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声高に「SDGs」が叫ばれる今の世界になる前からあったSDGsっぽい物事の話

タイトルに「世界」と書きましたが、
「世界」規模の話ではありません。
もっと小規模の・・・私が観測しうる生活範囲の話です。

しかも、スマホなんて無いガラケー時代…
いえもっと前の、身近に「携帯電話」という言葉さえなかった時代にさえ既に存在していた「SDGs」っぽい物事。

でもたぶん、とても大切な話。


私の住んでいる地域は、夏に水不足に非常になりやすい地域です。

我が地域の夏の渇水問題は「近年そうなった」問題では無く
(詳しく調べたわけではないのですが)
江戸時代にはすでにあった問題であるようです。
もちろん、江戸時代と現在では(当たり前ですが)水の供給システムは大きく異なります。

また、平成に数度おこった大きな水不足問題を経て、梅雨の時期に雨量が少ない気候の年になったとしても、生活&農業用水ともに
途絶えずに供給できるシステムが
整備&成熟されつつあります。

平成におこった渇水問題は私の生活にも大きな影響があり、その当時のことをよく覚えています。その中で私は2つの年度のことが特に印象に残っています。


1つ目は私が幼稚園・保育園に通っているような年齢のときにあった渇水問題です。

私が当時居住していた地域は特に問題なかったように思うのですが、
当時通っていた保育園のある地域は
水不足により時間断水を行なっている区域にありました。

保育園での園庭で遊ぶ時間のあと
朝のオヤツタイムがありました。
「お外で遊んだのでみんな手を洗いましょう」と皆で手洗いをする時間があったのですが、
「10時になったら水が出るようになるから、時計の大きな針が12のところに来るまでみんな並んで待っていようね」
と先生から言われ、水道の前に並んで水が出る時間になるのを待機したことは
子ども心に大変衝撃を受けました。

気の早い子などが蛇口をひねるのですが
水は出てきません。
10時になれば給水が開始されたのですが
それでも「水道から水が出ない」
ことは子ども心に大きなインパクトがありました。


2つ目は中学もしくは高校のときだったでしょうか。その時も梅雨に雨が少なく水不足になった年でした。
公共施設や家庭での水道等の使用が段階的に制限されていきました。

まず、夏休み中の学校のプール開放がなくなりました。これは割と(数年に1度くらいの頻度で)おこります。

そしてプールのレジャー施設が閉館しました。
これは珍しいといえば珍しいのですが
数回経験したように思います。

その次に、学校のプールの授業が中止になりました。プール授業がなくなりますと
学生たちはいよいよ水不足問題を肌で感じました。

そうしていよいよ水不足が深刻になると
深夜断水がはじまりました。
夜0時から朝6時までの時間、家庭の上下水道は使えなくなってしまいます。
「○○市は■日から深夜断水が始まります」
というお知らせが来て、
学校での話題も
「ウチ今日から断水期間はじまった〜」
「えぇ〜!夜遅くなったら風呂に入れないじゃん!」
という話でもちきりになりました。

さすがに(深夜期間だけですが)断水が始まるのは、それこそ幼稚園・保育園児以来であったので戦々恐々としたのを覚えています。

「私の住んでいる市も一週間後に深夜断水が始まる!」という「あわや」なところまできたのですが、結論から言いますと「あわや」で終わりました。
台風がきて、その年の水不足問題は解決しました。


上記のように水不足問題がとても身近にあります。水不足は(当たり前ですが)夏に最も意識する問題でありますが、
冬にも・・・もっといえば一年中、水不足問題を意識する機会があります。

「節水をこころがけましょう」
「節水にご協力よろしくお願いします」

学校などの公共施設、ショッピングセンターやファミレス、はては個人経営の商店・喫茶店のお手洗いに必ずある貼り紙です。

大学時代に他県で一人暮らしをしたときに気づいたのですが、この貼り紙
どこでも貼ってあるわけでは無い。
これはある種のカルチャーショックでした。


地元で買い物に行ったり遊びに行ったときには、当たり前にみていた「節水」の貼り紙。
「あるものが無い」ことは
私の中で大きな違和感を覚えることでした。


「水を大切につかいましょう」
SDGsでいうと「陸の豊かさを守ろう」がこれにあたるのでしょうか。
上記のような水不足が身近な問題にある地域に住んでいますと「節水」は「当たり前」です。

では、それ以外のことは?
日常的に私ができる行いとして
「節電」「リサイクル」「エコバッグを持ち歩く」「買いすぎを控えフードロスをなくす」
などがあげられます。

私にとって「節水」はもはや「無意識」でできていること、と言える事柄ですが
それ以外のことは、はたして「無意識」でできているのか?
と言われれば、できていないです。


そうして私は夢想します。

日常的に行える範囲のSDGsを、
私にとっての「節水」のように「無意識」にできる事柄になるように
まず「意識」をしよう、と。

1人の行いはとてもちっぽけに思えるかもしれませんが、少しずつの積み重ねが何十年と時を経てより良い未来につながっていくことを。


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