モチベーションの話

どうも、ボカロPと名乗ったらそろそろ怒られそうななすです。

早速ですが、みなさんは「モチベーション」という言葉の意味をご存知でしょうか。動機づけるという意味の「motivate」の名詞形「motivation」のことであり、「動機づけ」と訳されます。くだけた表現をすると「私たちが何か行動するときの心理的な理由」です。ですから、よく聞く「モチベーションが上がる」とか「下がる」とかっていう使い方は本来間違っています。しかし、言葉が本来の意味で使われないことなんて日常茶飯事ですから、「上がる」や「下がる」でそれなりに意味が伝わるところが日本人のいいとこであったりします。

それでも、モチベというのは有るか無いかでしかない、と私は考えています。

作曲。私はほんの興味本位で始めました。ニコニコ動画の黎明期、もし自分のオリジナル曲を投稿したらどんな反応がくるだろう…そんな興味が作曲のモチベとなりました。当時は知識も機材も乏しく(今もそうですが)、今考えればとても聴けたもんじゃないですが、それでも投稿した動画には意外にもそこそこ反応が返ってきました。

「嬉しいな」

素直にそう思いました。「じゃあ次はあんなのやこんなのを作ってみよう」これが次のモチベでした。

しかし人間は残念なことに自己顕示欲というものが備わっていて、「もっと、もっと反応がほしい!」となるものです。そうして私の作曲モチベはいつの間にか「作りたいものを作って反応を貰いたい」から「数字が伸びる曲を作りたい」へと変わっていきました。その後、初のマイリスト1000件超えを達成したり、某歌い手さんのおかげで「ササクレシリーズ」をたくさん知って貰えたり、自己顕示欲がみるみる満たされていくのを感じました。

が、そんなモチベも長くは続きませんでした。社会人デビューの訪れです。

学生時代は時間を持て余してたので、アイデアが浮かんだら「早速作ってみよう」となっていました。就職する前も「空いた時間使えば続けられるでしょ」と思っていました。しかし、就職して自由な時間が制限されると、これが意外と大きい。家に帰って「よしやろう」という気力は残っていません。え、こんなに変わるのか社会人って、とびっくりしました。しかし、その原因はいたってシンプルでした。「やりたいことが作曲だけではない」からです。頭で自然と「やりたいことのやりたい度合い」を比較してしまい、よりやりたいことを優先してしまうのです。学生時代は、それでもやりたいことをある程度全てやれる時間がありましたが(というよりただの暇人だった)、今は違います。あれもこれもとはいかないのです。

最近はYouTubeでいろんな動画を観るようになりました。動画を観よう、というモチベは単純です。「笑いたい」とか「癒されたい」とかそんなもの。音ゲーにもハマっています。では作曲はというと、もはや自己顕示欲だけではとても腰が上がらなくなってしまいました。単に1曲作るだけでも、その時間で何本の動画が観れるんだ、どんだけ音ゲーで周回できるんだ、とか。「やりたい度合い」を比べてしまうのです。

そういう意味では「モチベが上がる」という表現はあながち間違いではないかもしれません。しかし、他のことに対してのモチベがあるとき、作曲のモチベはもはや「無い」と思っています。モチベを共存させることは非常に難しいのです。それでも私が時折オリジナル曲を投稿しているのは、きっとその瞬間、他のことに対するモチベがないか、強烈な興味が涌き出ている(コード進行の面白さに気づいた等)からです。

そんな私が半年前くらいに作曲モチベを取り戻した出来事がありました。そのモチベは「人を応援したい」という気持ちです。応援するために自分ができることは何かと考えた結果、そうだ作曲だ、と。思い返せば今まで誰かのために曲を作ったことなんてありませんでした。これがね、意外と楽しいんです。まず大きいのは「題材がある」ということ。私が一番苦手とする作詞が、題材があるだけで全く苦にならないんです。そして何より「数字を伸ばしたい」なんてことを全く気にしなくていいので、ボカロP「なす」を脱ぎ捨てることができる。あぁ、作曲ってこんなに楽しいもんなんだなぁと再認識しました。

YouTubeにアップした動画のコメント欄には時折「フルを作って頂けませんでしょうか。ご検討の程宜しくお願い申し上げます。」とお願いされることがあります。でも、私はあんたのために作ってんじゃない、あの人のために作ってるんだ。そう思っているので、毅然とした態度でこう返しています。

「できません。」と。

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