後遺症が残った過失10の交通事故に遭った話④ ちまなこをぐるぐるする徒労の日々

こんばんは。
当初の想定以上に壮大な物語と化してきたこのシリーズ、いつ終わるのか私も不明です。
もしも読み進めてくれている読者の方がいれば、
ここ④まで来てくださっただけで「勇者の称号を授けたい」と思うくらい、長々しています。見てくださってありがとうございます。

交通事故被害者で事例を求めている方向けには、
もう少し状況と訴訟の重要点になった部分などを連ねただけのものを、そのうち訴訟の話に入るあたりで取りまとめたいと思います。

それでは、今回は絶望の眼科受診ととんでもない保険会社担当者の話をまとめた、前回の続きです。ギアスを発動します。


入院して一週間。
とうとう左目の腫れが少し引いてきました。
鏡で見ると、左目の白目が真っ赤、つまり赤目です。
いや、ギアス、これは、まるでギアスが使えるヤツみたいじゃないか。
脳内が変な盛り上がりを見せました。

そして違和感に気づきます。
なんだか、視界がぶれているぞ、と。
右目だけ、左目だけ、と片目をつぶりながら確認すると、
右目と比べて左目の見えている”位置”がおかしいのです。右目より段下がり感があります。

そして、

日に一回の診察の時、先生に言いました。
「先生、左目がおかしいです。視界がダブって見えます。」
先生は、色々考えた後に、
「うちは眼科がないから、近くの眼科へ外来に行きましょうか。」
と判断し、
入院先に外出届を出して院外の眼科を受診するというレアケースになりました。

早めがよかろう、とすぐその日か次の日くらいに眼科に向かいました。

たまたまその日はかなり遠方の大学病院の眼科の医師が出向診察していました。
私は入院先からMRIかCTかのデータを貰っていて、それをその大学病院から来ていた医師にも見せることになりました。

「あなたは、2週間前くらいに交通事故にあったのよね?」
眼科の医師に尋ねられて、私は「はい」と答えました。
「眼科の治療は、早期に対応しないと治りにくいんです。早期とは、怪我から3日以内、せめて1週間くらいの間です。目の組織の問題もあるし、視神経や脳の見え方の調整もあるし、早期に対応しないと悪い状態で定着して、どうにもならないこともあります。」
私は、『これは悪い展開だ、覚悟が必要だぞ』と思いました。

医師は続けます。
「それで、でも治る可能性もあります。
あなたは左眼窩底吹き抜け骨折で、眼玉の下の骨が粉砕して、眼玉が本来あるところより下に落ちている状態か、骨折時に視神経がどこかの骨に引っかかって動きが制限されているのだと思います。本来の位置にないから見え方の調整がうまくいかず、複視というぶれて見える状態になっていると。
他にも当初のMRIを見る限り、あなたは事故の衝撃で目玉が一度壊れている。2週間もたつし、その時噴き出した目の組織ももう自浄作用で失われています。」
もう、声も出ません。
眼の中身、噴き出したんだ。へぇ。今目の前で話されているのは私の話かな?夢かな?と初耳の状況に笑いそうになります。

だからか。だからあの、最初に診察してくれたくたびれた女医さんは「眼がなぁ」を連呼していたんだな。女医さんは気づいていたわけですよ、このヤバそうな状態に。
私は、あの当直明けぎりぎりで憔悴しきっていた女医さんの正しい判断に感じ入りました。
そして、その正しい判断を無にした市民のための総合病院の医師達を、正直恨みました。

結局、その女性医師は『すごくかわいそうな子を診てしまった』という悲壮感漂う顔で、
「この近くだと、車で1時間くらいのところに大きな大学病院があって、そういう手術もしていたから、そこがいいでしょう。治らないかもしれないけど手術してみてもいいと思います。
するなら早い方がいいですよ、紹介します。いや、私からだと微妙ですね。入院先の担当医師から紹介してもらうのがいいでしょう。
その時は私も症状について一筆書きますので言ってください。」
と、診察を終えました。
その憐れみ深く優しそうな医師は、私の担当医にも一筆書いてくれました。

