後遺症が残った過失10の交通事故に遭った話⑦ 医師の本分は人を救うことなのか怪我を治すことなのか

こんばんは。
私は仕事が忙しくて少し更新が空きましたが、この間にも見てくださった方がいてありがたい限りです。
最後まで書ききれるように頑張ります。

それでは、前回の続き、病院探しについてです。
最後の方に少し貸付制度の話も出てくるので、気になる方は最後の方を読んでみてください。
どうしようもない現実にうちのめされ、主に妄想や願望があふれる回になっています・・・。


私は現場検証が終わって絶望からごろごろし、ごろごろしすぎて嫌になり近くで通える病院を探すことにしました。
(お金を借りるところを探すのは先延ばしにしました。)

(前回で私にとって当たり前すぎて書き忘れましたが、
読み返して、「なんでこの人は実家に帰らないんだろう。わざわざ一人暮らししてるの?」と思った人がいるかも、と思ったので後日に家族の話を補足しますね。)

私は今後の訴訟のことも考え、この地域で最も整形外科が整っていると噂の総合病院を訪ねました。
入院していた病院からの紹介状をお守りのように握りしめて訪問しました。
診察まで2時間待合室にいる間、まわりは高齢者しかいません。
『若者がいないということは、特殊事例が多そうなスポーツの怪我に特化しているわけでもなさそう。骨粗しょう症とかの高齢者特化型かな。これは微細な怪我を探したい私からすると相性が悪いかもしれない』と思いました。

そして、ここに私は期待していました。
『整形外科が整っている総合病院に行けば、アイアンマンな強化スーツみたいな人や、そうでなくとも特殊器具を装着した人を見られるんじゃないか』と。

私は重機や油圧機械が大好きです、林業機械(ハーベスタとかタワーヤーダとか)が特に好きです。
兄のガンダムフィギュアをいじりながら育ったのが理由だと思います。
『ガンダムの腕を操作している感覚が味わえるんじゃないか』とショベルカーの免許を取りましたが、それから単純に油圧機械が好きになりました。
あの免許取得の研修会の参加者のなかでは、そんなあほみたいな理由で免許を取りに来たのは私しかいないと思います。

すみません、また脱線しました。

とても楽しみに来たのに、アイアンマンみたいな近未来装置を付けた人は一人もおらず、
ショボーンと痛そうに椅子に座るおじいちゃんやおばあちゃんばかりではないですか。
勝手にがっかりしました。とても長い待ち時間でした。

さらに追い打ちをかけるように、
診察の順番が回って来て、医師が言った言葉に悲しくなりました。
「交通事故ですか。しかももう3か月たっていて、なんでここに通院しようと思ったの?交通事故ってややこしいよね、保険会社とのやりとりもあるし。最初の方を見ていないから何か言われたときに責任が取れませんよ。入院していた病院じゃダメだったの?」
私は一応返事をしました。
「入院先は実家の近くだったため、これから暮らすこちらの方の家の近くで検査機器がそろっていそうな病院を探してここに来たんです。確かにこれから保険会社とのやりとりはあるかもしれません。それもあって詳しく検査してほしいなと思いまして。」
医師は嫌そうに返しました。
「もう退院したってことはほぼ治っているんでしょう?こちらですることはありませんよ。せいぜい経過観察くらいです。紹介状もあるから受け入れることはできるけど、治療は特にないですよ。交通事故って面倒なんだよな。」

私を入院させなかった市民のための総合病院も含め、
この地域の整形外科(総合病院)はとにかく交通事故は関わりたくないスタンスのようです。
過去に何か交通事故がらみの重大事案があったのかもしれませんが。
私からするとお金を払って診察に来ているのにこの対応をされるのは詐取に近いです。嫌ならお金を払わずに済む診察前に追い払ってくれないかと思いました。

しかし、最初に救急搬送された病院から市民のための総合病院に移されたのも、実は交通事故に関わりあいたくなかったからなんでしょうか。
あのくたびれていたけど優しかった女医さんは、精神的にもくたびれていたから交通事故対応が嫌で実は私を放り出したのでしょうか。
悪い方へ悪い方へ思考が偏っていくのを止められませんでした。

私は、この時点で整形外科の怪我で保険会社と争うことはあきらめました。
入院先からもらっていた紹介状はこのダルそうな医師に開封されてしまいました。
すっかり気分は、なけなしのお金をはたいてチャレンジした長ネギ袋のガチャガチャで4分の1の短いネギ袋を引き当て『私は4分の3すら当たらないのか?』と絶望しかけたあの日と同じです。
幸運力へぼへぼの私に紹介状パワーすら無くなった今、交通事故嫌いそうな医師だらけのこの地域で真剣に検査して対応してくれる整形外科医を引き当てる方が大変そうです。

