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平和とコスト

ここ最近真面目に更新しておりますが、何を隠そう僕はGeoCitiesからmixiに至るまでまともに続いた試しが無いんですよね。
割りと続いたといえば「友達が入院している間に友達が作った体のホームページができてたら面白いんじゃね?」って別の友達が作ったのに便乗してさらに別に作ったことぐらい?? まぁ、それも結局、他人名義なのですが。

さて、社会や政治や時事問題にはあんまり触れないで置こうと思ったのですが(カレー蕎麦や寿司の話とか努力の後が見られますね!)、僕のTwitterを見ていてくれる方なら分かると思うのですが、やはりネタに枯渇するとつい政治を取り上げてしまうことが多いように思います。
もう、今回は諦めて、最初から政治について書こう…。

前回の記事は「平和にもコストと戦力が必要なのだと理解頂きたい」が1番書きたいことでした。
では、なぜ日本が「九条を守っていれば(特にコストをかけなくても)平和は保たれる」と盲信するに至ったか、戦後日本史とともに考察したいと思います。

敗戦~GHQ進駐時期

1945年に日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏と相成りました。
ご存知の通り、敗戦後の日本はGHQが統治します。
和訳では「連合国軍最高司令官総司令部」と訳されますが、実態としてアメリカ軍が進駐軍の大部分です。更には戦争に国力を全ブッパして敗戦したため国内の食糧不足が酷く、アメリカからの食料支援がないと国民が飢える状態だったため、政治家も強く反駁できない状態でした。

敗戦国の國體(あえて旧字にしました)を変更するには最高法規を変える必要があります。大日本帝国憲法から日本国憲法への大改正ですね。
ここで世界に目を向けますと、アメリカとソ連は日本が降伏する前から「WW2後のイニシアティブ」について世界的な主導権争いを睨んで動いていました。西側と東側、2つの陣営の争いになると見越した上で。
そして、日本ではアメリカが進駐したので、アメリカの意向に沿った憲法が起草されます。そこに「戦争放棄」がありました。
「戦争放棄は誰が着想したのか」には諸説ありますが、少なくてもマッカーサーの強烈な後押しがあったのは間違いないようです。

この時に定められた戦争放棄は各方面に都合の良い物でした。
アメリカは日本を社会主義陣営への牽制にできますし、
中国や韓国は「日本が攻めて来ないことが平和」だったので大賛成ですし、
日本は軍備をアメリカに肩代わりして貰い、結果的に経済に邁進することができました。「軍隊という金食い虫に大きな金額を注ぎ込まなくて済んだ」ことは、戦後日本経済躍進の原因のひとつです。

ところが日本の戦争放棄は「アメリカに軍備を肩代わりして貰うので日本は戦争に不参加」という自己矛盾に目を瞑った平和でした。
パックス・アメリカーナ(アメリカの覇権による平和)を必要としていたソ連崩壊まではそれでも良かったのですが、ソ連が崩壊し、東西の対立軸が無くなり、「NATOの一員だから」だけの理由でアメリカも軍を肩代わりする必要性も薄くなりました。
そして、1991年の湾岸戦争時の対応に矛盾が噴出し、世界から猛批判を浴びることになります。

この記事続きます。次は中項目で「湾岸戦争時の日本」から。


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