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①佐久・望月―式部からの発信~鳴き続ける蟋蟀(こおろぎ)でいたい①(農民作家・飯島勝彦)

 羽田ゆみ子さんから、梨の木舎のホームページへ何か書いてみないか、と声をかけられた。 梨の木舎からは以前『夢三夜』という小説集を出版していただき、一年前には『銀河鉄道の夢』を出してもらった。それを終(つい)の本としてホッとした思いと同時に、なにか忘れ物をしているような気懸かりと、老齢を逃げ道にしたような責めを感じていた。
 まだリタイアの時ではないと、場所まで用意いただいたことを有り難く思う。
 ゆみ子さんと私は郷里が同じで、住居は500mほどの近距離にある。集落名を「式部」といい、平安文化の匂いもあるが関係なく、開田した産土神社の主が「式部太夫」を名のったという説がある。
 私が集落に馴染んだ時には、ゆみ子さんの一家は先隣の上田市へ移られており、「梨の木の家(うち)」と呼ばれる実家は祖母(おばあ)さんが留守居をしていた。むかし「屋敷に大きい梨の木があったそうだ」と、子供の頃から聞いていた。父もそう言ったが「見た」のではなかった。多分その前からの言い伝えで、食材用に柿の木や桃の木は各戸にあったが、古木の梨の木は珍しく目立ったのだろう。
 年を経て対面したゆみ子さんは、屋号を社名にした出版社「梨の木舎」の社主になっていた。お会いした望月の「多津衛民芸館」で出版の依頼をしたところ、「小説を出版したことは無いんですよ」と言われたが、𠮷川口添えもあり、〝家が近い〟地の利もあって引き受けていただいた。

