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高齢化率都内最高の多摩ニュータウンで暮らし始めて、感じたこと・見えてきたこと。

どちらで暮らすかは、自由!


前回、過疎地といわれる那須再生のメリットについてふれ、多摩ニュータウン地域の資源と可能性について、書きかけて文字数が尽きました。
つづき、です。おさらいから始めます。

東京は多摩ニュータウン。都市近郊の団地群。
栃木県那須町は、牧草地と避暑などの別荘地。
概ね、皆さんのイメージでしょうか。那須は高齢者には、御用邸も印象深いかもしれません。
いわば、都市近郊と、過疎の田舎町。

那須町では高齢者住宅に暮らす近山の書斎

どちらで暮らすかは、人それぞれの好みと事情あってのこと。どこを選んでも、自由というところが素晴らしい。地域の課題を解決すればいいのですから。
そこで、私たち「コミュニティネットワーク協会(CN協会)」では、都内豊島区でも多世代シェアハウスや交流拠点を創成し、展開しています。都市部には都市部なりの、手つかずで入り組んだ課題があります。

3地域で多世代コミュニティを創成できれば


いずれの地域にも共通する課題と、それぞれの背景で抱えた問題があります。いま、私たちがチェレンジしているのは、この3地域で「100年コミュニティ」モデルを構築すること。

それができれば、この沈みかけた日本全国どの地域でも、人々はより豊かに暮らせるのではと考えるわけです。都市部地域の孤独と貧困問題も、地方の過疎問題も、そして高齢化した団地問題も、そこに人間が暮らすという眼差しをもってすれば、道は拓けると思うのです。

多摩ニュータウンではノマドワーカー 

いま、多摩ニュータウンで取り組もうとしている団地の再生についても、すでに私たちは過去いくつか別地域でのプロジェクトの創成を経験しています。「多摩プロジェクト」と称する今回の実践は、これまで取り組んできたことの集大成。経験と知恵をフル活用して進めます。

団地って、なんだったのだろう?

さてさて、日本の団地は、1960年代から始まる高度経済成長によって誕生しています。「産めよ増やせよ」の時代から「金の卵」の時代へ。大量生産のための労働力を必要とする時代になり、その労働力として役立つ人たちの住まいが必要に迫られて各地で建造されました。団地の誕生です。

血縁地縁がまだ色濃かった時代に、それを不自由、窮屈と感じた「ニューファミリー」層のニーズとも相まって、団地は多くの人から歓迎されました。

ひとの暮らしをどう取り戻せるか

ところが、時代は流れ、子どもは成長し、就労者は年を重ねるうちに、都市部の住環境も整い始めます。交通網も都市部では細かく整備されます。駅近にマンションが建ち、人気はより便利な地域に集中します。そもそも郊外にある団地から満員電車に揺られるその苦行を好む人はそういません。かくして、団地で育った子どもたちは別の住まいへと独立していきました。

いまや、多摩ニュータウンの高齢者率は都内で先頭を切っています。

昼から夕方までの居場所がない。

73歳になる近山の住まいは4階建ての3階にあり、エレベーターはありません。
私はその3階の一室で早朝には動き出します。パソコンに向かい、または電話で一仕事をはじめ、家のなかのこともちょこっとやって昼どき。近山のその住まいは私たちが創成した「コミュニティプレイス〈まつまる〉」の目の前。カフェやマルシェなどを常設した交流拠点です。卓球、麻雀、体操、料理教室のできるキッチンやお料理や小さな図書室もあります。

多摩ニュータウン松が谷の多世代交流拠点〈まつまる〉


ですが、まだまだなにかが不足している。まして〈まつまる〉がなかったら……。昼から夕方までの居場所がない。散歩に出ても人工的な整備された団地群が続き、グルグル迷路みたいで変化がない。

そこで、同僚に車を出してもらい、多摩センター駅周辺にでかけてみる。すると、カフェはある、呑み屋もある、映画館まであって街がある。
ところが、この街の賑わいも日常になると、便利というより過剰な消費を促す場にしか見えてこないのです。

そして、ここに暮らすと財布にレシートがガンガン溜まります。那須でも都内でも同じように3食を食べているのですが、東京に来るとなぜか財布を開ける機会がとても多くなる……なぜなんだろう。

周辺には大学が複数ある多摩ニュータウン

団地は「ウサギ小屋」とか「働き蜂の住処」と言われていました。私の暮らす団地の住まいは3DK。現在は2人で暮らすのでけして狭いとは言えないのですが、どうにも私には閉塞感がある。一日いられる場ではない。かといって足腰の弱った自分がいかれる所も限られている。
駅まで足を伸ばしたところで、たとえ1時間をかけて新宿にでたとして、どうだろう。

いま、ここは安全、安心、楽しい住まい空間と言えるのだろうか。
そうか、ここは働きにいくための住まいの空間。朝、電車で都心に出かけ夕方帰える人には上手くできている空間だったのだと、つくづく思うのです。

那須町は見渡せば田畑と牧場しかないと思いがちですが、人が生きていく、充足する、心が温かくなるための資源の宝庫です。土地がある、水もあれば木もあり、エネルギーを蓄えることだってできます。建物は有り余っているし、安い。

多摩プロジェクトのイベントには高校生も

多摩にも都市部にもそれはありません。では、那須にはなくて、多摩にあるものはなにか。それは、若い人材です。多摩ニュータウン周辺地域には、大学が複数あり今般の松が谷・愛宕地域のプロジェクトにも、学生さんたちが多数参加してくださっています。
若い血が濃い! これは宝です。若い世代にとっても、チャンスです。

コミュニティプレイス〈まつまる〉には子育て世代も集まる

団地再生は、おのずと高齢者や障がい者、子どもにとって豊かさをもたらすものになります。同時に「助かった」」「ありがたい」「楽しい」と言ってもらえる活動に参加することで得られる喜びや自信は、なかなかほかでは得ることはできないでしょう。机上のお勉強ではない、リアルな学びがそこにあるのです。

さらに、多摩・八王子地域は行政も住民のみなさんも、現状に対して切実な危機感を持っておられます。この学生、住民、行政の連携を促すことで、人材という資源が生まれる。この資源を活かすことが、多摩ニュータウン再生のカギになると確信しています。すでに、<まつまる>には、障がいを持つ方や、高齢者がたくさん働いています。そして、我が町にも!ということで、研修・見学にもたくさんの方がおいでになっています。

多摩ニュータウンに「100年コミュニティ」を創成できれば、ふたたび「憧れのまち・住まい空間」と言われることでしょう。プロの目にはその絵面がもう見えています。

(20230304−20)


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