千文小説 その963:フルセット
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
Touch Barの表示項目を、単純に、ファンクションキーで、揃えたら。
なんとなく、よそよそしかったMacBook Proが、たちまち、有能愛機に、大変身。
元々、すごいパワーなのでは?
まだまだ、真価を発揮していないのでは?
疑っていたのが、見事、立証され。
電子書籍に、ミュージック・ビデオに、ネット接続に、八面六臂のご活躍。
…よっぽど、Touch Barがちらちらするのが、耐えられなかったんだな。
画面を切り替えるごとに、表示が変わるのが、ストレスで、常に、ファンクションキーが並んでいるだけだったら、全く気にならない。
同じことを感じる方は多かったらしく、Touch Bar搭載モデルは、既に、廃版。
今後、いかなるMacBookを購入しようとも、二度とお目にかかることはないので、安心したまえ。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
安心を通り越して、無防備の境地に至っている愛猫が、盛大に、古びた洗面器から、四肢をはみ出させて爆睡しているのを、はらはらと、見守りつつ。
無駄と知りながら、西武ライオンズのバスタオルを掛け直して差し上げ、改めて、新生相成ったノートパソコンと、向き合います。
目下、早急な機体交換をする必要は、なくなった。
スペックにも、見た目にも、申し分はなく、今代の寿命が続く限り、次代は、迎えないつもり。
ただし、人にも、物にも、不慮の事態というのは、起こり得る。
いきなり、動かなくなった。
どうしても、充電ができなくなった。
手を尽くしても駄目な場合は、泣く泣く、後継機を導入するしかない。
では、その際、今代の、どの部分を、継承したらいいのか?
Proシリーズか、Airシリーズか。
13インチか、それ以上か。
256GBか、それ以上か。
スペースグレイか、それ以外か。
…考える意味、あるかな。
そう思ってしまうくらいには、今代は、あまりにも鮮やかに、生まれ変わった。
いいよ、なんでも。
MacBookだったら、どれでも、大丈夫だよ。
個体への愛が極まると、デバイス全般への愛に、移行するんですね。
知らなかった。
教えてくれて、ありがとう、今代よ。
末永く、ともに書いて参りましょう。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
…困ったな。
MacBookのProシリーズに対する、見栄と虚飾の入り混じった執着を、一刀両断するつもりで、この欄を始めたのに。
ゆったりと、大らかな愛に、包まれて終わった。
こういうのを、心底、相性が良い、と言うのですね…。
悪い場合と同じく、人智では、どうにもならない。
受け入れます。
MacBookについては、このまま、温かい関係を、継続いたします。
となると、刃の向かう先は、ただ一つ。
iPad。
とにかく、使わない。
二台もあるのに、置いたまま。
そして、その事態に、ものすごく、心が重い。
使わなくちゃ。
なんとしてでも。
思いつく限りの手は打ちまくって、それでも、動かない。
魂が、入らない。
初代など、もう、八年も、一緒にいるのに。
iPhone12 miniの場合は、機体限定の、どうにもならなさだった。
しかし、iPadたちは、もはや、デバイスそのものと僕とのうまくいかなさに、もめごとの原因がある気がする。
タブレット端末は、僕には、向いていない。
どうやら、それが、不変の真実。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
だが、現実と真実は、違う。
現実に、向きも不向きもない。
望もうと、望むまいと、今ここに、iPadは、存在している。
そして、iPadが存在している限り、僕は、扱いに苦しむ。
それこそ、不動の現実。
打開しようと思ったら、iPadと僕を、そもそも、同じ部屋に入れてはならない。
iPadを出すか、僕が出るか。
もしくは、両者、その場にいながらにして、舞台装置を、がらりと一変させて、いても、いない。
禅問答のような境地に、文章の力を借りて、達することは、できるのか。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
…まずは、どちらかに、しぼろうよ。
二台あると、論点がぼやける。
次代が来てしまっている以上、先代をリセットし、箱に収めて、クローゼットへ。
この流れは、もはや、止められない。
そのうえで、残った一台を、どうすれば、気にならないように、置いておくことができるか。
MacBookのTouch Barのように、表示項目を変える、すなわち、見た目を安定せる。
中身は、極力、いじらない。
どのみち、使わないなら、あえて、外見に、こだわり抜く。
できるかな…。
やるしかない。
フルセットで、iPadと、ぶつかり合う所存です。それでは、また。
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