曖昧な君の音楽と共鳴した僕の感性

for tracy hyde(以下、FTH)が解散した。2022年から2023年の一年の間だけだが、リアルタイムで追うことができた。FTHに出会うまで聴いてきた羊文学やスーパーカーなどに代表されるバンドは彼らが演奏している「好き」に無理矢理自分の「好き」を合わせている感じがして、心の底から好きという感覚ではなかった。好きなジャンルはオルタナ周辺の「何か」という感覚はあったが、それが何なのかなかなか見つけられなかった。

そうしたモヤモヤを抱えていた時期に、オルタナ周辺の「何か」から少しはみ出した所にシューゲイズとかドリームポップといった、曖昧なジャンルがあることを知った。正直、未だにこの辺の定義がよく分からないが、これらのジャンルの音楽が妙に肌に合う自分の存在に気づいた。そして、そのきっかけこそFTHの音楽だったのだ。

タワレコのPOPに踊る、「羊文学が好きな人に」とか「シューゲイズ 」とか「ドリームポップ」といった文字列に興味を持った私は、ジャケットの印象だけでFTHの4thアルバムを手に取った(いま思えば、たった三つのキーワードだけで語れるようなバンドではないが)。

サブスク全盛の時代、一曲単位で試し聴きできる時代、私はFTHのアルバムを一枚通して聴いた。彼らのシューゲイズとかドリームポップとか色んなものを合わせ持った音楽性はもちろんのこと、始めから終わりまで意図的な楽曲の構成に感銘を受けた。彼らのアルバムを聴いて初めて、アルバムで音楽を聴くことに意義を見出だした。

4thアルバムの次に聴いたのが3rdアルバムで、初めて聴いた当時から今に至るまで一番好きなアルバムだ。3rdアルバムは全体的にかなり軽やかな仕上がりで春を聴いているような感覚がする。曲と曲の繋ぎが滑らかでシャッフル再生するのが勿体ないとすら思える。4thアルバムでFTHを知り、3rdアルバムで世界観に一気に引き込まれた。

それだけにその後、シティポップの雰囲気を帯びた2ndアルバムやみずみずしさに満ちた1stアルバムをそれぞれを聴いた時の聴き心地の違いやジャンルレスぶりには驚かされた。大枠はシューゲイズとかドリームポップのような音楽だが、アルバムごとに全く異なる印象を感じさせる。それもかなりはっきりと異なる印象だ。私はそうしたバンドに出会うのは初めてだった。聴く音楽全てが新鮮に聴こえたが、どこか懐かしさや親しみを感じる所がまた魅力であった。

既存のアルバム4枚を一通り聴いて、彼らのライブが見てみたいと思うようになった。そして昨年、2022年の6月26日の表参道のライブハウスで彼らのパフォーマンスを初めて見た。好きな曲ばかり、生だからこその轟音。FTHに完全版に魅了された。

その後、FTHのライブを見る機会は半年後までタイミングが合わなかった。12月、西永福のライブハウスで行われたライブは5thアルバムのリリース直後というタイミングだった。1st~4thアルバムを聴いて彼らの音楽への期待は凄まじいものだったが、5thアルバムは私の期待を遥かに越えるもので「最高傑作」と言っても過言ではないような完成度を感じた。西永福のライブは当然のように素晴らしく、2月から行われる新譜のリリースツアーに対する期待が一層膨らんだ。

それだけに2023年1月、突如として発表された解散は驚くべきものだった。更なる進化を期待させる新譜がまさかの集大成だったなんて。これで終わりなんて。ようやく理想の音楽を演奏するバンドに出会い、彼らの音楽と共に社会人生活を送るとばかり思っていた大学四年生の私は、思わぬ別れに名残惜しさを感じずにはいられなかった。

2月のライブはもちろんのこと、先日、3月25日に行われたラストライブも行った。月一回、同じバンドを生で見るなんて余程好きでない限りやらないと思ったが、この二回で一生見られなくなることを考えたら足を運ぶしかなかった。

ラストライブのメンバーはとてもみながみな、清々しく純粋にこの場を楽しんでいるように見受けれた。解散というと、どうしても湿っぽい雰囲気になりがちだが、彼らの音楽性も相まって実に爽やかで後退りなく先行きの明るいような、そんなラストライブだった。長雨で湿気きり、私欲と汚ならしいエゴにまみれた渋谷の喧騒を一瞬でも忘れさせてくれるような、そんなラストライブだった。

私はきっとこの日のことを忘れない。このバンドのことも忘れない。狂信的な信者という訳ではないが、自分の人生には間違いなく影響を及ぼし、自分の音楽の世界を広げてくれた。FTHの音楽と出会えて良かったと、心からそう言えるのだ。

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