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背中は見られていると思え。

お疲れ様です。総務部総務課マモたろうです。

背中で語る、背中を見せる、背中で教える。
「背中」は象徴となっています。

組織内で人は思いのほか他人に興味がないのかもしれません。
しかし背中は意外なほど、見られています。
とくに、減点方式で見ています。

背中とは自分の死角となっている言動や見た目のことを指しています。
言葉、言い方、声量、歩き方、座り方、首の傾き、襟元、服のシワ……
自分では、気づかない、見えない部分です。

話が少しそれますが、小説【竜馬がゆく】ではこんなエピソードがあります。

竜馬が15歳のころ、当時若侍のあいだではやっていた座禅を軽蔑し、すわるより歩けばよいではないか。とひそかに考えた。禅寺に行って、半刻、一刻の座禅をするよりも、むしろそのつもりになって歩けばよい。いつ、頭上から岩石がふってきても、平然と死ねる工夫をしながら、ひたすらにそのつもりで歩く。

【竜馬がゆく】司馬 遼太郎 (著)

【竜馬がゆく】は司馬遼太郎先生の創作です。実際に坂本龍馬がこのように歩いていたかはわかりません。結局、竜馬は馬鹿馬鹿しくなってやめたそうです。

組織内では誉める点を探すよりも、粗探しが行われることが多いです。
とくに言動の不一致に敏感です。言葉、言い方、歩き方、座り方、襟元、服のシワ……、自分では見えない部分は意外にも見られています。

「映像での自分は思っていたのと違う」という経験はありますでしょうか。
私は首の傾きがイメージと違っていました。動いていると下向きなことが多く、立っていると少し上向きでした。見ていて痛々しくなります。

人に見られる仕事をする人が垢抜けていくのは、人に見られていると意識すること以上に、客観的に自分を見る機会が多いからだと思います。

竜馬の岩石のように、組織内では背中への視線を少し意識してみてはいかがでしょうか。常に意識するのは疲れますし、精神衛生上バランスを崩しやすくなるのでおすすめしませんが。

背中は見られていると思え。

少し自分の「背中」をイメージしてはいかがでしょうか。

お読みいただきありがとうございます。

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