思います。
むかーし、感銘を受けた本があります。
山形県の山村にあった中学校で指導に当たっていた教師・無着成恭さんが、生徒たちの生活記録をまとめた本です。
1951年(昭和26年)のことです。半世紀以上前の本ですね。
本のタイトルは『山びこ学校―山形県山元村中学校生徒の生活記録』。
この文集は、教員が「書かせている」ということから批判もあったようですが、私は「大人が子どもに書いてもらう表現の機会」になっていると思いましたし、書き綴るという表現者となった子ども同士のつながりも強くなったのではないかと思いました。
当時の山村の暮らしは厳しく、子どもが家族の中で労働力として期待されていたり、強制されていたりしました。子どもが暮らしの厳しさを身をもって感じることができた社会環境とも言えます。
当時も今も、子どもは大人より劣った人ではありません。未熟であるとも言えません。むしろ、ある面鋭い眼や心をもった存在です。大人に従わねばならないことが多く、感じたことや思ったことを口や態度に出さないようにしているから、誤解を受けることも多い。
私がそういう子どもでした。あるところまで、大人の言うことを耐えてきかざるを得ない、思ったことをのみ込んで生きるしかない子どもだったです。ですから、いまでも当時溜まっていたものが時々胸の奥から湧き出るようなことがあります。
ははは、子どものまま73歳かも。
みんな、だれもが、原石をもっている
そういう大人こどもの私は、みんな胸の奥にしまっているものを出すことができれば、どんなに面白いだろうと思うのです。大人しそうに振る舞う隣人の胸の奥には燃えるような思いや、深い考えがあるかもしれません。それは、言葉や理屈だけではなく、むしろ言葉にならない思いや感覚に価値ある原石が隠れていることもあるだろうとも思っています。
大人になると、多くの人がある役割をもたらされて、いつのまにか自分ではない自分を生きているといったこともあります。
殻を被って生き続けて、自分の本質や可能性を閉じ込めたままという人が少なくありません。
とりわけ、この国で女性として生き、妻や母として課せられた自分を生きつづけたときに、なんとなく居心地の悪い無理をした自分を生きている、とったことがないでしょうか。
そこで、「表現」をすることに注目いただきたい。
非日常の自分をなんらなかのスタイルで、他者と共有してみる。すると、きっと沢山の発見があるはずです。
だれでも、自分に適した表現方法や場があれば、言葉に頼らなくても、技術を持たなくても、好ましく気持ちのよい方法で、「表現」は可能なのではないかと思うのです。とくに、高齢期はもう怖いものはありません。思いきり殻をぶちやぶって、表現してみることをおすすめしています。
アートギャラリー「LaLaエスパス」の意図
そこで、「那須まちづくり広場」に、アートギャラリーが必須だったです。アートギャラリー「LaLaエスパス」は、高名な方やプロの作品を鑑賞する場になることもありますが、本当の目的は広場を利用されるみなさんの「表現する場・機会」のひとつとしたかったのです。
「那須まちづくり広場」には、住まいがあって、飲食を共にする場もあって、交流がある。気持ちのよい人達が集って、いわゆる「呑み・食い・寝る」という日常がある。それはそれで、とても素敵なことです。それで十分だろうという考え方もあるでしょう。
でも、その「呑み・食い・寝る」だけでは見えない、わからないことがそれぞれに「表現」をすることで、さらにわかりあえることがあります。
私自身、年に2回ほど詩人になります。ある方にお声かけいただき、同人誌への投稿を続けています。すると、たった年に2回でも機会があることで、私はいつも何気なく詩という表現を意識して暮らすことになります。
また、〆切りの1週間くらい前になると、集中して詩を生み出すことになるのですが、その時間がまた新たな自分を発見することになったりしています。なぜ、近山が詩なのか? といえば、文章を書くと自然に擬音のような言葉表現がでてしまうのです。人にはわかりにくくて困ったことで、面白いと笑われたりもしていました。
それで、あるとき気がついたのです。これは、詩として表現してしまえばむしろ面白いではないか、と。ちょうどある方が、同人誌という環境を与えてくださった。恐れずに詩を書いてみたら、世界が広がりました。
「那須まちづくり広場」にも、人が世界を広げるための仕掛けが必要と考えてギャラリー「LaLaエスパス」となりました。表現のための、ひとつの環境整備です。
頭に乗ったコンサートで、踊ってみましたぁ!
さらに、頭に乗った私は、那須まちづくり広場のAホールで、踊ってみました(爆)。
なななんと1000円のチケットを販売して、「詩と朗読の音楽コンサート」を那須在住の方たちと開催。
1年目予想を超えて人が集まってくださいました。出演者のなかにはプロの方もおれるし、私以外は音楽の心得のある方。ある程度の人出はあって当然。
一方、近山が出るということで、怖いもの見たさもあったろうなあと思いました。演じた、表現者になった私たちもそれはそれは楽しくて。
勢いで2年目も企画。さすがに、怖い者を二度は見たくないだろうと思っていたら、大盛況。驚きました。
それで、来場した人那須町の方に伺ってみました。「なぜ、来たの?」と。
すると、「去年きて面白かったから」と言うのです。
表現するというのは、している者も見て感じている者にとっても「面白い」。普段ではない、日常ではない、その時間を共有することで、面白いを共感しあうのは、人々が生きていくうえでとても大切なことなのだと改めて実感をした瞬間でした。言葉を超えて、面白い、居心地がいい。そういう空気が満ちあふれる場が、私たちには必要なんだと思うのです。
ハレとケ。日常だけでは人は豊かに暮らすことは難しい。日常を超えて羽目をはずし、殻を破り、高らかに笑う。そんなハレの時間を、あなたも楽しんでみませんか。
私たちのこと、もっとよく知りたいという方向けに↓
(20221211−15)
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