 学術的な、或いはドキュメント的な教養本を、錚々たるメンバーが執筆されている中へ、場違いの異物を投げこんでしまったような後ろめたさがあったが、勢いにまかせて「終(つい)の一冊も」と厚かましくも口走ってしまった。
 その後、ゆみ子さんは郷里の式部に居を移し、在郷と在京を往来する暮らしになった。出版業と共に、地元の学習塾、民芸館、NPO法人などでも活躍しておられる。途中、入院や手術もされたが、それは私も同様で、五年前に妻を亡くしたあと、宿痾の肺気腫が進行し急性肺炎で入院。2年前から濃縮酸素吸入器付人間になってしまった。
 お互い闘病の身になったが、「終の一冊はまだ?」と、先に声をかけてくれたのはゆみ子さんだった。思えば年齢だけでなく、体力も脳力にも先が無い。終の一冊は亡妻とも約してあり、何よりも己(おのれ)の人生の締めをしなければならないのだった。それを、共に闘病中の、私よりだいぶ若い〝隣人〟のほうから言われてしまった。目の覚める思いがした。
 これまで出した本には全て、井出孫六さんが推せん文を書いてくれた。それが、3年前に泉下の人となられた。孫六さん著「抵抗の新聞人 桐生悠々」にある「蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜」という、悠々の句に共感していた私は、孫六さんへの感謝と悠々への敬意をこめて終(つい)の書の括(くく)りにしようと思っていた。
 この句は、長野県の代表的な地方紙『信濃毎日新聞』の主筆をしていた桐生悠々が、社説に「関東防空大演習を嗤(わら)う」を書き、軍部と郷軍同志会の脅迫により退社させられるも、名古屋で個人誌「他山の石」に倚(より)、事実(真実)を書き続ける覚悟を詠んだものだ。
 「銀河鉄道の夢」を脱稿した昨年の秋、佐久市内にある母校、野沢北高校の創立120周年記念祝賀会が開かれ、出席できなかった私は知己から資料をいただいた。メインの記念フォーラムには同窓の7人がパネラーとして登場していた。うち5人がジャーナリズム関係で、紹介すると、いではく(作詞家)、吉岡忍(前日本ペンクラブ会長)、原真人(朝日新聞東京本社編集委員)、青木理(フリージャーナリスト・サンデーモーニング)、小木田順子(幻冬舎新書編集長)の各氏。他の2人は佐々木剛史(TLO京都顧問)、小泉修一(脳科学社・山梨大学医学部教授)各氏である。
 各パネラーの発言のなかで、私が特に注目したのが原真人(まこと)さんと青木理(おさむ)さんだった。原さんは学校の図書館で、青木さんは父の書斎で、共に高校時に井出孫六著「抵抗の新聞人 桐生悠々」を読み、「感銘を受けてジャーナリストを志した」とあった。
 孫六さんは旧制野沢中学の大先輩で、旧南佐久郡臼田町の出身、私は旧北佐久郡望月町だが、合併して今は両町とも佐久市になっている。加えて、孫六さんは私が「地上文学賞」(「家の光協会」)を受賞した時の選考委員で、以来文学の師として謦咳(けいがい)に触れることになった。
 その井出孫六さんが、「書かねばならぬことを『義務の履行』として書いた本物の言論人」と世に問うた桐生悠々の魂が、時を超えて継がれていく因縁に奇しくも対面したという、鮮烈な感動に襲われた。『銀河鉄道…』の終(しま)いを「蟋蟀…」の句で締めたのも同じ因縁だったのでは、という気がした。
 原さんは市内岩村田の出身で、「アベノミクス」の命名者である。元首相への揶揄(やゆ)が本人に通じず、誉め言葉だと勘違いされてしまった。と嗤(わら)う。青木さんは隣の小諸市の出身。「メディアや出版人たちが自ら膝を折り、政権や与党に媚びる提灯持ちが列をなし」と嗤(わら)いつつも、「おまえはちゃんと鳴き続けているか」を常に自問し、岩波現代文庫が再刊した孫六著「抵抗の…」の解説文を書いている。
 資料をいただいた市内の喫茶店「白樺」のオーナーにお願いし、原さん、青木さんにつなぎをしてもらい、交遊の糸口をつけてもらった。
 近年この国の政治は、一部のコアを除き頽廃と無責任の極みにある。国を守るならば、軍備ではなく、防災と食糧自給を急がなければならない。「木造家屋が密集する東京に爆弾は落とさせない防空戦略が肝要で、投下を前提とした訓練は敗戦と同じ」と論破しつつも生計(たつき)を絶たれた、泉下の悠々の切ない嗤(わら)いが目に見えるようだ。
 兄ほどの孫六さん、子ほどの原さんと青木さんと同窓の蟋蟀の一匹として鳴き続ける。それがわが余後の使命であると思えてきた。
 明治初期から国の人口は4倍になったが、わが集落は半分に減った。戸数はあまり変わらないが、空屋率は3割である。
 老いた自然薯の目から見える叙景や思いを、以後折にふれて綴ってみたい。

 (2023.12.15)


飯島勝彦(いいじま・かつひこ)
1939年長野県佐久市(旧望月町布施)生まれ。県立野沢北高校卒業。
布施村農協、望月町農協、佐久しらかば農協に35年間勤務。
この間「館報もちづき」編集長、望月町連合青年団長、望月町議会議員を歴任。 退職後、農業を営む傍ら小説を執筆。
1998年「鬼ヶ島の姥たち」で家の光協会 第45回地上文学賞。
2004年「銀杏の墓」で第47回日本農民文学賞。
2006年小説集「埋火」で第23回山室静・佐久文化賞。

長野県佐久市在住。

日本ペンクラブ会員。
日本農民文学会長野支部長。
NPO法人多津衛民芸館理事。

著書
『鬼ヶ島の姥たち』 (郷土出版社)
『埋火』 (郷土出版社)
『恍惚の里』 (郷土出版社)
『冬の風鈴』 (郷土出版社)
『夢三夜』 (梨の木舎)
『銀河鉄道の夢』(梨の木舎)


『夢三夜』梨の木舎、2013年 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784816613128
『銀河鉄道の夢』梨の木舎、2022年 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784816622076



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