やっと教員にならない理由を見つけた
永井玲衣さんの哲学対話に参加することになって。
『哲学対話』何度か聞いたことがあるし、道徳の授業で実践している場面を見学したこともあったが、なんとなく、お堅いイメージや小難しいことをフワフワ話すだけのイメージの先入観があって、深く踏み込まずにきた。
それが縁あって半強制的に哲学対話に参加することになった。
私が参加したグループは6人組で、
はじめにまず、各々の問いを共有し、「仕事ってなんだろう?」という問いからスタートすることになった。それぞれの『仕事』という言葉のイメージや聞いたこと、経験、を話した。
それによって、やっぱり人によって考え方や意見が違うことを実感したし、対話の後も聞いた話を整理することで、自分が教員にならなかった理由を見つめ直す機会になった。
今回の対話を通して、私が教員にならなかったのは「ライフワーク(生きがい)として教育に関わる覚悟がなかったからだ。」と一つのシンプルな答えを見つけることができた。
これまでも、何度もキャリアプランについて考え、そのたびに教員という職業を考えたが、教員にならない理由は「あまりにも忙しすぎて、病まずにいられる自信がない」とか「そこまで子どもが好きじゃなかったかもしれない」とか「授業準備に保護者対応、不登校対応に合理的支援、理想はあるがこなしきれる気がしない」とか「子どもの人生に影響を与える人間になり、学校にいる間は命を預かるという責任に耐えられない」とか、煮え切らないような、聞かれるたびに変わる理由だった。
それが、今回の哲学対話によって偶然「ライフワークとして教育に関わる覚悟がなかった。」という落としどころを見つけることができた。
今の学校教育では、ライフワークとしての教師が求められているように感じる。あまりにも求められている役割が多いし、その役割は増える気配はあれど、減る気配はない。食べるための仕事ライスワークとして就くとしたら、色々と割り切って諦めて仕事していかなければならないが、とても良い実例をいくつも見てしまった私には、そこまで割り切れるドライさがないし、悔しくて辛いだろうと思う。
ライスワークとして教師になるほどには割り切れないし、ライフワークとしてやっていくだけの覚悟も持てない。
だから、私はなんとなく教員という仕事に後ろ髪引かれつつも、違う道を選んだのだと腑に落ちた。
2020年秋 大学3年生の教育実習後に、教員にはなれないと考え始めてから、約4年。ようやく、このモヤモヤとした気持ちに一つの自分なりの整理がついてホッとした。
今回同じグループで対話してくれた5人の方にはとても感謝している。
ありがとうございました。
これからは、思いっきり全力で科学技術広報、サイエンスコミュニケーション、環境教育の世界を突き進んで、自分だからできたといえることを成し遂げたい。
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