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vol.28 ꄳꄳꄳ 梨茄子より 梅雨なんて梅雨なんて ꄳꄳꄳ

梨茄子が不定期で発行しているメルマガのアーカイブです。
お送りしたものをほぼそのまま載せています。

2022年5月24日15時発行
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 こんにちは。梨茄子のたちくらです。梅雨の足音にぞわぞわしています。紫陽花だって傘だって、梅雨アイテムは好きなのに、薄暗くて体の中の水がどよんとにごる雨の季節はやっぱりどうも苦手です。

◇◆悲劇の疑似体験◆◇

今年のGW、私はひたすら「ゴールデンカムイ」読んですごしていました。大人の遊び心にときどき引いたけどすんごい面白かったです。おさげさまで小樽が北海道のどこにあるのかやっと覚えました(北海道の都市の位置何度きいても忘れる病)。

 日々マンガを読む習慣はないのですが、ときおり読み耽る期が到来します。そして思い返せばそれはほぼ気分落ち込み期と重なるのでした。鬼滅の刃がなければ越せない冬もありました。レイアースと愛犬で生き延びた幼少期もあったのでしょう。おそらくマンガは体力消費が最少の文化で、よれよれな心身の避難先に最適なのです。さてここでふと疑問が。そういう時に読んでたの、高確率で壮大な冒険譚で、大量に頻繁に人が死ぬのです。おじさまが美味しいごはん食べるとか、音大生が恋をするとか、平和で美しいマンガはごまんとあるというのに、瀕死の精神で人がザクザク命を落とす様を見たがっている.....なんで?

 とちょっとした集まりで口にしてみたら、カタルシスとかミメーシスとかフロイトとからへんの用語で偉大な先人たちが解決済だとそこにいた人が教えてくれました!(人類の英知!)

 すんごく簡単にいえば ”ひどい目にあってるのは自分ではないと認識して楽になる” ということだそうです。読者や観客は、物語上の人物に同一化して悲劇を見ている。でも実際には安全なところにいる。ひどい目にあってるこのキャラは自分じゃない!自分ひどい目にあってない!っていうことを確認して苦痛を軽減している。という。

 なーるーほーどー。

確かに一読者のたちくらは、鬼に襲われることも、異世界で魔獣と戦うことも、日露戦争帰りの兵隊さんに追われることも確実に一生ない世に暮らしておりました。死なない程度の苦悩にまみれた現世に身を置いて、リモートでアシリパさんと金塊探しながら、今現在ヒグマに襲われてない自分の幸せを確かめていたんだな私は……性格悪っ‼ とざっくりした嫌悪感を覚えたのですが、とあるサイトには「マゾヒスティックな快楽」と解説があり、性格悪いも細分化可能と知ったのでした(叡智……)

ここでさらに疑問が。 俳優は?

  読む・見るに飽き足らず。わざわざ自分の体に悲劇を擬似体験させ、さらにその様を客に見せたがるってどういうことだ?

 あくまでしがない舞台俳優たちくらの感覚なんですが。他人の言葉を言うとか、他人のポーズを自分の体でなぞるっていうのは、読む・見るよりずっと強い力で、その人に近づいている思うのです。なにやらスピリチュアル発言風ですがそうでもなくて!作り笑いでも気分が明るくなるとかの延長です(心理学でいう「自己知覚理論」、人類の叡智!)。舞台俳優は稽古の時から役の発言と行動をえんえん反復してるわけですから、身体からその役に近づいてると考えられなくもないのでは、と思うのです。

 これは演技の流派も関係ありません、劇団四季でも青年団でも円盤に乗る派でも、毎ステージ同じこと言って同じ動きをしようとしている点では同じです。

 どういう役か、とかも関係ありません。オフィーリアだって名もなきバンザイする人だって、稽古と本番はやるのです。役作りなんて一切考えてなくても、30日間毎日10回バンザイしてたら、楽日には稽古初日より陽気な人になってる気しません?

 しかも。お客さんは上演中は俳優をその役として見ているはずです。オフィーリアって呼ばれてたらオフィーリアって思うでしょ?舞台でバンザイしてる人を通りすがりのバンザイ好きな人とは思わないでしょ?つまり俳優=役って思っている人がわんさかいるわけです。

 すーごい高度な同一化が行われている、と言っていい状況ではないかこれは?

 でも公演が終われば。尼寺へ行けとか言われないし。バンザイしないし。したって誰も見てないし。同一化状態はひどくあっさり解消します。国民年金の支払額にあわてふためき、無印良品週間にささやかな幸せを覚える小市民に戻ります。

 この状況、さっきのカタルシスとかミメーシスとかの解説に則ると。俳優は、架空の人物にすーごい高度に同一化ののち派手にひっぺがし、こんな目にあってるのは自分じゃない!! て確認している、っていうことになるのでは?一読者より振れ幅大きく、同一化⇄自分じゃない! を反復しているのでは?