その先生の一筆を胸に、
『誰に、どう言ったら心が晴れるだろう。
私は治るかもしれないなら手術したいけど。でも治らないかもしれないわけで。
なんで、あの事故の日、眼科医がみんな学会でいなかったんだろう。代わりに診た耳鼻科の先生も診察適当すぎじゃない?私、運悪すぎじゃないの。なんなの。』
と、とにかく無性に情けなく腹立たしい気持ちで病院に戻りました。

私が持って帰った一筆は、
病院内の整形外科医総出で検討されました。
検討内容は、「大学病院へ手術期間だけ転院させるか、治らないかもしれない可能性が高いことからそのままうちで入院続行か」です。
整形外科には眼に詳しいものがいないから結論が出ない!という竹を割ったような判断となりました、
が、しかし、
『大学病院に連れて行くのはしがらみやらあれこれ手間もあってちょっとなぁ。ただでさえ複雑な状態でうちに来た子だしなぁ。』
という雰囲気が、聴こえてくる会話の節々に漏れ出ていました。
それでも、手術するのが最善ならそうすべきである、という優しさのもと、
「顔の組織に詳しい院内の科は形成外科だし、形成外科の先生が手術すべきというならそうしましょう」、ということで、私は形成外科の診察を受けました。

形成外科の先生の判断は、深刻さとはかけ離れていました。
「眼は柔軟だから、動かしてたら治るんじゃないの?どこか骨折した骨に引っかかって動きが悪くなっているだけかもしれないし。ほら、こうやってぐるぐる眼をまわしていたら、そのうち引っかかりが取れて複視も治るかもしれないよ?まだ若いんだし、脳も柔軟だし、どうにかなるでしょ。」

そのあまりにあっけらかんとした、眼をぐるぐる回して変な顔をしながらの診断に、
整形外科の先生たちも、『あれ?そんな深刻じゃないかも?』という雰囲気を強く出し始めました。

私は「手術したい」と訴えました。
私はあの眼科の医師の憐憫の情を見ています。絶対、眼科的には深刻な状態なのです。
担当医の先生は悩んでいました。形成外科の医師と、上司にあたる整形外科長は手術不要派(多分)です。

結果、どうなったかというと、
私はこのままステイ。
そう、手術しない、という方針になりました。
そして、院外で受診していた眼科も、
私の複視の治療は手術するかしないかの外科的な話しかできず、この眼科でできることは何もない!
ということで、終わりました。

一縷の望みをかけて、
私は形成外科の先生が言う通りに眼を毎日ぐるぐるしました。
退院するまで続けてみたけど良くなりませんでした。


複視問題が院内で決着したころ、
私には次の問題が発生していました。
仮に病院代を立て替えてくれていた保険会社の担当者が電話をかけてきて、
「退院しろ。もしくは市民のための総合病院に転院しろ。」
と迫ってきたのです。
私は一年制の専門学校に通っており、他県で入院中ということで休学していました。
専門学校としては、30日以上休んだらその時点で卒業不可、そうしたら翌年は最初からやり直し(前期も後期も学費が必要)、という決まりです。

そう、保険会社(の担当)は、私を何としても学校に行かせようとしていました。
卒業不可になった場合の私の翌年の学費を払いたくなかったのです。
「当たり屋」だと思っていた被害者が、他県で入院した。
それを聞いた当初は、「どうせ大した怪我もしていないだろうし、1~2週間で退院するだろ」と高をくくっていたようでした。
しかし、病院に問い合わせて驚いたようです。
私に言ってきました。
「あなたは退院を渋っているんでしょう。保険金目当てですか?
聞いたら2~3か月は入院する予定らしいじゃないですか。
そういうことはやめて、早く退院したほうが身のためですよ。」
あまりのいいぐさに、さすがの、過去友達に仏と呼ばれたほどの私も激高しました。
「そもそも私は2~3か月入院予定なんて話も今初めて知りましたし、あなたは私の今の状況すら見に来たこともないでしょう。何がわかるって言うんですか!ひかれたくてひかれたわけないじゃないですか!!」
私は、眼の症状がヤバそうだと知ってから少し情緒不安定でした。
そんなに精神的にやられているときに、この担当者は私にこんな思い込みの激しい自分勝手な追い打ちをかけてきたわけです。

私はまた、
なんであの事故の時に死んでなかったんだろう。
あと10センチで死んでたって警察が言ってたから、ちょっとヒョっと頭を伸ばしておけば死ねたのになあ、
と妖怪ろくろっ首を思い浮かべながら思っていました。

