「シェア」とは、惜しみなく持ち寄って、共有し見返りを求めず分かちあうこと!奪い合う、貧しく辛い競争とはちがう。
波を立て続けてきた私の経験と確信
人が動くと波が立つ。
この波を歓迎しない人もいて、動いた人はいろいろ言われてしまう。意見や異見があって当たり前。だから、確かにそうだなあと思える言葉にも出会う。
でも、現状を変えたくない、慣れたこと以外したくない、といった人の場合は、単に他者の動きや変化を止めたいだけのことが多いかも。だから、波を立てる人への陰口や悪口につながりやすいのかもしない。
若い世代になるほど、周囲にあわせる、人より目立ちたくないと言った心情があるといった話も聞きます。それはなんなんだろう? という疑問は後述します。
波を立て続けてきた私の経験と確信を書いてみます。
私の仕事は地域にとっては侵入者、「よそ者」のことが多いです。また、固定化しはじめた場では、波風を立てる者です。
地域のなかにも「変人(波風のないところで異質でいればそう呼ばれます)」はいて、新しい風を求めている人も少数います。これは、会社や市民グループなどでも同じです。
そこで、さざ波程度でも、活動したり、表現することを始めてみると、微動だに動きそうになかった、諦めていた場に変化がかならず起こります。
変化を押すのは「若者・外(そと)者・ばか者」と言われる所以です。
さらに、多少の反発を受けても、定期的に継続的にさざ波を起こし続けてみます。もちろん、それはやがてその地域に暮らす人にとって、その組織にとってプラスになる、豊かさを呼び込むことであるとう前提がないといけません。
自分だけのためでもなく、だれかの利益とか、ご機嫌とかといったことでもなく、多くの人にとってよいことです。敢えて言うなら「一番困り事を抱えている人」の困り事に目を向けること。
だれかの困ったこと、生きる・暮らすときに障害になっていることを、どうしたら生きやすくなるかという視点で、取り組むこと。
実際に変えていくことを目指したら
よく、自分が動けないことを「仲間がいないから」「共感してくれる人がいないから」という話がでます。けれど、「困っている人」はたくさんいます。自分にも通じる「困り事」を抱えている人となら、仲間になれませんか。
私たちの活動の基本はそこにあります。だって、女性が一人で社会で生きていくときを思えば、「困り事」だらけでした。おかしいことだらけの社会だったのです。その一つ一つに反目するだけではなく、実際に変えていくことを目指したひとつが、高齢期になった女性の後半生の暮らしの改革でした。
そこには私自身のことでもあり、多くの女性たちに共通の「困った」がありました。
変革は波風を立てずにできません。見つけたら、わかったら、動きだすしかない。
それで、わかりました。
動きだせば、向かい風も拭きますが、追い風もありました。
追い風に乗ると、その風に乗りたい、すでに乗っていた人達に一人二人と出会うのです。
私たちとは違う経験や仕事や活動をしてきた人達。でも、その風にのって変革を起こそうという目的や思いが同じ人達。
これが「ヒト・モノ・カネ・情報」のシェアの始まりです。まずは、人。人が集まれば、モノやカネは自ずと集まり始めます。この動きが始まれば、情報社会の今日、私たちに必要な情報も集まる。目的に対しての迷いはないですから、情報量に溺れたり、どう選択していくかという迷いはありません。
老いも若きもシェアで生きません?
「シェアハウス」という名称が一般に広まっていますね。そのせいか「シェア」というと、お金が不足しているから条件は悪い部屋でも我慢する、といったイメージを持つ人もいます。
私のいう「シェア」とは、惜しみなく持ち寄って共有し、見返りを求めず分かち合うギブアンドギブ! ひたすら出せる人は出し続けるものです。人と奪い合う競争ではありません。
長い間、日本の教育は「人より優れた」「人より上手に」「人より抜きんでた」に価値を置いてきたように思います。「人より」という眼差しを自分が持ってしまうと、キリがありません。
いくら頑張っても、鍛えても、上には上がいますからね。
ましてや、早く走れる人がいるように、勉強が得意な人もいますが、多くの人がそれは不得手です。
いまは、勉強という評価軸に、人柄ややる気といったことまで入っていて、じつは子どもなんてみんな「やる気満々」なのに、先生の評価軸で「やる気なし」などと通信簿に書かれたりするらしいですね。とんでもないことです。
子どもたちは勉強・性格・運動・ビジュアルに至るまで「よい人」になるように求められています。そうなれば当然ですが、若い人たちを見ていると、もうちょっとお疲れのようです。オールマイティを求められることに疲れてて心身が疲弊している。
高齢者のほうがむしろエネルギッシュだったりしているわけです。
老いも若きもシェアで生きません?
ということで、前回のブログと同じことを書いて終わります。
「弱い私たちが生きていくためには、それらをシャアし誰もが弱いと思えるゆるやかな場所にしていけばいい。そういう環境と条件があるのが「那須まちづくり広場」です。」
前回のブログはこちら↓
私たちのこと、もっとよく知りたいという方向けに↓
本年最後のブログとなりました。いつも読んでいただきありがとうございました。来年は月に2回の配信にペースダウンをします。どうぞよろしくお願いします。
(202212125−17)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?