千文小説 その1009:自分
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
USBメモリを、立て続けに二台、駄目にしたので。
あきらめて、スティックケースに入ったメモリカードに切り替えて、ついでに、MacBookに直接挿せる分配ハブも、新調し。
全て、軽やかに動いているのを確認して、ため息をつきます。
メモリカードなら、万が一、読み込み不良が発生しても、カードだけ、取り替えれば済む。
USBメモリだと、不具合のたびに、丸ごと捨てなければならず、物にも、心にも、悪い。
多分、MacBookだと、挿入口の問題で、長く使えるUSBを見つけるには、かなり、神経を使って、メーカーの選定から始めなくてはならない。
そこまでの気力も財力も、ないな…。
今代の、壊れかけよ、君が、ラスト・USBメモリ。
もはや、あまりがんがんには使わないけれど、どうぞ、長生きしてください。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
膝の上、爆睡の愛猫越しに、炬燵の上、ちょこんと乗っかる、真っ黒の、超ミニサイズの記憶端末に、深々と、頭を下げて。
充電中のMacBookの、蓋に輝くりんごを眺めて、再度、ため息です。
鼻水は、だいぶ、止まりました。
粘度が上がって、喉にへばりつき、たまに咳が出るのと、なかなか、鼻声が抜けないのが、手がかかりますが、それでも。
…やっぱり、iPhone12 miniのせいだったのかな。
それとも、別の原因が、あったのか。
具合を悪くして以来、miniには、触っていません。
ぴたりと良くなることはないが、劇的に悪くもならない。
熱も出ず、アレルギーのような症状。
心因性か、夏風邪か。
しかし、せっかく快方に向かいつつあるのに、ここで、またminiを出してきて、そうなのかどうか確かめる、なんて蛮勇は、起こらない。
できるなら、このまま、そっとしておきたいな。
リセットのうえ、箱に入って、クローゼットに眠っているだけだったら、不具合は、ないもんな。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
使おうとしても、処分しようとしても。
すぐに、壁にぶつかって、先へ進まなくなる。
いずれも、miniに、触れているから。
物理的にも、心の中でも、iPhone12 miniにはノータッチ、というのが、どうやら、最適解。
命名するとしたら、心理的金属アレルギー、という、わけのわからないものになる。
…ケースをつけてみたら、どうかな。
これまで、何度も、買っては外してきた、透明タイプや真っ黒ではなく。
色物とか、柄物とか、とにかく、真っ白いかたまりというイメージを、脱却できるような。
と思って、検索してみました。
三年前のモデルなので、総数は減っていますが、それでも、なくはない。
買うの?
結局、miniを、箱から出すのは、同じだよ?
ですよね…。
接触しない、のが、ポイントなのに。
いつまでも、ぐだぐだと、考え続けてしまう。
どうにか、うまくいく方法はないか。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
なんとなく、もう、いいかな、と思うのです。
やれることはやった。
すべきこともした。
あとは、時の流れに任せて、自然に、落ち着くところに落ち着くのを、待つしかない。
立ちはだかる敵ではなく、いつもその辺にある何か、くらいの、思い入れもなく、さりとて、拒絶感もない、ごく当たり前の感じが、ちょうどいいね。
肝心なのは、禁止の禁止。
iPhone12 miniのことを、考えるな。
思えば思うほど、考えてしまって、心身に、良くない症状が出る。
考えても、いいのです。
なんだったら、触っても、いいんだよ。
どのみち、メインのスマホからは、引退した。
余生をどう過ごすか、というだけのことで、そもそもが、大した話ではない。
じゃあ、なんで、あんなに、もめたの?
生きる死ぬの大騒ぎになるまで、こじれたのは、なぜ?
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
…なんでだろう。
現役時代に、トラブルが多発して、すぐにでも、次代を迎えないと、といった形なら、わかるけれど。
SIMカードを抜いたiPhoneと、いつまでも、やり合っているのは、やはり、なんだか、おかしい。
きっと、スマホというのは、それくらい、パーソナルに、ナーバスに、心身に、食い込むものなのだ。
iPadやMacBookの比ではなく、iPhoneには、個人が映る。
SIMを抜いても、まだまだ、miniは、僕の一部。
それも、どちらかというと、手に負えない、気難しい側面を、受け継いじゃったね。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
捨てたいけれど、捨てられない。
面倒だけれど、手放せない。
誰もがみんな、多かれ少なかれ、自分に対して、そう思うもの。
急がず、焦らず、様子を見たいです。それでは、また。
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