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③国民の安全は食べる物があること~佐久・望月―式部からの発信~鳴き続ける蟋蟀(こおろぎ)でいたい(農民作家・飯島勝彦)

 

水田の追肥をする60代の私。農民文学賞を受賞し『日本農業新聞』に掲載された。

地震や、異常気象や、戦争で、地球が世界規模で壊れていくのを見ていると、余命少ない身でも先が不安になってくる。
 むらに住んでいて気になるのは、住民の高齢化と、耕地の荒廃と、空屋の増加である。見渡すかぎり人気(ひとけ)のない時間と空間が続くと、ここはどこかの自然遺産に登録された、「令和のむら」という名の展示会場ではないか、などと思えてくる。――そして、ふときた疑念が「この国の食料はどうなるのだろう?」という不安。

 政府が「食料・農業・農村基本法」(「農業基本法」が25年前にこういう長たらしい名前に変わっていたのは知らなかった。それにしても「農村」の基本法とはそも何ぞや?)の改定案を今国会に提出する。国の有事体制づくりとして、「食料供給困難事態対策」を決めるというもの。
 世界的な食料不足が叫ばれて久しいなか、ようやく政府も腰を上げたかと思いきや、かんじんの「食料自給率」向上の文言はなく、逆に「食料の輸出促進」のための「食品産業の発展」「輸出産地の育成」「輸出相手国の需要開拓」などをあげ、農業従事者は「多様な農業者」「農業法人」等を主体に、農地の確保と経営基盤の強化を図るという。
 日本は先進国の中では極端に低い38%の自給率(仏117%、米115%、独84%、伊58%、英54%)で、しかも2030年までに45%という低目標なのだ。自前の食料をいかに増やすかが「対策」なのになぜ? と思うのが普通の疑問だが、改定案にその答えがある。
 「国民の食料が不足する『有事』には、政府が農家に作付転換や増産を命令できる」 具体的には「特定食料(米・小麦・大豆)不足時に、政府が農家に増産計画の届け出を指示し、従わない場合は20万円の罰金を課す」「在庫隠匿のため、農家、出荷・販売業者、輸入業者に立入検査を行う。拒めば20万円以下の過料」と。一読して、むかしあった二つのことを思い出した。
 一つは、終戦後間もない頃、わら仕事場にしている物置へ、父が村役場の人と一緒に入ってきた。(小学生の私がなぜかそこに居た)「○○さん(父の名)は真面目な方だから、余分にとっとくなんてことはないでしょうがな」と吏員は言い、物陰にあったブリキ缶(私の丈ぐらいの)をタクトのような棒で叩いた。中が空なら波長をもった澄んだ音が響くはずだった。が、音はコツコツと、不愛想に鳴った。米が詰まっていたのだ――父と吏員はバツが悪そうに、ブリキ缶を挟んで立ちつくした。私は先に納屋を出たが、あとのてんまつは聞いていない。
 もう一つは、食管法を廃止し市場任せにされた米価が年毎に引き下げられるのへ、「戦中戦後の困ってる時にゃさんざ作らせといて、アマるから作るな、値も下げるぞなんて、あんまりなことすりゃカタキをとってやる。米なんかへえ出すもんか」怒った父が言った。水田の基盤整備事業が終り、借金を返す時になったら減反が始まった。委員長として集落をまとめた、父の切ない怒りだ。
 が、私は冷たい反応を父に返した。「それが、そうはいかないんだよ。そん時ゃ『強制供出』でダメなんだよ」 父は口惜しそうに私を睨み、黙った。ブリキ缶を叩かれた屈辱を、思い出したに違いなかった。

 そう――政府には「供出」という権力があるのだ。辞書を引くと「供出(きょうしゅつ)=戦時体制下などで、法律により食糧、物資などを政府が民間に一定価格で、半強制的に売り渡させること(供出米・供出制度)」とある。
 農協へ出す農産物はふつう「出荷する」というが、米だけは「供出する」という人が今でもいるほど馴染んだことばだ。その「供出」をやらせるべく、政府が法案を提出するというのである。
 主食である米を「生産費所得保障方式」から放り出し、自由化の野ざらしにしておいて、事情が変わったから強制増産とは人をバカにしている。わが青春時代には73%だった自給率を、なぜこれほどまでに貶(おとし)めてしまったのか。国民の主食をなぜ国の管理から外してしまったのか。カタキをとってやりたい怒りは父と同じだ。
 が、いま窓のむこうに見える光景は、怒り以上の不安と焦燥である。政府がいくら法律に書いても、「増産できる農地」や「命令できる農家」があるのだろうか? 「ない」のである。
 まず、「命令できそうな」60代以下の「基幹的農業従事者」は2022年で116万人。2010年には205万人だったから、この12年間にほぼ半減している。「増産できる農地」はどうだろう。佐久平を見ても、中山道や254号のバイパスと拡幅、中部横断道と周辺の宅地化で、県歌に「四つの平は肥沃の地」と謳われる米作地帯も目に見えて狭くなった。
 当地の山むこうの地区では、千曲川傍流の鹿曲(かくま)川から水田用水を引いていたが、耕作者の減少と老齢化で用水路の普請(ふしん)ができなくなり、集落全部が米作りをやめた。里山からのしぼり水で作っていた山田は、出水の枯渇でほぼ廃田となり、沢ごとに尾根近くまで耕された畑は、桑や竹や、雑木がはびこる荒廃地である。手入れがなく集落との境がなくなった里山は、獣(けもの)たちの恰好な隠遁地となり、蓼科(たてしな)山北麓からの鹿、猿、猪等の出没が目立つようになった。今後は労力と耕地に加え、作物の獣害が深刻な課題になる。
 こうした現状をみれば、政府が法律を変えてみてもことは簡単には進まない。日本が輸入せずに食べられるのは辛うじてコメであるが、それさえ2040年には156万トンの不足になると推計されている。わずか16年後のことである。
 肉・牛乳等の畜産物はほとんど輸入飼料だから、自給対策をしなければ飼えなくなる。野菜種子も急激に外国産がふえ、タネモミさえも国外企業との品種改良が進む。果樹は、ミツバチ・花バチの減少による受粉不足がおきており、対策として交配のすんだ花粉を輸入せざるを得ないと聞く。

 「米を作らなければお金をもらえる。ニッポンは不思議な国だ」 むかし、旅行先のフィリピンで現地のガイドに言われたことば。いま、その「不思議な国」に深刻なツケがまわっている。分からないのは、この時に至っても自給ではなく輸出を言い、足りなくなったら農家に増産を強制すれば良しとする政治である。
 法律を提案する政府・与党が、みんなでやれば検察も黙るとばかりに私腹を肥やし、バレれば急に記憶喪失になるような「情け無い喜劇」を見続けていると、「いくら金や財産があっても、食べる物が無ければ人は死ぬんだよ」と、彼らに言ってもムダな気がする。
 とりあえず、荒れてはいても、委託はしていても、土地は手離すなと子や孫に伝えておきたい。

(*「食料・農業・農村基本法」改正案は2024年2月27日閣議決定、通常国会に提出審議される)
                         
                         (2024年2月25日)



 


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