千文小説 その948:手前
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
iPadは、やはり、むき出しで。
すったもんだの挙句、結論は、それでした。
にちにちにちにち。にちにちにちにち。
なまじ、ほぼ同一の型の次代を迎えたものだから、見た目や使用法において、何か、変えなくては。
強迫観念のように、あれこれ試してみたものの。
疲労困憊で、終わりました。
というのも、僕は、そもそもが、超の付くほどの、面倒くさがり。
できれば、手間暇は、最小限で、済ませたい。
が、最短コースを行くには、実は、ものすごく鋭利な頭の回転が必要で、そんなところにエネルギーを費やすのも、面倒くさい。
だらけて、怠けて、結局、何もできないくらいの、筋金入りのぐだぐだ野郎に、カバーだキーボードだスタンドだ縦設定横設定ホームボタン白黒ベゼルサイドカーイヤホンジャーック!
気が狂いました。
何もかも、どうでもよくなり、iPad自体が嫌になって、放置すること、数日。
ようやく、のろのろと、新旧二台のタブレット端末を前に、考察を再開できるまでになりました。
にちにちにちにち。にちにちにちにち。
膝の上、一心に、おやつのするめをかじる愛猫の、大きなおしりを、抱き直し。
炬燵の上、ゴールドとスペースグレイ、無印の第五世代と第九世代を見比べて、ため息をつきます。
すみませんでした。
全ては、僕の不徳の致すところ。
初めから、素直に、データを引き継いで、第五世代を、リセットし、第九世代を、むき出しで、これまで通り、使えば良かった。
何回、無駄に、リセット&再設定を、繰り返したことか。
貴重なバッテリーを浪費して、まことに面目ない。
やり直します。
僕の脳内も、リセット&再設定で。
ただ、その前に、諸々、確認を。
怒濤の行ったり来たりで、身に沁みたことは、同じ型とは言え、第五世代と第九世代は、まるで別物。
コンセプトが、違うのです。
第五世代は、文字通り、むき出しで、単体で、使用するもの。
タッチペンも、キーボードも、対応していない。
設定と使い方が、ぴたりと合って、実にいい気分。
第九世代は、しかし、真逆。
できるだけ、タッチペン、もしくは、キーボードと併せて、お使いください。
不要な場合は、せめて、カバーを。
でないと、側面の、ペンやキーボードとの接続端子に、傷がつく。
そうなのです。
現行のiPadは、どのモデルを選んでも、金属の丸が三つ、本体のどこかに、配置されている。
むき出しで置いておくと、意外と、その存在が、気になる。
つまり、今後、第九世代を使い続けるにせよ、早々に買い替えるにせよ、新世代のiPadと付き合う場合は、金属の丸たちに、何らかの形で、敬意を払わなくてはならない。
カバーで、隠すのか。
ペンやキーボードを付けて、役立てるのか。
あれ?
冒頭で、iPadは、やはり、むき出しで、って、言ってなかった?
…そうなんだよ。
新世代のiPadは、むき出しでは、使えない。
いや、正確には、使えなくはないが、金属の丸たちを、無視することになる。
人でも、物でも、無視は、いけない。
長い目で見て、他ならぬ、自分を害する。
自己保身じゃないか、と言われたら、それまでですが、他者を尊重することによる自己保身というのは、人間に授かった能力の中で、かなり高度なレベルに属するものなので、できれば、有効に、活用したい。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
いつの間にか、満腹で、寝落ちしていた愛猫を、慌てて、西武ライオンズのバスタオルでくるんで、抱き直し。
食べ残しのするめを口に、天井を仰ぎます。
金属の丸たちを、無視するわけにはいかない。
しかし、カバーもキーボードも、面倒くさい。
となると、残された道は、Apple Pencilの装着だけ。
…要らないんですけど。
タッチペンを使う予定は、まるでない。
使いこなせる技術も熱意も、どこにもない。
じゃあ、せめて、カバー、付ければ?
もうね、新世代は、むき出しでは、使えないんだよ。
どうしても、むき出しがいいなら、第五世代にこだわり抜いて、壊れ果てるまで、添い遂げなさい。
あるいは、金属の丸なんて、お飾りさ。
うそぶいて、何もかもが変わってしまったことを認めずに、第五世代と同じ使い方で、押し通しなさい。
どっちが、いいの?
どっちなら、できそう?
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
…どっちも、試したけど、保たなかったんだよな。
どの道を選んでも、ユーザーの僕に、相当な妥協が強いられる。
無印の第九世代に限ったことではなく、新世代のiPadのいずれとも、こんなもめごとが、起こるのだ。
面倒だな…。
回避しようとするのさえ、面倒。
いいか、このままで。
再設定の手前で、しばらく、もめ続けることにします。それでは、また。
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