手首もずっと痛いし、入院先で認定してくれた「数か所の骨折」だけでなく神経や筋肉の損傷ももっと色々あると思うから、専門で詳しく調べてくれそうな病院で調べられたらいいな、手首の痛みも治るといいな、
と期待してここにやってきましたが、
「交通事故の怪我は嫌。できれば関わり合いたくない。」と医師は率直に私に言いました。
この医師が私に親身に協力してくれることはないでしょう。

入院先はとても温かかったので忘れていましたが、私はこの地域では冷たくあしらわれがちな人間だということを思い出しました。

私はほぼなんの治療も検証もないまま、ただ医師に毒を吐かれただけの整形外科を出ました。
この整形外科の医師は、フグみたいにはまれば大変おいしいが下手を打つと毒にあたるようなタイプの医師かもしれません。なかにはこの医師にはまってめっぽう救われている患者だっているのかもしれません。
『そういえば昔家にお土産のフグ提灯があったな。あの提灯、微妙にとげが痛いんだよな。』
いつものように思考を飛ばすことで不快に傾く気持ちを抑えました。


この総合病院には眼科はないけど形成外科はあるようだし、ついでに行ってみようかな、と気分転換にふらっと形成外科も受診しました。

高齢者が所狭しと待っている整形とは打って変わって、形成外科にはほぼ待合人が居ません。
私はこのひとけのなさに少し不安になりました。

そしてすぐに診察の順番が来ました。
医師は、
「交通事故ですか。大変でしたね。これは相当な事故だったでしょう。今は良くなったようですが、頑張りましたね。」
と、温かく声をかけてくれました。
さっきの不安はなんのその、良さそうな医師です。さっきの死んだ目の整形外科医から一転、顔もすっきりと柔らかな表情の医師でした。

冷徹な整形外科からの対応に内心疲れ切っていたらしい私は、
ここで(また!)泣いてしまいました。挙句に整形外科への想いをぶちまけてしまいます。
「別に私に有利な診断書を書いてほしいわけじゃないんです。
自分としては大変な怪我で、しかも交通事故だからやり取りも大変で・・・。どうにか今まだ残っている症状を改善できないかと思って来ただけなんです。」
と、多分初対面で言われても訳が分からなくて困ることを言いました。
しかもひっくひっくと泣いています。対応に困って迷惑です。

それなのに、医師は大変優しく見守ってくれました。
隣の看護師さんも「ほら、ティッシュ使ってください」と優しくティッシュをくれました。何かをくれる、それだけで優しさに飢えた私はノックアウトです。天使に見えました。ナイチンゲールに出会った野戦病院の負傷兵はこんな気分だったんでしょうか。

しかもようやく私は気付きました。
自分は初期の病院での酷い対応のおかげでPTSDになっているな、と。
病院で冷たい目で対応されるとまともに自己主張できなくなり、その後緊張が解けた瞬間に涙が出る、というパターン化している気がします。

これ以上迷惑をかけまいと、フンっと目を見開き鼻の穴を膨らますことで涙腺に圧をかけ涙を抑える技を使って気持ちを落ち着けている間に、
医師は私が入院先から持ち込んだ検査データをゆっくり確認してくれていました。
「これはかなり顔面にも怪我をしているようですね。事故時は心配も多かったでしょう、顔はどうしても気になりますからね。」

その行動と言葉だけで、私の怪我の状態を見極めよう、辛い気持ちを理解しようという、医師の誠意ある心意気が伝わってきました。
この医師には「交通事故なんて面倒だ」という気配は一切ありませんでした。
先入観なく診てくれる医師がここにいるのだと、それがわかっただけで私はこれからも頑張れる気がしました。

最終的に、私がただ泣いただけ、
「眼の周りが気になるから、やはり眼科が良いのでは」ということで診察は終わりました。

私は心が荒んだ整形外科から一転、とても幸せな気持ちでこの総合病院をあとにしました。
私の諸所の症状は何にも改善していませんし、改善の見込みすら全くありませんが、
『医師が「大変でしたね」と言ってくれて、私の症状を真面目に確認してくれるだけで、こんなに心が穏やかになるんだな』
と不思議な気持ちでした。
私は勝手にこの形成外科の先生を「推し」認定しました。

気力を取り戻した私は「眼窩底吹抜け骨折」の手術歴がある眼科を探し出し、
そこに診察に向かいました。

診察をしてくれた眼科医は私の持ち込んだ入院元のデータなどを確認し、
「月に一回特別診療に来てくれるその筋(眼窩底骨折)で有名な医師がいるので、その医師に診てもらいなさい。本当なら3ヶ月待ちも当たり前だけれども、急いで診てもらった方が良さそうだから次の回(来月)の診察にねじ込んであげよう。」
的なことを私に言いました。
私は『まるで袖の下を渡してヤバい人を紹介してもらうみたいだな』と思いましたが、ありがたく次の回にねじ込んでもらうことにしました。
念押ししておきますが、私は山吹色のぐへへなお菓子は一切渡していません。