 しかも、これは私だけかもなんですが、役の残滓が体に残るのです。バンザイのコツとか、尼寺へ行けって言われた疑似心的外傷みたいのが公演後も残っていて、ふとしたきっかけで再生されてはこういう役やったことあったなーって思っています。つまり同一化⇄自分じゃない!! をちょいちょい反芻しているのです。

 となると。俳優をするということは。読者・観客より深く多く、同一化⇄自分じゃない!! を体験しつづけているということで、つまり、読者や観客よりよっぽどマゾヒスティックな快楽を得ているということではないか………はっ!

 俳優はMとかよく言いますが(言うんですよ)、いやいやいや怖い演出家も無茶振りも嫌ですどんな言いがかりですかと思っていたのですが、もしや個人の志向に関わらず、俳優という仕事自体がマゾヒスティックなのでは?

 えーーー。長いこと納得いたしかねていた言説にみずから説得力をもたせてしまったものの、やっぱり、えー--。自分の属性にマゾヒスティックって加えたくないなー。アクが強すぎるんだよなー。言っといてなんですが、しばらくこの説は寝かせておこうと思います。

◇◆ちかぢかの梨茄子◆◇


《下駄・カゲヤマ・つじこ 出演したり書いたり》
円盤に乗る派『仮想的な失調』
稽古を見学に行ったらとても愉快な巨大小道具があって、とても愉快な舞台装置の実験してて、橋本さんがとてもひどい言いがかりをつけられてました。原作通りなんですが本当にとんでもない言いがかりだった、古典すごいな。

《たちくら下駄ほか》
円盤に乗る場 活動報告会'22
下駄プロデュース!円盤に乗る場のこんな遊びをしているよ発表会です。たちくらは現地にはいませんがおもちゃを置いておきます。あと、試しに書いたら意外と書けちゃった戯曲を中村大地さんが発表しといてくれるそうです。わーいわーい。

≪たちくら出演≫
青年団『ソウル市民』
江原河畔劇場で七夕公演します。稽古そっちのけでキノシタに入り浸らないように気をつけます。

◇◆下駄くんからなにごとか◆◇

 年々、演技が下手という自覚が強くなっています。

 10代で初めて演技をしてみることになった時、お手本としてまず想像したのは、見慣れているテレビや映画の演技で、とはいえ今ここは台本で設定されているシチュエーションとは異なる環境であることも自明だったので、「ここはこういうことになってるんで!」と強く主張する、つまりいかにも演劇らしい大仰さで演技をしたように思います。

 そこで、なぜだか初めから演技が上手くできる人とできない人がいました。印象としては半々くらい。そこで僕はもちろんできない側でした。

 それから10年ほど経った今思うのは、僕は演技をする時の自意識がとても強いということです。自意識は「恥ずかしいなぁ」「言いづらいなぁ」とか、台本通りに言葉を口に出している僕に囁いて、振る舞いをギクシャクさせるわけです。

 恐らく初めから演技が上手くできていた人は、こう言った自意識が薄かったんじゃないかと思っています。あるいは薄いというより、共感能力が高いと言っても良いかもしれません。

 でも、僕はどうしても台本に書かれた役が自分のことだとは思えなかったし、たとえ思えたとしても、自分の言葉でない文章とそれを口に出さんとしている自分が同じだなんてとても思えませんでした。

 自意識を役に明け渡せる人は、僕からみると天才だなと思います。

 そんなこんなで、演技を始めて早々「なんでや!」と思ったわけですが(誰もその理由を教えてくれなかったし)、でもそのできなさに対して、自分が思ったことは今も変わっていません。「演技ができない奴が努力して良い演技ができるようになったらなんか全体的に良いのでは?」。そんなところがあるわけです。ジャンプ好きだし。

 てなわけで、行き先も見えぬまま努力することだけ決めた僕が、役なしでも演技を試みることができる演劇、つまりある種の現代演劇に導かれたのは当然ともいえます。

 今では、台本のことを格好つけてテキストとか呼んじゃうようになりました。立派な現代演劇人ですね。

 でも、そろそろ役みたいなものと向き合う流れが来ているなと感じています。次の円盤に乗る派の公演『仮想的な失調』もそうだし、あるいは個人的な興味としても。

 最近、スタニスラフスキーの『俳優の仕事』を読み始めました。僕みたいな奴が悩んでいて、「僕の話してる?」と思いながら読んでいます。読み終わる頃に、役ができるようになると良いですね。

P.S. 昨日ランジャタイの国崎のモノマネがうまいことが判明したのですが、その後の演技の体感はいつもと違っていて、モノマネには自意識を薄くする効果があるなと思いました。使えそう。 

◇◆たちくらのお返事◆◇

 先月に続き、長いかなぁ...て相談しながら下駄くんに原稿渡したら、長さ問題完スルーでより長いコメントが返ってきました。すみません。来月の目標はコンパクトに決めました。たちくらと下駄くんは俳優の種族としてきっと端端で、演技の話はシマエナガとミドリカメの会話かしらというくらい嚙み合わないのですが、世界にはまだ謎が残っている!みたいな気分になってそれはそれで楽しいです。

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