なにやら普段はへらへらしていた私の初めての剣幕に驚いたらしい保険会社のS(もう不愉快過ぎて記号で呼びます)は、
今度はしっかり病院に私の症状やら状態を聞いたようでした。
先日とは打って変わって真面目そうな声色で、
「私としても、あなたとしても、学校には通った方がいいと思います。人生で1年間を無駄にする、これはとてももったいないことだと思いませんか。
私は、市民のための総合病院でも、ほかのところでもいいですが、学校に近い病院に転院してもらって、そこから学校へ通っていただくのを提案したい。
病院からの移動費は保険会社に請求してもらってかまいません。転院でなくとも、住まれているアパートから通院するとしても、移動費は保険会社に請求してもらって構いませんよ。特殊な医療用タクシーがお勧めです。」
と、手のひらで人を転がしてやろう感があふれ出している営業トークを繰り広げています。

この腹立つSを送り出した保険会社、絶対スムーズに医療費とか出してくれないぞ。高い医療用タクシーを使わせて、あとから手のひらを返して支払いを催促してくるつもりなんじゃないのか。
その時は絶対訴訟してやる!
もう、Sへ疑いの眼しか向けられない私は心に決めました。

でも1年を無駄にするのは確かにな、と思った私は、
担当医に相談してみました。転院もややこしそうだし、退院してアパートから通院かなと。
そして怒られました。
「まだ自力歩行できない車椅子状態なのに退院したいとかありえないでしょ、何言ってんの!」
と怒っていました。
私は先生に慣れてきたのもあって対抗してみました。
「でも先生、私頑張って学校に通ってたんです。アルバイトとかしながら、1学期通い切ったんです。」
先生は反論しました。
「君は、他人の言い分とか、学校に通えなくなってお金がもっとかかるとかあるのかもしれないけど、自分の体をもっと大切にしなさいよ!
住んでるのエレベーターもない3階なんでしょ?無理して階段から落ちたら・・・ここまで治したのに。」
先生のこの、怒ってからトーンダウンしてきて泣きそうな顔に弱い私は、こんな感じで病室で先生とワーワー言い合いながら、今後の不安感から泣き、先生の優しさにも泣きました。

そしてSに言いました。
「退院しません。先生と話し合いましたが、先生は反対のようでした。治りかけだし、下手なことをしたくないですし。もう、学校はいいです、来年行きなおします。」

さらに吹っ切れて、
『もうSと関わりたくないな、嫌な人だし。』
と思ったので、
Sの保険会社のお客様サービスセンターの問い合わせコーナーで、
これまでの不愉快なS語録とやたら退院させようとしてきた話などを、
あまり感情的にならないように気を付けながら短めに入力しました。
最後には
「できれば、治療上や精神衛生上良くないので担当者を変えてください。」
的な文言を付け加えました。
Sとの電話は毎回録音されている様子だったので、
『こういう問い合わせでもしとけばS語録は録音を聞いて本社へ確認されるであろう。それでもSの対応は正しいとするなら仕方ない。』
と大変すっきりしました。

すっきりしたところで(毎回こんな終わりですが)
今回は終わりたいと思います。

私の友人は保険会社の車両保険で働いていて(このSの話を相談したことはない)、
彼女の話を聞いている限りでは、大抵の保険会社は真っ当で被害者に紳士だし、Sみたいなことを言ってくる人はあまりいないと思います。

ただ私の運が悪かっただけもあるし、Sは思い込みが激しいタイプだったんだと思います。「当たり屋」と思って一直線だったんでしょう。そして後に引けなくなってごにょごにょし始めたと。

交通事故の案件は、解決スピードが速い人=優秀、と認められやすいらしいので、それを気にしたのかもですね。
私が卒業できない可能性が出て、長引きそうな様相を呈してきたので焦ったのでしょうか。

保険会社さんと揉めてる人、
担当者がヤバそうなだけだったら、その担当者の会社の問い合わせ窓口に相談したらどうにかなる場合もあります。
参考になれば幸いです。

次回は、ようやく「先生、これは薬の副作用なんじゃないですか」の回に入り、入院も終盤です。

それでは、みなさんに良い出会いがありますように。
読んでくださってありがとうございます。
おやすみなさい。