この診察の帰り、電車に揺られながら思いました。
『やっぱり眼科医からしたら私の目の怪我は相当に急を要する案件だったんじゃないか!』と。
だってねじ込んでくれました。絶対に急がないと悪化するか改善の見込みがなくなるかのヤバい怪我のはずです。
『「目をぐるぐるすれば治るんじゃない?」と言った入院先の形成外科医はなんなんだ、適当なことを言って!人の人生をなんだと思ってるんだ。真面目にぐるぐるして治らなかった私の無駄な時間を返せ!私の失われた日々を!』
私の中でラピュタ再興を願うムスカばりに噴出した想いは、その形成外科の医師がぐるぐる目を回していた変顔をリピート再生して脳内で笑うことで昇華することにしました。


次の診察までしばらくあったので一番嫌なタスクをやっつけることにしました。
「お金を借りるところを探す」です。

インターネットで色々と調べて、この怪我をしている時期は障がい者扱いになるのではと期待して「社会福祉協議会」を訪ねました。
ここで相談したのは「生活福祉資金貸付制度」でした。

対応してくださった60代くらいの女性は、私の交通事故からの顛末を聞いて「あらー大変だったわねぇ!」と大変軽やかに心配してくれました。
そして「それは、親御さんにお金を借りなさいよ」とまた大変軽やかに私の相談を撥ねつけました。
私は言いたくありませんでしたが「親はお金がないんです。他に借りるあてもありません、消費者金融しか。」と言いました。

ようやく軽やかだった女性が少し陰りのある顔を始め、
「あらそう。どうしようかしら。あなたは世帯主ではないでしょう?学生だし。やっぱり、借りるとしたらあなたの親が借りないといけないわよ。
低所得者世帯か65歳以上がいる世帯、あとは認定された障がい者がいる世帯が借りられる資金だから、なんにせよ世帯主の親から借りてもらわないと無理ね。申し訳ないです。」
と最終的にへらっとした笑顔で答えてくれました。

私は社会福祉協議会を後にしながらしょぼくれました。
怖いからどうしても公的機関に近い場所でお金を借りたい、けれど、社会福祉協議会の貸付制度は私の親しか借りられないようです。
そしておそらく困窮世帯を見ているであろう社会福祉協議会の人からすると、へらっと対応できるくらい私はたいしたことない困窮度のようです。
『私はもっと頑張らないといけないんだろうか。努力が足りないからこんな事態になったんだろうか。』
そんな気持ちが頭をよぎりました。

落ち込んだ気分はどうにもなりませんが、
とりあえずまだ11月なので、来年度必要になるお金の件は先延ばしにして、眼の治療を優先することにしました。


今回はこれで終わります。
暗いところで終わりましたが、次はちょっとだけ明るくなるはずな、眼科での診察と入院です。

たまにこの社会福祉協議会での会話を思い出すと色々な想いが沸き上がります。

私の周りには、実はいつ死ぬかわからない病気(心臓病)を抱えているけど全くそれを周囲に見せずによく笑うから、多くの人から見たらただの幸せな人、がいます。
実際に「あなたって幸せそうでいいわよね」と言われているのを見たこともあります。私はその時、『あなたが心臓病なら「私って不幸!」とか言って回りそう』と言った相手に思いました。

誰が困窮しているのか、どんな地雷を抱えているかなんて本人にしかわかりません。
私も「裸眼でいいよねー。目がいい人はうらやましい」と言われます。
そのたびに
『たまに激痛があっていつ失明するかわからない痛んだ眼だけど、取り換えてくれる?』
と毎回こっそり思います。

多分、私みたいな目に見えない地雷を抱えている人はいっぱいいるでしょう。そして自らを不幸だと信じている人からこういう攻撃をうけて、毎回もやっとしつつも笑って流しているわけです。
何の得にもならない気がする「私って不幸!私って可哀そう!」姿勢は自分はしたくないのです。
それを言われた相手も困るし、実は相手の方が不幸だった時に恥ずかしくなるじゃないですか。

でも、それでも、
たまには「推し」化した形成外科の先生のような人に出会って、苦労に気付いて労わってほしいと思ったりもする。人の感情はめちゃくちゃなものです。

生きるって大変です。
みなさんもここまで大変なことがたくさんあったと思うけど、よく生きてきたと思います。
本当に頑張ってきたはずです。それを誰かが労わってくれたらいいなと思います。

なんだか変な終わり方になりましたが、そんな感じで。
読んでくださってありがとうございました。
それでは、よい夜になりますように。